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2011年12月 アーカイブ

2011年12月01日

仙台で初雪

今日から12月。
今年も残すところ一ヵ月だ。
初冬にしては、暖かな日が続いていたが 12月の声を聞いたとたんに寒気がやってきた。
角田では 雪が降らなかったが 仙台で初雪を観測したという。
少しは寒さが続いて欲しいものだ。

2011年12月02日

一番の寒さ

今朝は一番の寒さ。
あたりが霜で真っ白になった。
12月だから当たり前だが、この冬初めてのことだ。
それでも、例年よりも暖かな日々が続いている。
いろんなことがあり過ぎた 今年一年。
残すところ一ヵ月。時間だけが過ぎてゆく。

2011年12月03日

大雨

一日雨降りとなる。
気温は 高く異常な陽気。
夕方には雨は止んだが、大雨となる。
師走となったが 暖かな陽気が続くと年末の気分がわかない。

2011年12月04日

忘年会

昨日の大雨で田んぼに 水がたまった。
水があるうちに 田起こししたほうが 機械に泥が付かないのでスムーズに作業が出来る。 一気に田起こし作業をすすめる。
 夜、福島県飯坂温泉で 消防団幹部の忘年会がある。
夕方家を出て、飯坂温泉へ。
今年初めて飯坂温泉へいく。
本当に久しぶりだ。
 宴会にやってきた若いホステスさん 曰く、福島のお百姓さん本当にかわいそうだ。
せっかく育てたお米や りんごが売れなくて困っている。 俺たちなんにも 悪いこと
していないのに 米が売れない・・・・。と涙を流して語るお客さんもいるという。
 それでも、この若きホステスさん 口説いてもショウガナイ。 ピンチはチャンスのはじまり・・・・・。と思い常に前を向いて生きていくのだと笑っていた。
このエネルギーこそ 明日を開く力になる信じる。
 福島県には、生まれ育った土地にしがみつき 震災前と同じに、日々暮らし続けている多くの人達がいる。 その人達の思いを忘れてはいけない。
時間は確実に動いている。

2011年12月05日

あっと言う間に過ぎていく

師走に入ったと思ったら5日過ぎた。
時間はあっと言う間にすぎていく。
大晦日まで 暦をにらんでの仕事が続く。

2011年12月06日

研修会

午後から仙台で 6次産業化の研修会が開かれる。
七十七銀行本店が会場。
地方銀行も農業の産業化に向けこれから力を入れていくようだ。
今後のために 研修会に参加する。
農業もいよいよ変わるざるをえない。
待ったなしの時代になった。

2011年12月07日

連日の会合続く

籾すり作業等、米の整理作業を行う。
暦を眺めながら 計画的に仕事を進めないと年内中には終わらなくなる。
毎晩のように 会合が続く毎日だ。
また暖かくなった。

2011年12月08日

会合の日々

午後から土地改良区の理事会。
その後研修会。
年末にかけて 会合が続く毎日だ。

2011年12月09日

籾すり作業

年末に向け農作業を急ぐ。
籾すり作業等で一日過ぎる。

2011年12月10日

見事な満月 皆既月食

昨日に引き続き 籾すり作業。
夜 見事な満月。
きれいなお月さまが 夜空を照らす。
深夜から皆既月食が見られたが 疲れたため早めに寝てしまった。

2011年12月11日

作業場整理

籾すり作業等 作業場の整理をおこなう。

2011年12月12日

復興へ向けて

昨日 福島大学を会場にACF震災復興フォーラム ふくしまの高等教育機関における震災復興への取り組み と題するシンポジュウムが開かれたという。
福島県内の大学はもちろん、首都圏の大学の放射線はもちろんあらゆる分野の研究者の
英知を結集し震災復興へ向けてのプロジェクトがはじまったという。
そのメンバーのひとりで法政大学の石井さんがその帰りにわざわざ訪ねてきた。
長男が埼玉でおせわになっている 見沼福祉農園のメンバーひとりだ。
京都大学で地球科学(岩石学、火山学)を学び 東大大学院では造園学をまなんだという若手研究者だ。
先月はじめに、ベラルーシ・ウクライナ福島調査団の一員としてチエノブイリを視察してきた時の話を聞いた。
たいへん興味ある話を聞く事が出来た。

これから 生きる糧となるポジティブな物事の支援を! という目標にむかって研究を進めていくという。
角田も、この生まれ育った角田の地で生きていくための知恵を学ばさせてもらえば
嬉しいものだ。

 

2011年12月13日

まだ遠い復興の兆し

午前中 長泉寺役員会。
この夏から父に代わり長泉寺総代となり 初めての役員会に出席する。
顔見知りの多くの先輩の皆さんと一緒にお寺さんのお世話をすることになった。
これも縁だろう。 そんな歳になったのだと思うと感慨深い。
午後から 東京工業大学の武井先生ほか10数名の学生さん達がやってきた。
震災復興支援ということで、七ヶ浜の学校にパソコン等を届けるために昨日から
宮城県にやってきたという。
帰り道 わざわざ角田にも挨拶ということで訪ねてきた。
折角の機会なので、角田の状況を説明しながら意見交換をする。
また、津波の被災地も案内する。
久しぶりに津波の現場を訪ねたが、大津波の傷跡は深く、復興の兆しはまだ感自る事は出来なかった。
 

2011年12月14日

残すところ半月

籾すり作業等 作業場の片付け作業をする。
今年も 残すところ半月あまり。
暦を眺めながらの農作業は続く。

2011年12月15日

感謝の気持ち

17年以上前からお米を届けている埼玉県の福祉グループのみなさんに 今年最後の
米の発送をする。
4人の仲間と共に取りくんできた。
 今でこそ 個々でお米の直販をするコメ農家が多くなったが、我が家でコメの直販事業をはじめるきっかけになったお得意さんだ。
 この間 世の中大きく変わった。
それでも 私たちのお米を買い支えていただいている。
今年は 特にあたたかい ご支援をいただいた。
ありがたいことだ。
埼玉の福祉グループの皆さんは、人一倍食品の安全に関して関心を持ち、しかも知識は
豊富だ。 私達と同じお米を食べて 日々暮らし続けている。
これこそ、真の連帯がはぐくまれる。 
厳しい世の中、なによりの励みになる。

2011年12月16日

初雪

一気に真冬並みの寒波がやってきました。
日中から雪が降り始め、雪景色に。
角田は、初雪 初積雪となりました。
今までが 暖かかったため 今日の雪にはビックリです。
暦を見れば 12月も半ばを過ぎもうすぐお正月。
雪が降っても おかしくない季節です。
突然の初雪にビックリ。
それだけ、この初冬は暖かい日が続いていました。

2011年12月17日

銀世界

昨日の夕方星空が見えたので 雪は止んだと思ったが、今朝おきるとあたりは銀世界。
朝方にかけて数センチの積雪があった。
雪が降ると、景色が一変する。
日中にかけて 殆どの雪は融けたが寒さは続く。

2011年12月18日

JA衰退

夜 JA角田市青年部50周年記念の会合がある。
JA青年部の会合に久しぶりに出席する。
感想 JAの力は随分衰えたものだ。
それだけ。

2011年12月19日

申告会研修会

夜 農業所得申告会・アグリパソコン研究会の研修会その後 懇親会を行う。
会員の殆どは、お母さん達。
今回の研修会は、放射能問題。 
現状の報告と これからの課題を 普及センターの職員を招いて行う。
国の対応が 後手後手で 生産現場を指導している普及センターでは混乱しているようだ。 放射能の測定値ひとつとっても その数値を確定するもの相当やっかいのようだ。 とんでもないエネルギー物質に将来を委ねようとしていたことは確かだ。 
この放射能問題 本当に悩ましいことだ。

2011年12月20日

寒さ続く

作業場の整理もほぼおわる。
外の仕事も 来年の稲作に向け土壌改良剤散布を残すのみとなる。
明後日気は、天気が崩れる予報。
午後から、土改剤散布作業の準備にとりかかる。
ここ数日寒さが続く。

2011年12月21日

最低気温マイナス6度

今朝の最低気温マイナス6度。
一気に下がりました。
早朝あたりは 霜で真っ白。
寒さで顔がピーンと張りつめます。
明日は冬至。
昼の時間が 極端に短くなりました。

2011年12月22日

冬至カボチャ

今日は冬至。
冬至カボチャをを食べ ゆず湯に入る。
毎年 同じことの繰り返しだが、例年通りユズ湯につかれるしあわせを感じる。
特に 今年はなおさらだ。
 延々と続いてきた 何気ない日々の暮らし。
その営みを 三月の大震災そして福島原発事故によって、一瞬のうちに奪われた 多くの人達がいる。 その思いを思うとき、言葉はない。
何気ない日々の暮らしを過ごすことが出来る幸せをに感謝したい。

 それにしても、放射能問題は年が明けても 出口が見える様子はない。
厚生省から新しい安全基準が示されたが、生産現場の混乱は一層 深まることが予想される。 
下手をすると、放射能の加害者は、 農畜産物の生産者だ。 なんてヘンテクリンなことになることも考えられれう。
 農畜産物の生産者は、放射能の被害者だ。 

本当の加害者は、東京電力と日本政府だろう。

そこのところを、間違えたらとんでもないことだ。
放射能問題を 騒ぐのはいいが、現実に出来ることと 出来ないことを見極め 冷静に
行動することが求められる。
騒げば騒ぐほど、社会の底辺を支えている弱小の百姓はじめ、農畜産物の生産者が窮地に陥ることになるだろう。
 

2011年12月23日

残すところ一週間

今年も残すところ一週間。
ここ数日 冬らしい寒さが続いている。
慌ただしい日々が続いたこの一年。
残る一週間は、落ち着いて過ごし 新たな気持ちで新年を迎えたい。

2011年12月24日

クリスマスイブ

作業場や大豆コンバインの掃除等を行う。
クリスマスイブだが 雪のないクリスマスとなる。
クリスマスが過ぎれば一気にお正月にむかう。

2011年12月25日

忘年会

ここ数日 寒さが続いている。
朝 田んぼに薄っすらと雪が積もったが、日が昇るとたちまち消えた。
今夜も忘年会があった。
辛かった今年一年が、早く過ぎ去り、来るべき新しい年が、佳い年になることを祈るだけだ。 ことしも いよいよ残すところ数日となる。

2011年12月26日

決算会

今夜も忘年会。
うまいコメ研究会の22年産米の決算報告を兼ねて忘年会をする。
来年度の作付方針も確認する。
懇親会の話題の中心は、放射能問題。
その対策は、来年度の大きな課題となる。

2011年12月27日

大いに苦言をいう

役所も明日で御用納め
農業公社の理事会が開かれる。
今年は いろんなことがあり過ぎた。
今年のことは 新しい年に少しでも引きづりたくないとう思いで、
事務局に 一言ならず大いに苦言を言わせてもらう。
 来年こそは、いい年になることを祈って・・・・・。

2011年12月28日

御用納め

今日は 年に一回 杵と臼で餅をつく日。仙台からいつもの友人もやってきた。
風もなく空気は冷たくとも暖かな一日。
子供たちの姿は少なかったが 応援もいただき フックラした美味しい餅が出来上がった。
役所は、今日で御用納め。 百姓の仕事納めは 大晦日まで。
役所に用事もあったので、公社に立ち寄りご挨拶。 今年のことは忘れ 新しい年には大いに仕事をしましょう。よろしくと 挨拶をしてくる。
いよいよ 今年も残すところ数日となった。

2011年12月29日

ホームページ更新

今年も残すところ 僅か。
暮れの挨拶に回る。
今月分のホームページの更新も遅れていたが、一気に整理して管理人の山中君にアップしていただく。
今年は、大震災以来 生活のリズムが狂い 更新も遅れ気味だったがナンとか 今年一年も 乗り切ることが出来た。
山中君には、感謝・感謝。
 挨拶まわりも少し残ったので 明日には済ませて大晦日を迎えたい。

2011年12月30日

いよいよ残すところ二日

トラクター等の農機具を洗車を行う。
時折 小雪が舞う寒い一日だったが、この一年の農作業のお礼を込めて洗車する。
挨拶 まわりが残っていた分を夕方にかけ行い、一年の気持ち的にも区切りをつけ
新年を迎える準備をする。
今年は、格別の思いがする年の瀬だ。

2011年12月31日

大晦日

大晦日。
風もなく あたたかな大晦日を迎えた。
今年は、いつもの年より、早く正月を迎える準備をする。
 親父さんが 早くから準備を進めてくれた。
落ち着いて 新年を迎えたい。
来る年が 良い年でありますように。
 

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