« 2011年02月 | メイン | 2011年04月 »

2011年03月 アーカイブ

2011年03月01日

三月はじまる

いよいよ三月
農作業も忙しくなる。
籾すり作業等 作業場の整理をする。

2011年03月02日

冷たい一日

時折 冷たい雨が降る寒い一日。
コメの発送等して作業場の整理をする。
 一昨日の雨で また暫く田んぼに入れなくなった。
育苗等の準備を進めたい。

2011年03月03日

最高気温2.2度

2月中が 暖か日が多かったためか 今日は一日寒く感じた。
日中の最高気温をみると2.2度。
どうりで空気が冷たく ヒンヤリとしていた。
真冬の一日だった。
作業場の整理。

2011年03月04日

一日会議

土地改良区の理事会 その後未納賦課金対策の研修会を行う。
朝から夕方まで 土地改良事務所で会議。

 会場が 多少寒かったので 昨日から風邪気味の体調が益々 悪くなる。
夜 経営者会議の 後援会があったが 早めに帰宅する。

2011年03月05日

休日

今日は 体調不良。
風邪をひいたようだ。
一日 書類の整理を行う。

2011年03月06日

天気が続かない

今年は、床土の砕土作業を遅らせていたが 午後その準備を始める。
天気が続かない。
明日は 天気が悪くなるらしい。

3月もあっと言う間に過ぎてゆく。
いつまでも のんびりできない。

2011年03月07日

みぞれ降る一日

冷たいミゾレ降る寒い一日となる。
床土の砕土作業。
申告の準備など。

2011年03月08日

申告終わる

農業申告会の 申告日。
大河原税務署から派遣してもらった税理士さんに 申告書をチェックしてもらい
Eタックスで代理送信してもらう。
本来 会員それぞれが 自宅でEタックスしてもいいのだが申告会の活動をより活発にするため あえて税務署より税理士を派遣してもらい申告日を決めて実施している。
Eタックスも三年目。 事前の税務署と事務局の打ち合わせもOK.
今年は、順調に申告作業も進む。
来年からは、より一層の普及拡大を目指したい。

2011年03月09日

地震発生

昼 地震が発生。 県北で震度5。
久しぶりに 大きく揺れた。 夜になっても余震がある。
幸い 被害はなかったが地震は怖い。

ところで、 地元のニュースで 暖房機器メーカーの コロナが農業参入するという
話題が大きく取り上げられた。 今どき 珍しい事ではないが 製造メーカーが農業
参入ということでニュースになったのだろう。

 ブログにも 次のようなコメントがよせられた。

いつも拝見しておりますが、初めてのコメントで失礼致します。角田市にコロナアグリが拠点を創設するとの新聞記事を読みました。面川さんはこの動きをどのように思われているのでしょうか?お聞かせ頂ければ幸いです。

 昨年から 地元では話しになっていたことで ニュースになったこと事態 ビックリしている という感じ・・・。
 頑張ってくださいませ。 ひとつだけ条件を言わせてもらえれば、少なくとも30年は事業放棄しないでください。 と率直思っています。
 
 戦後の日本農政を現場で支えてきた 農協の  昨今のあまりのダラシナサ,
自浄能力の欠落・腐りきった組織、傷をなめあって満足している役員体制 を考えれば それに代わるひとつの受け皿として企業が 農業参入する事は当然の成り行きと思っています。 戦後の農政を 農協 という たんなる ひとつの組織に委ねてきた
ことが 現在の農業の閉塞を招いてきたとかんじています。
 独占はだめです。 農業経営を考えるとき 選択肢が農協だけしかない。
これでは、話にならない。

 百姓が、自分の頭で考え経営を選択できる環境を どんどん作るべきです。

いまは そんなところですかね。

そんなことより、 ことしもコメ作りがはじまります。
うまいコメを作るために ことしも頑張ります。
このことが 一番のやるべきこと です。

2011年03月10日

春の日ざしが恋しい

種もみの 塩水選作業の準備をする。
 明日から 塩水選作業を始める予定だ。

いよいよ 本格的な育苗作業が始まる。
 3月に入り寒い日が続いているが 日ざしは一層 あかるくなってきた。

 いつもお世話になっている 先輩の息子さん告別式。
39歳という 若さだった。 合掌

2011年03月17日

元気です

今朝 漸く電気が来ました。
11日の地震より 通信出来なくなりご無沙汰です。
面川は 元気です。

以下 今朝メールをもらった人への返信です

おはようございます。
お見舞いのメールありがとうございます。
角田は 幸い 道路の陥没等 の被害がありましたが 人的被害はありませんでした。
家族も みな元気です。
電気が今朝 ようやく6日ぶりに復旧しました。
テレビも 今朝 ようやく久しぶりに見ることが出来 話しには聞いていましたが(現地に行った人の話では 地獄の様だと言ってました) 海岸線の人たちの被害の大きさに 愕然としています。  車で30分程で 海に行けるところにいますが おそらく
東京の人たちより  被害状況を知ったのは 数日後ということです。
被害の全容が あきらかになるのは まだ時間がかかるでしょう。
それだけ 今回の被害が大きかった事を 物語っているといえます。
 現代の生活が 如何に化石燃料に依存し 利便性と効率だけを追求した生活だったかを 思い知らされています。

毎晩 ラジオを聞きながらとロウソクの明かりで食事しました。
水道は まだです。
 電気が 使えなくなり 電話 携帯電話 インターネット等 外部との連絡が全くとれなくなりました。
携帯電話が使えなくなり 消防団の幹部をしてますが 村の消防団員にも連絡がとれなくなり情けない思いをしてます。
 車の ガソリン等の燃料が 極端になくなり 近所への車の移動も躊躇する程です。 

毎日 知人宅で水を貰う事ができ幸い 給水車に何時間も並ばずにすんでいます。
また 3年前の自宅をリホームした際 家内の強い希望により 薪ストーブを導入したことにより 暖をとることが出来
家内に 家族全員で感謝してます。 薪ストーブを購入するにあたって 私は 大反対したのですが 大いに反省しています。

  東京都知事の石原さんは 天罰が下ったのだと 言ったそうですが、 おそらく彼自身 本当の意味で
天罰が如何なるものか 100パーセント 理解してない。 頭の中の空想でしかない。
たんなる おりこうさん(コリコウ)の 言葉遊びをしているだけだ。
それが証拠に 首都移転を 真っ先に反対したのが 石原自身だろう。
 全ては 東京集中 東京が全て・・・・・・
 石原自身が 天罰をを言う資格はない
 人も医療も何もかもを 東京へ
東北各地 特に 福島の人達に 最初に 発すべき言葉は 謝罪の言葉だ。
 福島原発の電力は 何処の人達が使っていたのか!
 冗談じゃない!

私も含め 殆どの日本人が 何を求めて 近代教育をしてきたのか 自問自答している毎日です。

いま 私がやれることは 今年の 米作りを 無事にすること。
田んぼの水を ひいいているパイプラインが 大きく壊れましたので 田んぼの水が心配ですが なんとしても
作付けしないと 来年に向けての 命に直結した 米が生産できません。
私の使命は、 米を無事に作付することです。
 いま 一番必要なのは ガソリン等の燃料です。
燃料さえ 確保できれば 当面は乗り越えられます。
その見通しがないのですが・・・・・・

先ずは 元気でやってます。
もうひとつ 心配なことは 福島の原発です。
しかし これは 心配してもしょうがありません。
日本人 全体の問題と思っています。

まずは 元気ですので よろしくお願いします。
面川 義明(omokawa yoshiaki)
yoshiaki@omokawa.com
http://www.omokawa.com

2011年03月18日

やっと電気が来た。

昨日 朝 電気がつながり 家族で 久しぶりにテレビをみた。
 電気が来るまで ラジオで情報を得ていたが 原発の政府発表ばかり。
たしかに原発は、 大問題だが いくら情報を出してもらっても我々 素人はどうにもならない。 単に不安だけが膨らむだけだ。 原発の対策は、国家の威信をかけた専門家に委ねるしかない。 個人で出来る事は 非難することだけ。
しかし、非難するといっても、国土の狭い日本 何処に逃げればいいのか。
私のところは 福島原発まで70キロ余り。 最悪の場合 避難地域になるだろう。
 しかし、いまは あえて逃げずここの田んぼにとどまる覚悟だ。
狭い日本 どこに逃げても 殆ど同じ。
それよりも、来年の食糧確保をするため 田んぼ 稲を守る。
 汚染された コメを誰も食べないと言われるかもしれない。
原発が最悪の事態になっても、 この角田のたんぼは 人の食糧に供することが可能な
範囲に収まることを信じ祈るだけだ。
食糧基地の東北。太平洋沿岸の広い田んぼ、畑が壊滅状態になった。
 東京の人達が 食べるコメは 日本の何処で生産するのか。できるのか。
今は、だた一刻も早く福島原発が収まる事を祈るだけだ。
命がけで 原発の現場で処理作業をしている人に感謝するだけだ。たいへんなことですが頑張ってほしい。 

 政府にお願いしたい。 宮城県はじめ太平洋沿岸各地を襲った大津波の被害は想像を絶する事態になっている。 被害の少なかった角田さえ、情報を発信できたのは 昨日
から。 津波の被害を受けた地域は いまだに情報を発信できずに 困っている小さな非難所がたくさんあるはずだ。
 原発問題と同じくらい 一刻もはやい対応を待っている人がたくさんいる。
とにかく ガソリンはじめ軽油など 燃料の確保を急いで欲しい。
農作業をする 軽油の確保も早くしてほしい。 
稲が作付できなければ 来年の食べ物がなくなる。 稲は 一年に一度しか作れない。
今も大切だが 来年も生きなければならない。 食糧確保も忘れないでほしい。
稲作は すでに始まっているのだから。

11日午後3時少し前 今年の稲作の準備作業 種籾の塩水選を東京から帰ってきた長男等 家族でしていた。 ラジオを聞いていた。 緊急地震情報が流れる。
一瞬 試験放送か と思う。 その直後 大きな揺れ。 強い揺れだと感じたが
時間とともに揺れが収まるどころか 益々強くなる。
 今年84歳になる親父さんも 一緒に作業をしていたが気丈に振舞っていたが
危ないので長男に 親父さんを支えろ!と声を発する。
ラジオでは 大津波の警報を叫んでいる。
 直ぐに消防ポンプ小屋へ直行。
小型ポンプ車に乗り 警鐘を鳴らしながら地域内を巡回する。
方々も屋根瓦が落ちている。 主要道路は 道路が一部陥没しているだけで 大きな揺れのわりには 被害が少ないようだ。
ただ、阿武隈川から田んぼに水を引いているパイプラインが大きく破損している個所を
発見。 一瞬 これはヤバイと思う。 今年は 田んぼは作れないかもしれないとの不安もよぎる。 巡回しているあいだ いつの間にか辺りは暗くなっていた。
 暗い中 土地改良区の理事長宅を訪問し いち早い対応をお願いする。
理事長宅の 入口も大きく陥没していた。

昨日のブログに 次のようなメールをいただきました。

石原知事の一連の話を聞いていました。「天罰」という意味はこういう犠牲者を伴うことになってしまった、どこか堕落した政治やその上に胡坐を書いている人に対しての厳しい自戒の念をこめた発言ととりました。因みに私は彼のことを支持しているわけではありません。言いたかったのは皆誰もが被災している方と一緒に涙を流し、一様に大変なショックを受けているということです。

私も、発言の前後の脈絡かすれば当然なことだと思っています。 日本のこれからは、 もう少し落ち着いた時に、国の在り方も含めて 考えたいものです。
 
ただ、首都移転に対し 真っ向から反対したのは 石原知事だったはず。
いつも 東京に行くと感じることは 全ては東京。 
私たちの住んでいる角田も日本。 原発の災害で避難している福島も日本。
 東京だけが日本じゃない。 原発の電気は 誰が使っているのか。
これまで、田舎を犠牲にしてまで 文明の利便性をムサボッテきた東京。
そんなにまでして、何してんの? いつも思ってきた百姓でした。

2011年03月19日

震災一週間目

朝9時から自治センターで北郷地区(村)の災害対策本部会議がある。
地域の団体長からなる会議だ。震災直後から開催されている。
各行政区長さんから 状況報告がある。
その中で、 他地区から避難しているひとがいることが報告される。
また、親戚や知人が 震災で亡くなった人がいることも話題となる。

 仙台市荒浜で 農業をしている知人が 津波で亡くなったらしい という話が
聞こえてきたが 未確認情報なので心配している。
なんとか無事を祈っているのだが・・・。

 対策会議の後 土地改良区事務所に行く。
対策会議でも話題になったことだが、田んぼに水は無事に来るのかという心配だ。
 そのためには、パイプラインの損傷状況をいち早く把握する必要がある。
現状認識を的確にし その対策を一刻も早く的確にやるやる必要がある。
 角田土地改良区は 11日の震災後 土日の休みも返上して職員が 改良区管内
施設の破損状況把握に即行動した。
理事長の判断だ。
 私も役員のひとりとして 即パイプラインの損傷を理事長に報告。
早めの対応を確認しお願いする。
パイプラインは、土地の中を通っている。損傷状況を的確につかむには 水を通すことが一番。 角田土地改良区管内の田んぼの水は 阿武隈川からポンプで取り入れている。 電気が通じたので直ぐに ポンプを動かせばいいと思うだろうが。そう簡単ではない。 水利権の問題で 用水期間以外は 勝手に水を使えない。 電気も今の時期は
契約期間外。 水は国土交通省の許可、電気は東北電力 保安協会等の許可 が必要。
早速 関係機関に調整を開始。 昨日の段階で、関係機関の許可はえたという。
 少しでも早く 状況把握をすることだ。

 そのあと、農協の事務所にもよったがビックリしたことがあった。
田んぼで仕事をしていると この大震災でしかも 燃料不足のなか トラクター仕事をしているのは何事かと 怒られ人がいるという。 おちおち田んぼで仕事もできないというのだ。 この状況では、分からないでもない。 
しかし、 われわれ農家の仕事は、人の命にかかわる食糧を生み出す大切な仕事だ。
しかも、お米も大豆も 麦も 殆どの農作物は 一年に一度しか生産されない。
車やテレビ等とは、根本的に違う命を育む産業。
田植えは 夏にやってもコメになるものではない。 作物には、栽培適期というものがある。 遅くても5月下旬 から6月はじめにまでは 田植えをしないと まともな
コメにならない。 命に直結仕事をしている。 その責任と誇りを持って仕事をすべきだ。 という趣旨の事を中堅職員と話してくる。
 その意味でも、今年のコメ作りは すでにはじまっている。
少しでも早く 田んぼ仕事を進めることが今 我々 被害が少なかった百姓に与えられた最大の使命だ。 
 被災地には 全国からボランティア等がこれから どんどんやってくる。
しかし、田んぼ仕事は 百姓でなければ直ぐには出来ない。
これからも 生き続けなければ。 生きるためにはコメが必要。
来年 食うコメは 今から田植えの準備をしないと間に合わない。
 農協が うろうろしているのでは 話にならない。

 目先の事だけに振り回されず、 全体をながめ、 しかも これからを見据えた行動をとることが今一番求められている。

今の政府のやっていることは、原発にだけとらわれ 何十万人とい 被災地の 人 を忘れている。 困ったリーダーを選んだものだ。
一週間たって 漸く気づくなんて・・・・・・

2011年03月20日

これからが大変

まだ水道が復帰していない。
破損した部分の修理の目途がついたようだが、海岸部にある広域下水道処理場が
津波で破壊されたようだ。 下水処理が出来ない。
その対応に手間取っているようだ。
 河川に直接 放流ということの決断が出来ないようだ。

人間は、食べ物・水をとって生きる。 と同時に 食べた分排泄物も出る。
その良好な循環があってこそ 人間生活が営めるのだ。
こんなことは 当たり前。 この当たり前のことを日常生活では 当たり前で 忘れている。 当たり前のことの 殆どは、人が生きるために必須条件だ。
空気・食糧・水など それを確保できさえすれば人は生きられる。
 現代社会は その殆どを他人にお金という 対価を支払って確保している。
災害に遭って あらためて思う。
対価としての お金。 それは、単なる紙っぺら。 非常事態の際は、紙っぺらをいくら持っていも 単なる紙っぺら。 お米の代わりにはならない。
お米だったら、直ぐに食える。

こんな当たり前 のことを考える日々だ。
 水の確保のために 友人宅にいく。
ありがたいことに、お風呂に入るように話をもらう。
 家族は、本当に久しぶりに、お風呂に入ることが出来た。
ありがたいことだ。

2011年03月21日

風評被害は、防げ。

昨日 集落の会合がある。
話題は 地震。
幸い私の集落は 建物の倒壊があったものの 被害は少なかった。
みな 元気だ。
今年の稲作の見通しについて 話をする機会があったので 土地改良区関係の施設の
復旧見通しについて話しをする。
 最後に 被害の少なかったこの角田の最大の使命は、 これからの来年にかけての
お米を少しでも多く生産することだ。 農作業が出来るようになったら 少しでも早く
田んぼに出て 農作業を進めようという話をする。

 ところで、アエラという週刊誌がある。
創刊初期から定期購読している。 創刊時の編集幹部と知り合いだった縁で購読するようになった。
 今月号の 表紙見てビックリ。 二男が 朝日新聞 頭がおかしくなったんではという。 防毒マスクをしている顔がアップ。
なんだこれは、 ただ単に恐怖をあおっているだけではないか。
 何の目的で こんな表紙にした!!!!
本当に 朝日新聞もおバカさんになった。

福島原発が 隣の県に位置する我が地域 原発の問題は他人事ではない。
 原発に関しては、すでに福島県 茨城県の農産物に風評被害が出ている。
明らかに人体に影響するような 状況だったら出荷はを自粛するのは当然だ。しかし
今の数値は 人が食べても、大丈夫だとNHKのニュースでも報道しているではないか。 NHKの報道が信じられないというのであればこれは別問題だが。
この間の動きを見ていると、農薬を否定し無農薬農産物を求めている、ごく少数の低レベルの通称インテリ層の身勝手さの行動と似ているように思える。
 現実を直視し 明日に向かって生きる知恵を結集し、この際 原発賛成・反対派も含めて 恐ろしい原子力の力を借りて 近代的利便性に富んだ生活を享受してきた。
この現実は、ショウガナイことだ。
問題は、これからをどうするかだ。
 地震災害の真っただ中に住んでいるい者にとって、東京から報道は極めて身勝手だ。
現実を共有して明日を共に生きる気概を感じられい。
 NHKの報道が真実伝えているかを検証しても、今は何の意味もない。
この際 NHKの報道を公共放送と信じ、福島産、茨城産の農産物の原発による放射能レベルが当面 人体に影響ないというのであれば、少なくとも福島原発の電力を享受してきた首都圏に住んでいる人達は、風評被害をあおる行為をすることではない。
福島産・茨城産の農産物を 進んで食べる事で現実を共有し未来を語る事が人としての仁義ではないか。
 
 それにしても、東京都知事はじめ 首都圏の通称インテリ・文化人の身勝手は
どんな教育を受けてきたのか・・・・・.
万が一、私の住んでいる宮城県人まで 避難ということになれば 狭い日本 何処に
避難すればいいのか。
 東京の人が 受け入れてくれるのだろうか。
生き残るためには、多少の汚染された食べ物でも NHKが大丈夫というのであれば
皆 等しくたべて現実を共有し それから未来 将来を語るべきだろう。
 東北の地に向け 東京で立派な知事室にフンズリかえって人様に説教する前に
謝罪の言葉をまず発っすることだ。まだ聞いていない。
いま人体には影響ないとNHKがいう、いま風評被害に苦しんでいる、百姓の作った野菜を記者会見の席上で食べるべきだ。
 それが 東京の知事がやるべき大切な行動のひとつだろう。 

2011年03月22日

電気が来たのですが 水道はまだ。
水道工事は 終わったようですが 海岸にある下水処理場か壊れ 汚水を流すことが出来なくなり
マンホールが あふれ出してきて 水道が流せないという。
 人は食った分 出す。 当たり前の事ですが 便利な世の中 いざというとき ほどほど困ったものだ。 本当に人が便利という事は ただ単に 本人がやるべき事を
誰かに 依存しているだけのことだとという事が 実感する毎日。
自分でやるべき事は自分で処理する。 この基本が 簡単に出来ない世の中になってしまったようだ。
 非常時は、常日ごろ便利な生活をしている人ほど 不自由な生活どころか命さえ維持できなくなる時代に生きているという事も実感。
都市型社会は、非常にもろいものだということも実感。

そんな、毎日を過ごしている。
今日は、田んぼに水を引くためのパイプラインに 通水して破損状況を確認する。
 大きく破損していない事を 祈るだけだ。

数年前に NHKのラジオ深夜便のレポーターをしていたことがある。
毎回 放送直後に 必ず電話をいただいた人がいる。
石巻に住んでいる 片倉さんだ。 年輩の方だ。家にも数回 来てくれた。
今回の地震と津波で 大きな被害があったところだ。
気になっていたが連絡が取れず心配ししていたが 一昨日の夜 漸く携帯電話で連絡がついた。 家は壊れたものの 避難して無事だという。
いま、蛇田小学校に避難しているという。 角田から100キロぐらい離れているだろうか。
今すぐにも 会いたいのだが ガソリンがない。
 一人でいるという。 高齢なので心配だ。  残念。
燃料の手配がつけば 早くいきたのだが。

2011年03月23日

パイプライン通水可能

昨日一番心配していた 田んぼの用水パイプラインの損傷。
関係機関の努力で 試験通水をすることができた。
 結果は 三か所ほど 破裂の個所があったが 補修可能な範囲。
かたずをのんで、ポンプの電源をいれる。
 一番心配していた破損予想箇所は 漏水がほとんどない。
おおいに安心。
これで、一気に農作業への力が入る。
 作付も 予定通りに進められるようだ。

被害の少なかった 角田の百姓の最大の使命は、少しでも多くの お米を作ること。
また余震が 続く

2011年03月24日

これから農業

昨日 午後から水道が通水可能となった。
 約2週間ぶりに ゆっくりとお風呂に入ることが出来た。
大津波の被害で 避難している人の事を思えば 申し訳ないという気持ちがあるが、
水道は ほんとうにありがたい。

夜 東京からのお見舞いの電話をいただく。
東京も節電で 夜は普段より暗くなったという。
華々しいネオンの光は、少なくなったという。
 震災の復旧のメドは まだまだ 見通せないが 新しい社会システムが生まれてくる。だろう。

 東京も福島原発事故の放射能の影響が出てきたようだ。
当然だろう。それだけ放射能の影響は 広範囲にでるということだ。
しかし、農産物の農薬問題と同じように あまりにもヒステリックになってもショウガナイ。 この際 国が安全だという許容範囲であれば 水でも 野菜でも 美味しく
食べればいい。 放射能の害よりも 精神的ストレスで病気になるほうが確率的には
絶対多いはずだ。 狭い日本 放射能からは 何処に逃げても同じだ。
 いまこそ 腹をくくって 国の発表を信じ 多少の放射能はミネラル分と思いたべることだ。 現実を共有する行為と覚悟がなければ、これからの日本の未来は語れない。
そうでなければ 福島原発事故で避難している 福島県の人達やこれまで都会生活を支えてきた多くの田舎が うかばれない。

この震災をナンとしても乗り越え、新しい日本を築く。
その際の 答えのひとつとして これから農業 だろう。
昨日は、土地改良区総代会。

2011年03月25日

土地改良区で午前中 今年度の維持管理工事完成検査で管内を見て歩く。
午後から 本年度の用水実施計画会議。
完工検査の途中 仙台平野に位置する名取土地改良区の総代をしているという人が
現場で働いていた。 仙台平野のど真ん中に位置する名取。
今回の地震と大津波で海岸線は 壊滅的な被害を受けたところだ。
話を聞いてびっくり。
あの広い名取耕土で今年 稲を作れるのは三分の一位だという。
津波で冠水したところは今年の作付は難しいだろうとは 思っていたが事態は、それよりも深刻だというのだ。
津波で主要河川が下流で壊滅的被害を被り、上流で稲を作付した場合 その排水が出来なくなり 災害復旧工事に支障が出るというのだ。
 上流の田んぼの作付も制限せざるをえないのだという。
予想もしない事態だ。
こんなことでは、今年の稲の作付は全国でどのようになるのだろうか。
生産調整なんて言っていられるのだろうか。
 満足にコメが作れるところに 稲を作付しなければ 来年 日本で食べるコメは 大丈夫なのだろうか。
 その辺の話が 政府から 全く伝わってこない。
ナニしてるんだ!!!

昨日の情報に 次のようなものだある。

農水省が23日、東日本大震災による津波で浸水した田畑が岩手、宮城、福島の3県で約2万ヘクタールに達するとの調査をまとめた。阪神大震災での田畑の被害面積の100倍の規模だ。
農業を再開するには、海水がもたらした塩分を田畑から取り除くなどの作業が必要で、今後の作付けに甚大な影響が出そうだ。国土地理院が撮影した衛星写真や現地調査に基づき、農水省が分析した。
内訳は岩手が1800ヘクタール、宮城が1万3千ヘクタール、福島が5400ヘクタール。仙台平野や北上川河口付近が広範囲に浸水した宮城の被害面積が最も広く、同県内の田畑の9.5%を占める。
青森や茨城などでも田畑の浸水は起きたが、今回の結果には含まれていない。

おそらく 作付不可能な田んぼは、津波の被害地で冠水した田んぼでなく 農業施設の
損壊等で作付不可能な田んぼが相当出るだろう。
その数字は 政府はつかんでいるのだろうか。

本日の会議で、角田土地改良区の 用水開始は昨年同様にすることを 機関決定する。
遅れていた農作業を 進めなければならない。

2011年03月26日

これからが たいへん

今朝は うっすらと雪が積もっている。
寝ていても寒いと思った 雪。
今年の春は 寒い。
 昨日 種籾の塩水選等をする。
農作業を しっかりやることが いまの自分に与えられた一番の役割。

 郵パックもようやく一昨日から 動くようになった。
首都圏で 待っている多くのお客様に はやくお米を届けたい。
角田郵便局の 支店長に よろしくお願いする。
 

荒涼とした風景

知人の様子が気になり 家から30分程の所にある海の町に行く。
幸い自宅は高台にあり 津波の被害は少なく 庭先まで津波が来たものの
自宅にはあがらなかったという。
途中 海辺の街なみを見たが 本当に壊滅的被害だ。
 道路は車が通れるようになったが、両脇は がれきの山。
荒涼とした風景がつづく。
このような風景が 茨城県から青森県の太平洋沿岸に延々と続くと思うと
背筋が凍る。

 なんとも言葉が出ない。 

2011年03月27日

放射能と みそ汁

午前中 風のない 穏やかな天気。
育苗ハウスのビニールかけをする。
子供たちの手伝いをもらう。
午後から 作業場のかたずけを兼ね 籾すり作業。

福島原発事故による 放射能汚染が深刻化している。
 体内からの放射能物質の除去には 赤味噌 仙台味噌が有効だという。
これは科学的にも証明されている。
 チェルノブイリの事故の際 日本から大量の味噌が輸出されたという。
長崎に原爆が投下された際、 わかめの味噌汁を飲んでいた人が 被害が少なかった
という。 放射線治療に携わっていた医師等の研究もある。

意外と 日本の伝統食 ご飯とみそ汁が 日本を救うかも。

2011年03月28日

まだ続くガソリン不足

地震から17日が経つというのに ガソリンスタントには2キロから3キロに及ぶ
車が並ぶ。
正しく異常事態だ。
水道と電気が復旧し 地震の被害が企画的 少ない角田市は普段の生活にもどりつつあるが なんとなく落ち着かない毎日だ。
阿武隈山地の向こう側に位置する 浜辺の惨状を 思うにつけ気がめいる。
 
それにしても 、原発事故が収まらない。 人間の英知を結集し作りあげた原発。
その原発を コントロールできずあえいでいる。
 人の英知等 些細なものかもしれない。 百姓仕事は、命と直結する仕事だ。人が生きている限り食べ物を生み出さなければならない。
自然と向き合い、常に「想定外」を「想定」して 稲を作り続けてきたといえる。 それだからこそ、幾多の大災害 に遭遇しても 「百姓の来年」「いつまでたっても一年生」という言葉が示すように 未来を信じ素直な思いで田んぼにむかってきた。
 春になり 種を蒔けば 新しい命が芽生える事を知っているし、その命を育む事によって 新しい未来が見えるからだ。
 しかし、今回の原発事故の関係者から出る言葉は、 「想定外」という言葉しかない。 後がないではないか。 想定外の現実に直面し 想定外を想定していなかった
では済まされない。 なんとしても、いち早く原発事故を収めて欲しい。
そうでなければ、明日へ向かって 生きる活力が生まれてこない。
 津波の被災地の復興にむけ 国の全勢力をかたむけてほしい。
いま尚 何十万人という人が 希望を見出さずに困難な日々をおくっている。
 政府は 何してるんだ!!!
いつまでも 東京中心の報道や考え方はやめろ!
 震災に遭遇した 多くの被災地も日本だ。 そこには 多くの日本人が住んでいる。
 
津波という自然脅威には ただただ 茫然と 素直にひれ伏すのみだ。 しかし、人災ともいえる今回の原発事故は、怒りだけが込み上げてくる。  なぜだろうか。
 
 今日も一日かけ、土地改良区のパイプラインの 試験通水。
我が村の 田んぼのライフラインともいえる用水パイプラインは 復旧の見通しがついた。 あとは 田んぼ仕事を急ぐだけだ。 

2011年03月29日

命を繋ぐ

新聞に 福島県の野菜農家が 福島原発事故の放射能汚染による野菜出荷及び摂取規制
が決まった 翌日 自殺した という記事が載る。
 同じ百姓として、なんとも 痛ましい やるせない気持ちになる。
有機農業を志し 30数年間 畑と向き合ってきたという。

 たぶん 人一倍 命の大切さを日々感じて有機農業に取り組んできたのだろう。
 
  合掌

 農業という仕事は、有機農業とか近代農業とか その区別を問わず命を育み
命を人々に繋ぎ その命ある食べ物を人々はいただき 人は未来に命を繋いでいく。
 
どのような農業であれ、農業という仕事に携わった全ての人は 命を感じ食べ物を作り続けきた。 全ての百姓は 日々 命の大切さ 生き続けることの大切さを感じて
田んぼや畑に 日々 向かっている。
 人が生き続ける限り 百姓の仕事は続くのだ。 やるべきことはたくさんある。

2011年03月30日

原発事故は、国家的人災だ!

ガソリン不足でスタンドの行列は まだ続いているが、これもあと数日で解消するようだ。
田起し作業等 農作業をはじめまた。
 徐々に 普段の生活に戻りつつある。
県道を走る 災害復旧支援の横断幕をつけた自衛隊の車両や 大型ヘリコプターが轟音を響かせ空を飛び交う
様が また震災の真っただ中にいるのだという事を実感するする日々が続く。

土地改良区のパイプラインの試験通水を 今日も午前中行う。
比較的小さい機場の試験通水をしたが、一部 大きく破損している個所が見つかる。
早めの手当てをすることを確認する。

福島原発事故は、国家の総力をあげて早く 収めろ!
これ以上 苦しめるな!


2011年03月31日

震災後3週間

震災から3週間がたつというのに 角田市内のガソリンスタンドには ガソリンを求めて車の長蛇の列が続く。
 いまだに震災被害の全容が 明らかになっていない。
福島原発事故は いまだに収束の見通しがたっていない。
 詳しくは 分からないが、3号炉がプルサーマルを使って発電しており数倍危険であるとう。 これは、事実だ。 プルサーマルは、海外ではあまりに危険であり、日本のみが昨年からやりはじめた発電だという。それも最新鋭の原発ではなく老朽化した発電設備だという。

 素人なので よくわからないが、 東京電力と 国は お金と経済効率だけを求めて
人の命を 考えず がむしゃらな経営をしてきたようだ。
 管総理大臣は、東工大の応用物理の出身のため、自分は一番原子力に詳しいといきまいているそうだが、 そもそも東大や東工大は 政府の御用学者が多いではないか。
その教え子が、果たしてマトモナ知識を持っているか はたはた疑問だ。
そんなに自信があるのなら 一刻も早く原発事故を収めて欲しい。
 国の威信をかけこれ以上 放射能汚染を拡大させるな!

本当に 大丈夫なのか。今の政府で。

 素人でも 現在 福島原発で進行している事故は 相当ヤバイ事だということは直感
できる。

しかし、いまさら じたばたしてもショウガナイ。 この角田を離れて暮らす気は全くない。 腹をくくってここで生き抜く覚悟をするだけだ。
俺の役目は、来年食うコメを作ること。
それだけだ。

About 2011年03月

2011年03月にブログ「だだわらす子のひとり言」に投稿されたすべてのエントリーです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

前のアーカイブは2011年02月です。

次のアーカイブは2011年04月です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。