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2008年03月31日

ビックリです。雪降りました。

朝起きると ミゾレ。
なんと、雪が舞いました。
明日から4月。と言うのに。

 それでも、春の雪。
淡雪。 日が高くなると共に雨に変わったものの、寒い一日となりました。
季節は、確実に春本番に向かっているというものの、例年の事 寒の戻りはあります。
 明日から4月。新年度の始まりです。

2008年03月30日

一家総出の仕事

今 また雨が降りだしました。
このところ 天気が続きません。
 日中は 青空が広がり春の陽気。
 
 育苗用の床土作りを 始めました。
クン炭と肥料等を混ぜて、床土をつくります。

 今年は、この春から大学生になる次男と 春休みで帰郷中の長男の手伝いをうけ、正しく
一家総出での作業。 
 農作業には 見向きもしなかった次男。 男の子です。 少しは逞しくなったと 実感。
それだけ自分も 年とったのだと、一人で納得しながらの床土作業でした。

2008年03月29日

片付け作業

作業場の片付け作業を 一日中する。
帰郷中の息子の手伝いを受けながらの作業。
 一人での作業より 格段に効率がいい。
片付け作業は、結構時間がかかる。 それでも、予定通りの作業終える事ができた。

 いよいよ、床土作りが出来る。
今年も、苗作りがはじまる。

2008年03月28日

おやすみなさいです。

ただ今の正確な時刻 29日午前1時30分。
今 酔っ払ってます。
 今日は(28日)、自分自身を褒めたいと思います。
笑ってください。
 面ちゃん 今日も忙しがったナイン。
ご苦労様。
 午前中に会議が一つ。 夕方から会議が二つ。
仕事も チャンとやりましたよ。
夕方の会議は JICA東北から 角田に来ていただいての会議。
JICAの研修員の受け入れ、会議。
今年度は、大洋州から18名の研修員を受け入れます。
その打ち合わせ。
その後 あぶくま農学校経営実践塾と戦略会議の合同会議。
その反省会で今のお帰り。
楽しいお酒を飲みました。

もう眠たいので おやすみなさいです。

2008年03月27日

東京疲れ。

種蒔き準備のために 作業場の片付けを始める。
籾摺り作業等 順序良く作業を進める必要がある。
 昨日の東京営業の疲れか 体が思うように動かない。
今日は 早く寝ることにする。

2008年03月26日

首都圏で販売開始

東京から夜 10時帰宅。
 正直 疲れた。
営業活動は、疲れる。田んぼ仕事のほうが よっぽど楽だ。

 午前中は 目黒区民センターにて あぶくま農学校 目黒塾に関して 目黒区消費者団体代表の
方々と 相談会。
あまりに熱心に話が はずんだで時間がなくなったため為 目黒区役所産業課に挨拶する事を キャンセルする。

 午後から 米屋さんを訪問し 百姓コンパニーの販売実践の為の相談をしてくる。
調布の山田屋本店さん はじめ あぶくま農学校の取り組みに対しご理解をいただき 前向きに
事業を展開する事で 話をいただく。

 あり難い事だ。 
 東京は、桜が五分咲きといったところ。
一足早く 花見をしてきました。

 それにしても、今日の営業活動は大いなる収穫があった。
あくくま農学校ブランドの 首都圏進出の足がかりが見えてきた。
焦らず 確実に積み上げるしかないであろう。
いよいよ、あぶくま農学校が 首都圏進出。

2008年03月25日

実践打ち合わせで上京

農業公社理事会が午後から開かれる。
その後 あぶくま農学校百姓先生コンパニーの首都圏における 販売戦略実践に向けて
行動開始する為の 打ち合わせのため上京する。

 慌てて 新幹線に飛び乗った為、ブログの書き込みが今日(26日)になってしまう。
夜 東京着 調布の山田屋本店さんで 今後の展開に向けて打ち合わせする。
東京泊。

2008年03月24日

美味い酒

本当は 午前様をとっくに過ぎている時間帯です。
 眠いです。酔っ払っています。
でも とっても気分がいいです。

 今夜は、10数年間続いた 米づくり研究会の区切りの会議がありました。
世話役を発足当初から続けてきました。 
 その会を一区切りつけて 新たな旅立ちです。

世の中も、激動の時代。 JAはじめ農業界も激動の時。
だからこそ 大きな夢に向かって生きてゆく。
それが見えないと ますます辛い時代を生きることになる。
だからこそ 大きな夢を・・・。
そんな事を 想いうけべて 今夜は美味い酒を飲みました。

2008年03月23日

一気に耕うん

天気予報によれば、明日 天気が悪くなるという。
 朝から、田んぼ仕事をすることに。
 小切り(砕土)作業が3.5ヘクタール程 残っていたので 作業の区切りをつけるために 夜7時ごろまでかかり 全て完了する。
 農作業は、お天気勝負。
 特に、外の仕事は 時期を逃すととんでもないしっぺ返しに遭う。
 常に、作業のタイミングだけは 心得て生活している。
やれるときに やる。 後からは、、遅れ仕事になる。結果も良くない。
2月以来、 天気に恵まれ 田んぼが乾いている。
 いつ天気が崩れるかもしれない。  そんな気持ちからか、例年よりも早め早めの田んぼ仕事になっている。

2008年03月22日

穏やかな春の日差し

朝起きると あたり一面 霜で真っ白。
 早朝から夕方まで 一日を通して 穏やかな日となる。
 育苗ハウスのビニール張りには 絶好の日和。
家族総出での仕事。
 5棟全部のビニール張りを、夕方までに完了する。

 西に連なる、蔵王の山々もきれいに望むことができた。
午後から、麦畑の手入れをしたが 茎も立ってきた。
日増しに、体が大きくなる。
 気温の上昇と共に、草木も芽生えてくる。

 ますます 忙しくなってくる。

2008年03月21日

人事の季節

今日も 慌ただしく一日が過ぎた。
 今日は3月21日。
時間の経つのが早すぎる。
 仕事が次々 迫ってくる。
いろんな組織で 新年度に向けて、新しい体制の組み換え時期でもある。
 それぞれのボスが、夢の実現に向けて駒を動かす時期だ。
 それに比べて、百姓は人事異動がない。
 小さくとも経営者だからだろうか。

2008年03月20日

彼岸の中日

今日は、彼岸の中日。
 彼岸の中日は、 草もちを搗いて 仏様に供える。
ヨモギの新芽を 摘んできて餅をつく。
 これを食べると春を実感する。
暑さ寒さも彼岸まで とわよく言ったものだ。
一気に忙しくなる。

bbさん コメントありがとうございます。
おっしゃる事 ごもっともです。
 しかし、米どころ東北に住んでいる百姓にとって JAの存在は無視できません。
JAも それなりに 頑張って貰わないと困るのです。
 そんな、淡い期待も JAの現状からすれば 内部から崩壊する危機が一気に高まったといえます。
 今回の事件で、2日間にわたり 地元紙の一面の記事にされるような 対応の悪さには、程ほど
呆れるばかりです。 JAみやぎ仙南の 社会的信用の失墜は 多大なものがあります。
 果たして、その責任を感じている 役職員は、何人いるのか。
そのことが、一番の問題です。

2008年03月19日

労働基準局の見解が悪い?

朝、用事があり、JAに行く。
忙しかったので、直ぐに帰ろうとしたところ 幹部職員がチョットというので少しだけ話する。
JAの不祥事の話になることは 分かりきっていたので 話したくなかったがお付き合い。
 心配していた事がどんぴしゃ。

 その幹部職員 曰く。
労働基準局の見解は、現場を無視した話だという。

 なんとも 情けない事態。 現場が分からない労働基準局が悪い。まるで法律が悪いのだといっている。 あくまでも自分達を正当化して責任の所在をあいまいにしようとしている。

全くの 反省なし。 事の重大さが 分かっていない。 
まるで、農協が正義で 行政当局が 悪いのだと言う、見解。
 さすがに これにはビックリ。 すかさず あんたの頭は狂っている。
目を覚まして現実を見ないと とんでもない事態がまた起こるそ と言ったら 怪訝そうな顔。

 何故こんな 狂った頭になったのか。 昨日の朝、組合長・専務の執行役員ら常勤役員から 幹部職員が 呼ばれて、何か話があったそうだ。 
その話の中身が 今朝の幹部職員の話から想像できた。
 予想通り。 組合長、専務理事等 高い給料をいただいている連中の頭が狂っている。
高い給料に見合った責任と仕事をする 自覚がない。 ここ数年の言動が如実に示している。
当然 その他役員、幹部職員連中も 狂っている。 それが分からず 組織を動かしているとは なんと危険な事か。

責任のとり方を 知らない役員が、マトモナ仕事が出来るはずがない。
 近いうちに 更なるJA統合で またまた責任を取らずに 問題を先送りして知らん顔を通すのであろう。 

農協組織の指導監督機関の 上部組織である 宮城県農協中央会は何しているのか。
これまでも、その仕事振りには 呆れていたが 馴れ合い機関となっている。
 執行役員が 責任のとり方が分からないのであれば、世間の常識にのっとった責任のとり方を
手取り足取り 教えるべきではないか。 それも、殆ど期待しないが・・・・・。

こんな事では、 JA組織に対する 公認会計士等の 外部監査制度を本気で考えないと 大切な
JAが崩壊しかねない。
 農家、組合員の大切な財産だけが やせ細っていく。
それが、協同組合の末路なのか。 情けない・・・・。

2008年03月18日

地元仙南JAが 一面トップ記事

穏やかな春の日差しが降り注ぐ 気持ちよい一日だった。
 それにしても、なんとも忙しい一日だった。

 地元紙、河北新報朝刊 一面トップに
 不払い残業が常態化 みやぎ仙南農協、過労死で書類送検へ
という 大見出しの記事が目にはいる。

 うわさには聞いていたが、 何故 新聞の一面トップの記事になるような 事態に至ったのだろうか。

 なんとも情けない事態だ。
総務担当常勤理事以下 3人の職員が書類送検されたという。
 テレビのニュースのよれば 組合の経営のためにやった と述べているという。
 経営のためという事であれば 常識的には 最高責任者の組合長、組織内責任者の専務理事の責任は 当然 問われるであろう。

 それにしても、ここ数年の 地元JAの 経営陣の無責任行動は目に余るものがあった。
2年とも持たない、組織改編。 仕事する時間よりも、組織内移動のための時間が多すぎるのでは??? と思われる人事管理。
せっかく 経営者になったのだから しっかりしてよ・・・・・。 と思っていたことだが。
 これまでの馴れ合い会議や これまでの行動の結果として 今回の事件につながったのだろう。

 多分、 これまでの行動からすれば、組合長、専務理事以下経営陣は、今回の事件の責任の重さを さほど感じていないであろう。
事件の重さを 痛切に感じていたのなら、少なくとも 地元紙一面トップの記事になるほどの
事件にはならなかったはずだ。  
 時あたかも、JAの改選時期。 また、しゃしゃ~~と 理事役員改選に殆どの現役員が立候補するのであろう。 
 そこに、JAの現在の姿がある。 困った組織になったものだ。

2008年03月17日

乾燥つづく

今日の最高気温15度。
このところ 暖かい春の陽気の毎日。
 2月以来 まとまった雨が降らず、近年なく田んぼが乾いている。
この間に、田んぼの小切り作業を進めようと思う。
 毎日 コメの発送と雑用が続き、トラクター仕事が出来ないが、
その分 親父さんが新しいトラクターで耕うん作業をしてくれる。
ありがたいことだ。 81歳の親父さん。 もうとっくに引退の年齢だが、トラクター仕事に励んでくれる。
 体にきいて、無理をしないようにというが、負けじとトラクターに乗のる。

 今日は、今年二回目の大規模な黄砂がやってきた。
薄っすらと モヤがかかった空だった。

2008年03月16日

契約会総会

今日は、契約会の総会がある。集落契約会は、不幸や災害が発生した時の互助組織として昔から伝統的に機能している組織だ。 一昔前までは、厳然たる規約の下に運営されてきた。 総会には、正装で参加し時間厳守など、礼儀作法や集落内の秩序を維持するため厳しい運営をしてきたと聞いている。最近では、時代の流れと共に契約会の運営も様変わりしている。
契約会の主な仕事は、葬儀の一切を取り仕切り埋葬する事だ。 つい最近までは、自宅で葬儀をしていたが、昨年ごろから葬祭会館で行うことが当たり前になりつつある。 おのずと契約会の役割も変化している。 契約会主導の葬儀から会館主導の葬儀へと変わってきた。今日の総会にも、従来からの運営について見直す事が話題になる。
当集落は、全員が仏教徒である。 葬儀のやり方も、ひとつひとつ昔から伝えられてきた。 現代社会の合理的な思考では、理解しがたい習わしがまだまだ残っている。今日の集まりでも、ある事柄を見直そうという話が出た。しかし、不合理に見えても、儀式としてそれなりの理屈があって伝えられてきたものもあるはず。集落内で生きていくうえで、全てが合理的な考え方で良いという事でないはずだ。 少しは、現代社会において不合理と思われることでも、後世に伝える事も必要だ。という結論になる。
欧米の合理的な考え方だけが、生きていくための知恵ではない。 昔から伝わる、習わしには、それなりの先人達の知恵が凝縮されているのではないか。そんな事を、思い返す今年の契約会総会だった。
我が集落は、まだまだ健全だと思うひと時だった。


2008年03月15日

種籾準備スタート

種籾消毒作業を実施する。
 種籾消毒は、稲作りの基本中の基本だ。
最近は、農薬等を使用しない消毒法が普及しているようだが、否定はしないが
疑問に思っている。
 
 スタート時点で、確実に病原菌を抑える栽培法をとるべきだと考える。
 いよいよ今年も、苗づくりが始まった。
待ったなしの 農作業のはじまりだ。

2008年03月14日

土地改良区総代会

角田土地改良区総代会が開かれる。
角田市長さんの祝辞がある。
その話の中で、県議に就任したときが昭和50年。
それ以来、政治家として34年余り。
 県議としての初仕事が 角田土地改良区 県営圃場整備だった。
県営圃整備事業は、総予算額300億円の巨額の予算を投入して完成した。
300億円を投資したからには、それ以上の農業生産額を上げるべく夢を持って事業を展開してきたが
度重なる 農政の転換で夢を実現するところか、 その借金返済に四苦八苦する有様だ。
無念だ・・・・・。という意味の言葉をいただく。
 市長が県議就任以来、 お世話になった一人として感無量の想いが込み上げる。
偉大なる先輩の後を受け、築き上げていただいた立派な角田の田んぼを 何が何でも 後世に
受け繋いでいく事が 俺たちの責任だという思いをあらたにする。

 自分のやれることは、忙しい中だが 責任としてまっとうしなければなるまいとの思いに立つ。
 

2008年03月13日

ありがとうございます。

江島先生 コメントありがとうございます。
先日は、広島県大竹市玖波小学校5年一組の皆さんの 元気な姿の写真と
おコメを食べた感想文を送っていただき 感激しました。

 NHK教育テレビの とことん見聞録が縁となり 私の作ったおコメを食べていただき しかも 感想文
まで届けていただき幸せです。
お礼が 遅れてこめんなさい。

 もし、玖波小5年一組の皆さん このブログを見てましたなら、この場を借りて 感謝します。
ご飯を 三杯も四杯も おかわりして食べたと ありましたが ますます 嬉しくなります。
今年も 田んぼ仕事がはじまりました。
今年も 美味しいを育てます。
ありがとうございました。

2008年03月12日

春本番

久しぶりに朝仕事から トラクターに乗る。
 一日中 機械作業をしていると 体の節々が痛い。
 
夕食に ビールをひっかけると そのままコタツで寝込んでしまう。
 目が覚めパソコンに向かう。

 ここ数日 春らしい暖かさが戻ってきた。
なにより、お日様の光が 一段と明るくなった。
昼の時間も長くなった。
 天気を観ながら 少しでも農作業を進めておきたい。

2008年03月11日

e-タックで申告

今日の最高気温なんと16度。
日中風が強くなると共に、気温も一気に上昇。
 今日 19年度の確定申告をしてきました。
とわいっても、今盛んに宣伝しているe-タックスで申告です。
eータックスは 今年で2年目。
パソコンの知識・操作も、ヨチヨチ歩き同然ですから 常に経営指導していただいている事務局のご指導
を受けて何とか済ませました。
 一昨日から eータックスで申告と思い 始めたものの、パソコンの調子がイマイチ。
昨年したので、今年は簡単と思っていたら 結局 昨年よりも時間と労力がかかってしまう。
 税務署までは、車で十数分。 e-タックスで申告するのに3日間ほどかかった始末。
今日は、操作が分からないところは 税務署に電話を掛け指導を受けながらパソコン操作。
 それにしても、電話でご指導いただいた職員さんの 親切な事 親切な事、たいへんお世話に
なりました。ありがとうございます。

 今年から 決算書など添付書類もe-タックスで送信可能になったものの、さすがに面倒になりました。
しかも、今年から国庫交付金の扱い方が、変更になり 申告書だけでは説明不足と判断。
e-タックス送信送信後、各種添付書類を持参で 車で 税務署に直行。
 日頃 ご指導いただいている担当職員に 今年のe-タックス申告の状況を報告しながら
e-タックスは まだイマイチだよね。 話しながら なんとも言えず笑って 帰ってきました。
 それにしても、パソコンの操作は、 パソコンが分かる人が書いているので、分からない人が読んでも
ますます 分からない。 当たり前のことですが・・・。
e-タックスを普及させるには、パソコンに触る事が出来る程度の人でも 申告送信が出来るようにしてもらわないと まだまだという感じ。
 それでも、申告が終わったと思ったら 一安心。

2008年03月10日

恵みの雨。

どんぴしゃ。今日は、天気予報どおり、昼前後から雨が降りだし、夕方には上がりました。
 麦畑には、恵みの雨です。
一気に緑を増すでしょう。

 午後から、県認定農業者研修会に参加。
世の中の大きな激変に 旧態依然の意識の下に 対応しきれない組織のジレンマを感じたひと時だった。  足元から ひとつひとつ実践する他ないだろう。
実行あるのみ。

2008年03月09日

最高気温14度。

今日の最高気温 なんと14度。
春本番です。
今朝の最適音がマイナス6度。 一日の気温差20度でした。

 この暖かさを逃してはならずと思い、塩水選作業を開始。
水仕事です。  暖かい日が いいことはもちろんです。
家族総出で 作業を開始。
 おかげ様で 一気に仕事がはかどりました。

 気温が高くなると、土の匂い、水の匂いが漂ってきます。
農作業も 次から次と待っています。
 今まで鈍っていた体が 芯からシャキットする感じ。

いよいよ今年も 稲作本番を迎えました。

2008年03月08日

春の予感

天気予報どおり 暖かくなってきました。
 育苗用の床土の砕土作業は、乾燥が悪く遅れいましたが、今日の天気で
一気に乾燥。 長男が春休みで帰郷してましたので 手伝いを受け作業完了。
 長男としての自覚が出てきたのか、前向きに仕事に取り組む姿に ちょっビリ安心。

 そろそろ、種籾の準備を始めようと思う。
塩水選がはじまると、今年の稲作りへの想いが 体の中から湧いてくる。

2008年03月07日

晴天続く

このところ 天気が続くようになった。
田んぼも乾いてきた。
天気予報によれば、向こう一週間も天気が続くようだ。
 しかも、明日からは気温も高くなるという。

 思いっきり 春を感じるかもしれない。
忙しい日々を過ごしているが、春の日差しの中で心もリフレッシュしたいものだ。
 3月に入ってから、あっという間に一日が過ぎていく。

2008年03月06日

編集会

今夜 公社で農業振興公社10周年記念誌の編集会議が開催される。
小松先生手作りのカレーが振舞われる。
イギリス下町風カレーと 勝手に先生は言っていたが なかなか 美味かった。
 雑談の中で 今回の中国ギョウザ問題は たった20日で終わり。
 世間の関心は、海上自衛隊問題それも 終わりつつあり、ロス疑惑問題へ。

 先ほどのラジオのニュースでは、 ギョウザ問題について中国国内の問題はなかった。
との中国政府の見解を報じていた。

 何も問題解決されづに うやむやにギョウザ問題が終わろうとしている。

 食に関する 問題は 命も問題。 日本人の命に関して うやむやにしようとしているに等しい。
それでも、日本人は 黙っているのだろうか。

 こんなことでは、 日本の農業はいつまでたっても 立つ瀬がない。

2008年03月05日

うまいコメ研究会

うまいコメ研究会という組織がある。
その代表を10数年来やってきた。
 この間 自ら作ったコメを自らの手で販売し コメ農家として生き残っていこう。
という目標の基に頑張ってきた。

 その会も 時代の流れに沿うよう 新たな展開を求められる時代となった。
今夜、苦労を共にしてきた幹部で 今後の展開を話し合った。
 これまでの組織を この辺で一区切りをつけようということで結論をだす。
 それに変わって 戦略的に販売に特化した組織のもとに 新に旅立つ事で話し合う。

 これからが 勝負時だ。

 結果が全て。 少しでも高くコメを売り切れるか。
結果を出さねば これからの活動の継続はない。

 そんな思いを新たにした夜だった。

2008年03月04日

ひとつずつ前進

今日もあっという間に 一日が過ぎてゆく。
コメの発送と 昨日に引き続き麦畑の手入れ。
追肥作業を行う。

 3月も4日。 明日は5日。
3月に入ってから 時間の経つのが一層早く感じる。
 農作業、新しい事業展開、経営のまとめ、関係機関との調整。
チョット考えただけでも、やることが目白押しだ。
 仕事の優先順位を決めて 確実にこなすしかない。

 基本は あくまでも 田んぼ仕事。 これが最優先だ。
それの、合い間を縫って 明日に向かって体を動かすだけ。
 明日は 麦畑の手入れ作業のケジメをつけたい。
ひとつずつ前進。

2008年03月03日

中国から黄砂

今日は、3月3日。ひな祭りです。
我が家にも、まなむすめが ひとり。
夕食を囲んで ささやかなお祝いをする。

 日中 中国大陸から黄砂が飛んでくる。
遠くがモヤがかかった感じになる。
日本各地が黄砂現象がおきたらしい。 昨晩 放送されたNHKの中国内陸部の赤茶けた
荒涼たる大地が思い出される。
 それだけでも 中国大陸が如何に大きいかが想像つく。

昼に、知り合いに行ったところ、中国で漬物関係の会社を経営している人から電話がある。
それによると、中国の会社をやめて日本に帰ってくるというのだ。
 今回の農薬ギョウザ事件で 中国の国策として日本への農産物の輸出を大幅に制限する処置が
とられているという。 これから仕事にならないのだそうだ。

 中国側の見解は、 「日本は中国のありがたみを 分かっていない。 一ヶ月もすれば、中国に由来する農産品が 底をつくだろう。 その時 はじめて中国のありがたみが分かるはずだ。」・・・・という事らしい。 中国は 完全に日本をみくびっているようだ。
 また、 過去の歴史をみれば、中国の政権崩壊は外圧によっては起こらない。すべて 内部の崩壊によって起こるという。   良く考えてみれば、 今回のギョウザ問題は、海外の日本人の命の問題
よりも 中国国内の問題を優先させた とも思える。
 それだけ 中国国内の 都市と農村・地方の格差の問題が 深刻になっているのだろうか。

 それでも、なんら具体的な行動をおこさない日本。
どうなっているのだろうか。 最近の防衛省の問題といえ、昨年来の農水省のゴタゴタ劇といえ
責任者の存在意義が問われているのに 一向にその道筋が見えない。
 こんな事で 国家の危機管理は大丈夫なのか。
 せめて、食料生産だけは、日本国内で最大限の努力を払う目標を 速やかに掲げてもらいたい。

 そんな事を おもった一日だった。

夜 我が家が永年お世話になった 隣集落のおばあさんが突然亡くなったとの 知らせをもらう。
93歳だった。
 正しく NHKのテレビドラマ「おしん」の 時代を おしんの如く生きた人生だった。
「おらの 人生は おしん なんてモンではなかった。 おしん はまだ良いほうだ」
が口癖だった。
 おだやかな 寝顔だった。 合掌。
 

2008年03月02日

春の防火予防週間

気温は8度。
とわいうものの 風もさほど強くならず 春の訪れを実感する一日。
 午後から麦踏作業を始める。
 このところの陽気で 日増しに麦畑の緑が濃くなってきた。
 
また寒の戻りがあるだろうが、陽射は確実に明るくなってきた。
 春の防火週間が始まる。
消防団と婦人防火クラブで集落内の防火啓蒙活動を行う。

2008年03月01日

婦人会館まつり

今日から3月。
一気に農作業も忙しくなります。

 お世話になった先生からのご依頼で みやぎ県婦人会館に行ってきました。
婦人会館まつりに出店の為。婦人会館で学んでいる皆さんの発表会 学校で言えば学習発表会という感じ。
 お祭りに華をを添えるため 県内の農産品の即売会をしているという。
そこに出店の依頼があった。
 角田の農産品と タイ・イサーンの縫製品を車に積んで仙台へ。
 世の中 人と人のつながり。 ご依頼があれば、百姓の心意気。仲間と3人で行ってきました。
さすがに婦人会館です。 ご婦人方が 殆どでした。