今月は、日曜日ごとに 集落内の各種組織の総会があります。
午前中、契約会の総会。会員は、隣近所で32名。
一昔前までは、集落で生きていくうえで、絶対的な組織として存在し続けた組織です。 主に集落内の葬儀などや災害時の 互助組織としてお互いが生きていくうえで必要不可欠な
組織でした。
農業を始めた30年前頃は、契約会の会合は正装で参加し、それなりの形式を重んじた運営をしていたようです。
それが時代と共に、運営も簡略化され時代なりの運営がされるようになりました。
村の集落の中には、契約会そのものを 解散し無くなった所もあります。
今日の話題は、退会について。
会員の一人から、勤めの関係で隣町に住居を移して数年になる。その間 契約会の会合などに不義理になり皆さんに御迷惑をかけた。これからも、このようなことが続くことが予想されるので 心苦しいい。この際 退会したい。
という申し出があり、その取扱いが大きな議論になりました。
問題は、若夫婦は確かに住居は移ったものの、ご両親の老夫婦は集落で生活を続けている。 また 近い将来退職後は、
集落に戻り生活する予定だというのです。
最長老から、退会ということはいかがなものか。
確かに契約会そのものの役割は 大きく変わってきている。
数年前に、契約会の規約そのものを昔の不文律な因習を総括し、今の時代なりに合うように変えたはずだ。
その精神は、都会でよく言われる「隣なりは何をするものぞ」という関係にだけはこの集落なりたくない。
お互い益々 高齢化になってくる。 何らかの形で互いが助け合い暮らしていくという「証」として契約会を残すべきではないか。
御両親が健康で集落で暮らし続けていることでもあり、できるだけ、皆が参加しやすい状況を 皆でつくり何とか 継続できないものか。
また、新しい規約を作るにあたって、入会に関する規定はそれなりに作ったが、退会者を想定した条項はあえて作らなかった。 それは、何らかの関係で 結びつきながらこの集落で生きていくことを前提としたからだ。
という 話がでました。
私も、思わず賛成の話をしてしまいました。
退会の意思が あまりにも堅く、今の時代 契約会だけがコミニティーの場ではないのでは。等再度退会の話が出ましたが、御本人から最後に 先ずは休会という形でお願いしたいという話がで一先ず落着。
また、議論の中でこの際だから、「退会」の規定を設けるべきではないか、という意見がでました。
これに関しては、 「今日の議論にもあったように、あえて「退会」と言う 条項は設けないほうがいいっと思う。どうしてもやむをえない状況を除いて、会員の暗黙の了承ということにして この会から退会という言葉はなくしたほうが良いのでは」 という意見を言わせて貰いました。
これに関しては、賛同の意見を頂きましたが、長老から「退会」という言葉は大きな問題だ。ここで直ぐに結論を出すのではなく、これから一年かけ、会員相互の課題としてして 来年の総会にでも結論を出したほうがいいのでは。
という意見が出て、一先ず終わり。
なるほど、世の中 理詰めで合理的に全てハッキリさせるだけが うまくいくと言うわけではないですよね。
特に人間関係は。
あえて、あやふやな部分を残し 互いの逃げ場を創るということも必要ですよね。
いろんなことを考えさせられた、契約会でした。
会議終了後の 懇親会は いつになく和やかな雰囲気の中で
互いの日頃の話題に 花が咲きました。
いま、農業の世界も、大きな転換期。世の中のシステムも大きな転換期。
今もっとも必要なことは、結論を急がず、本音で話が出来る環境。積極的に意見の交換が出来る環境を創ることではないのか。
と改めて考えさせられたひと時でした。
農業問題で最大の課題は、一番の当事者である農業者が農業そのものに関心が薄くなっている。特に、その取りまとめ役であるべき農協が、話し合いの場を創るどころか、その場を
組織自体で否定し、都合の良い組織運営に走っている。
そのことで、農協運営そのものが 今まで以上に不透明になってきている。 組織としては、末期的症状だ。
新たな農業者組織が求められている時代になったのかも・・・。