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2012年03月 アーカイブ

2012年03月01日

いよいよ三月

いよいよ三月。
田んぼの雪は、相変らず消えない。
本格的な農作業もはじまる。
このままでは、まだしばらく田んぼに入れない。
 お天気様 のご機嫌を伺いながら今年のコメ作りは、はじまる。

2012年03月02日

大雪

日中の最高気温2度。
午後から 雪が降りだす。
さすがに三月。
湿った雪だ。
夜も 降り続く。
15センチぐらいの積雪となるだろう。
この雪で またまた農作業は遅れる。

2012年03月03日

春よ来い

日中の気温が なかなか上昇しない。
最高気温が3.9度。
田んぼの雪がなかなか消えない。
天気予報によれば、また天気が崩れるようだ。
ひな祭り。
暖かな春の日ざしが 待ち遠しい。

2012年03月04日

春の防火予防運動

朝8時市役所集合。
春の防火予防運動が始まった。
消防団幹部が集まり、数班に分かれて市内の防火予防広報パレードを行う。
この三月で消防団も引退する。
消防団の服を着て、活動するのも最後だ。我が北郷村と隣の西根村を婦人防火クラブ
の幹部と共に広報活動を行う。

相変らず 寒い日が続く

2012年03月05日

雪から雨

 来客の多い一日だった。
本格的な農作業が始まるのを前に、これからの営農計画に関する関係機関のご指導をいただく。
朝起きると 雪降り。
昼に近づくにつれ、雨となる。
この雨で、田んぼの雪が一気に消えると良いのだが。
明日は、春の様な陽気になるようだ。

2012年03月06日

最高気温12度

何カ月ぶりだろうか。
最高気温が10度を超え12度まで上昇。
この暖かさで、田んぼの雪が一気に融けだした。
 田んぼは、水が溜まり代掻きできるくらいだ。

日差しも明るく、春を感じる陽気となる。
また 寒さがやってくる予報だが、確実に春がやってきた。

2012年03月07日

春一番

夜から 春一番を思わせる暖かな風が吹く。
田んぼの雪が 一気に融けだし夕方には殆ど消える。
最高気温も10度を超える。
午後から、田んぼにゼオライトの散布をはじめる。
天気が続かないようだ。
農作業も遅れ気味だ。
時間だけは 確実に過ぎていく。

2012年03月08日

所得申告完了

角田市アグリパソコン研究会(JA農業所得申告会)で 本年度の所得申告を行う。
Eタックスで申告が出来るようになってから、申告会で申告日を決め、税務署より税理士さんを
派遣していただき 代理送信による申告の普及活動をしている。
数年前にEタックスが始まった当初は、使い勝手が悪かったが 税務署の協力により、環境整備も整い今年はスムーズに申告出来た。 年々 会員の利用も増えてきている。
 これから、農業経営を続けていくためには、青色申告は必須のものになるだろう。

 否が応でも、青色申告者は増える。それに対応するためにも、会の運営に力を注ぎたい。

2012年03月09日

春遠し

日中の最高気温5・5度。
昼にかけ、小雨が降りだす。

またもや 寒さが戻るようだ。
今年の春は、本当に寒さが続く。
天気が 悪すぎる。
田んぼは 水浸しの状態だ。

2012年03月10日

またもや 雪が降る

なんという年だろう。
今日も午前中 雪が降る。
最高気温も2度。
真冬の寒さが続く。
三月も中旬だというのに、田んぼは雪景色。

本格的な農作業がはじまる時期だというのに 田んぼ仕事が進まない。

2012年03月11日

あれから一年

種モミの塩水選作業をはじめる。
最高気温3.6度。 寒い日だ。
一年前の今日。
同じく種籾の塩水選作業をしていた。
午後2時46分。
これまでに感じたことのない大きな揺れ。
東日本大震災が起きた日だ。
あれから一年。
角田市は、内陸部のため大津波の被害こそなかったが、建物の倒壊や下水道施設などに
大きな被害があったものの、 太平洋沿岸部に比べればその被害程度は少なかったといえる。
しかし、いま 東京電力福島原発事故による 放射能害とその風評害が地域の暮らしに重くのしかかってきている。
 その解決策が 全く見えないことから将来への不安だけが増す日々だ。

それでも、今年も春が来た。
いつものように 種籾の準備作業をはじめた。
人が生きている限り 食べ物が必要だ。
いつものように 淡々と農作業を進めるだけ。
それが、百姓に与えられた仕事だ。
何処にも逃げ出さず、生まれ育ったこの角田で生きていく。
 今年の4月から 国の放射能食品安全基準値が 500ベクレルから五分の一の100ベクレルに
たいへん厳しくなった。
 農業の生産現場も その対応に大きく振り回されている。
しいたけ栽培農家の仲間は、廃業に追い込まれた。
安全基準値が100ベクレルという 厳しい基準値になっても風評害は収まらない。
 放射能の被害は、分からない。 分からないから怖い。 
怖いから、排除する。  馬鹿げた構図だ。
そもそも、人の明日の暮らしこそ どうなるか分からない。
その不安の中で生きている。
それでも、明日を信じて前を向いて生きている。
今年も、明日 食べるためのコメ作りははじまった。

2012年03月12日

日差しは明るく

昨日に引き続き、塩水選を行う。
気温は、6.5度。
昨日に比べ、暖かく感じる。
作業もスムーズに進む。
 それにしても、今年の春の訪れは遅い。

2012年03月13日

困ったものだ

夕方5時。
角田市役所で 放射能対策の一環として実施される、カリ肥料散布に対する会議が開かれる。
昨年の東京電力福島原発事故による 放射能汚染害は、とんでもないことろに影響が出てきている。 放射能の問題は、過去における放射能に対する複雑な多種多様な思いや問題も絡み、一筋縄
では、片付けられない問題となっている。
 それぞれの立場で 放射能の問題を論ずるのは大いに結構だ。 しかし、現実は放射能に対する
過去の見解の相違や、怨念とも思える意見の対立の弊害は、 全て末端の一番弱い 生産者や行政やJA等の大きな組織を信じ 日々全うに生きている人々の暮らしに 影響が出始めてきている。
 いま、問われているのは、政府をはじめとする行政関係者と JA等の大きな組織に従事している
人達の良識ある見解と行動だろう。

 それが、大きく揺らぎだしている。
 大局を見据えた具体的行動や見解を出せないまま、自らの責任の範囲(自己保身)
だけで 物事を判断し結果として、一般市民にそれを もっともらしく強要している。
という大きな罪を犯しているということに気付かないまま 仕事をしているということだ。

放射能の除染問題で、貴重な税金が 闇雲に 無駄に使われだした。

2012年03月14日

気温が上がらず

ゼオライトの散布をする。
田んぼは、水が溜まり決して良い条件ではないが、いま田んぼに入らないと暫く入れないとの判断で散布をはじめる。
もうすぐ彼岸の入り だというのにまだ寒さが続く。
毎年 春の彼岸には ヨモギの新芽を摘み取り 草もちをお供えするのだが、今年の寒さでまだ芽生えていない。
今年は お彼岸に草餅が食べられないかもしれない。

夜 消防団の分団幹部会が開かれる。
消防団の会議は、これで最後だ。
消防団の法被と幹部の制服を クリーニングに出し 後任へ引き継ぐ準備をはじめる。

2012年03月15日

田んぼ通信

月一回発送している 埼玉県の福祉グループへコメの発送。
仲間4人でお米を届けるようになって18年目を迎える。
発送の度に A4レポート用紙一枚に 田んぼ通信を書き お米と一緒にお届けしてきた。
今回で210号。
昨年の大震災以降  特に東京電力福島原発事故による放射能汚染による 風評害についての
想いは募るばかり。
最近のガレキの処理等に対する低レベルの放射能に関する、日本人のあまりの理不尽さに、あきれるばかり。  東京電力福島原発、そのほとんどの電力を東京 ・首都圏の人が使っていた。 原発事故によって発生した 放射能汚染。 とんでもないゴミを 東北各地にまき散らしておきながら 都市生活者は、そのゴミはいらないという。大地震や大津波の被災者が、いま どんな想いで暮しているか。 

いろんな見解があるだろうが、原発は高等教育を受けた日本人が作りあげたもの。
いわば時代の象徴ではないのか。今の時代を共有する気概があれば、国が新たに定めた、世界一厳しい一般食品の安全値・放射能セシウム100ベクレル以下であれば 自信を持って食べて欲しい。
高等教育を受けた者ほど、率先して食べるべきだ。 国が安全だという基準値100ベクレル。多くの議論を経て定めた安全基準。  安全にそれ以上もそれ以下もない。
いま生産現場では、それに対応すべく とんでもない苦労と大きな財政的負担を求められている。

大学で何を勉強してきたのか。 最近の学問は、極めて分断された狭い世界で 重箱の隅をつつくような知識をヒケラカシ 得意になっているだけではないか。

物事は、全ての現象が複雑に絡み合ってトータルとして形成されている。 大きな視点で将来を見据えて行動するという事が出来ない馬鹿な 高等教育者なる者を多く見かける。
 低レベルの放射能に対し何を怯えているのか。 高等教育が未来を拓くものと信じ、高学歴者を称賛し 国民全体で学歴社会を標榜してきた結果として 放射能セシウム生まれたものだろう。
いわば、いまの時代の産物として低レベルの放射性セシウムを受け入れ そのうえで将来を考えるべきではないか。
 今もって 理解不可能なのは、高学歴者が低レベルの放射性セシウムについて騒げば騒ぐほど、
放射能セシウム除染対策に便乗し 多額の無駄税金が闇に消えていくという現実。
世の中、それが現実。 低レベルの放射能で 頭まで低レベルになってしまった日本人が多いこと多いこと。
これから我が地域で実施されようとしている 塩化カリ10アール当たり30キロ無差別散布。基本である土壌調査を無視し強硬に実施しようとする道理がわからない。 どう考えても肥料会社とJA全農の儲けにしかならない。 世の中 全てはバランスが大切。
カリ肥料だけ とんでもない過剰投入すれば、栄養バランスが崩れ、コメの品質低下と食味悪化はあきらか。
 何処までも 百姓を食い物にしようとする道理が分からない。
それに 高等教育を受けたはずの 行政担当者も放射能で頭が馬鹿になりJAの愚かな行動に加担し理屈の通らない事を 百姓に押しつけようとする。

ヘンテクリンな社会現象が起きている。
他の除染作業も生産現場から見ていると 同じような商社が絡んだ税金の無駄使いとしか 思えない珍現状が溢れている。

 そんなことを 今回の田んぼ通信210号に書こうと思ったが、止めた。 

放射能問題は、あまりにも学者さん達の 怨念ともいえる権力闘争と巨大組織や商社を巻き込んだ どす黒い お金儲けの世界が広がっている。 
田舎の馬鹿な百姓が立ち入る世界ではないということぐらいは理解できるからだ。

2012年03月16日

床土準備

またもや 明日には雨の予報。
この春は 寒いし天気が続かない。

もうすぐ 種まき準備がはじまる。
作業場の増築予定で、育苗用の床土の準備が遅れていた。
ギリギリの時期に来たので、床土の搬入をする。
お天道様に お祈りするだけ。
早く春が来て欲しい。 天気が続いて欲しい。

夜 農業公社の今後あり方について 幹事会が開かれる。

2012年03月17日

彼岸入り

予報通り雨が降る。
小雨だが天気が続かない。
三月も半ばを過ぎた。
彼岸の入り。
お墓参りをする。
種籾の準備を急ぐ。
 4月上旬の種まきを想定して 農作業の準備を進めたい。

2012年03月18日

区総会

午前中 契約会総会。
午後から 区総会。
三月は、年度末。
各種団体の総会の時期だ。
日曜度に 会合がある。
区の総会で 幹部の一員として働く事になった。
いろんな会の世話役をしているので、断ることもできたが いちばん身近で大切な組織。
それが部落(集落)である。その0世話役を仰せつかったので、断らずに受けた。
忙しくなるが、精一杯やるしかない。

2012年03月19日

冷たい一日

最高気温5度。
しかも、冷たい西風が吹く寒い一日。
いつまでたっても、暖かくならない。
明日は彼岸の中日。
今年は、本当に天気が続かない。
農作業が遅れている。
天気の回復を待つしかない。

2012年03月20日

放射能とどう付き合うか

夜 角田市農業経営者会議のセミナーが開かれる。
「チェルノブイリの現状と今後の放射能対策」と題して講演がある。
講師は、この四月から福島大学で研究をはじめる 福島大学うつくしまふくしま未来支援センター
の特任助教 石井秀樹先生だ。
福島原発事故が縁で知り合った若手研究員。 京都大学や東京大学で学び これまで法政大学で
研究者として働いてきた。
 原子力災害の 現実を を明らかにしながら、その中でも制御可能なもの事を見出し、新しい生活
の在り方をデザインしていく。 というのが彼のテーマだ。

 現実として、東京をはじめ東日本全域に 等しく降ってしまった放射能物質。
その中で、これからどのように付き合い どのように未来を切り開くか。 
東京電力福島原発事故以来、 肩書は立派だが 頭が良いのだか、悪いのだか分からないような
放射能関係の学者の話だけがまかり通り、重箱の隅をつつくような 研究成果をヒケラカシ しかも放射能物質が少しでも高い値を見つけては得意になっているような生活感のない現実離れした学者が多い昨今。、うんざりしていた。
初めて会った時ら 少しはまともな学者だと思い、 いつかは角田に来て勉強会を開きたいと思っていた。
今回 実現できたしだいだ。 今回は 挨拶程度の勉強会だ。
これからも 角田というフィールドを使って この角田で生き延びるための方策を共に学んでいきたいものだ。

2012年03月21日

総代会

土地改良区の総代会がひらかれる。
今年も田んぼの用水時期がやってくる。
土地改良区の役員となって4年が過ぎた。
今年は 改選期だ。
一期 四年。 時間の経つのは 本当に早いものだ。

お米の お客さんで 元大新聞社の幹部の方がいる。
いまは、全ての公職を離れ暮らしている。
 
毎月一回 お米を届けておるが 今回こんなメッセージをいただいた。

「風評害」は、正確にいえば「過剰警戒反応」と言うべきで、原因は「情報不振」にあり根本的には
「核実用化への不信」があると思います。

2012年03月22日

最高気温14度

最高気温が14度。
久しぶりに 暖かさ。
しかし、風が強く春を実感することはできなかった。
 昨日からの強い風で、遅れていた床土準備が9割程終わる。
一月下旬以来 厳しい寒さが続き 例年よりも雪も多く田んぼが乾かない。
例年三月初めには 床土の準備を終えていたが、床土が乾かないため砕土作業が出来なかった。
その作業も ナンとか見通しがついた。
今度は、育苗ハウスの準備だ。

2012年03月23日

ひと区切り

天気予報では、夕方から明日にかけ雨から雪。
午前中静か。
育苗ハウスのビニールかけを行う。
昼すぎまでかかり 三棟のハウスを終わらせる。
夕方には、雨が降り出しが作業が遅れていて心配したが、 床土の砕土作業も完了し、
先ずは一安心。

夜 角田市消防団主催の 退団幹部団員の送別会を開いていただく。
消防団まる35年の勤務。
無事に勤めを終えることが出来 皆さんに感謝の気持ちを伝える。
自分にご苦労さんだ。

2012年03月24日

雪が積もる

朝おきると 5センチ程の雪が積もっていた。
なかなか春がこない。
夕方までには ほぼ融けたがこの雪で 田んぼはまたまた水浸し。
春作業が 本当に心配になる。
 虹の園の評議委員会。 そのほか雑用で一にすぎる。

2012年03月25日

復興は まだ

夜 角田市消防団 新旧幹部団員歓送迎会が 福島県相馬の松川浦の民宿で一泊で行われた。
松川浦も大津波で壊滅的な大被害を受けたが 高台にあった数件の民宿は被害を免れ、営業を再開している。
夕方 宿に着いでビックリ。駐車場が満車。 随分繁盛していると思ったが、近くの人が
お風呂に入りに来ているようで、その人達でいっぱいだったようだ。
 震災直後以来 久しぶりに訪れたが ようやく復旧工事が始まったばかり。

 このところ消防団に関する会合や飲み会が続いたが 今日で最後だ。
あらためて関係者に、感謝。

2012年03月27日

用水準備はじまる

今日も 一日会議。
土地改良区の会議が二つある。
今年は お彼岸を過ぎたというのに 寒さが続いているが 用水開始にに向けて
準備が始まった。
 準備だけは 怠りなく進めていく。

改革へ

一日会議。
午前中 農業公社理事会。
午後 土地化改良区合併研究会、研究会から 統合整備協議会設立へ。

 両組織とも、時代の変化に対応するため 大きな改革を求められている。
これから2年間位程が 大切な時期をむかえる。
世の中も 大きくかわるだろう。
忙しくなるが 目一杯頑張るしかない。

2012年03月28日

チョットだけ春

最高気温が13度。
気温が10度を超えると 暖かく感じる。
昼すぎ 小雨がぱらつくが 直ぐに晴れ間が広がる。
安定しない天気の一日。

 種まき準備作業を はじめる。

2012年03月29日

役員引き継ぎ

夜 行政区の新旧役員引き継ぎが行われる。
これまで、いちばん身近な部落(行政区)のお世話をする機会が少なかったが、今度は副区長として
お世話することになった。
 消防団は辞めたものの そのほかにも役職が多く忙しいので断ることも考えたが、一番身近で 大切でしかも、お世話になる部落の人達の お世話を断ることは、出来ないと考え受けた。
 またもや忙しくなるが、身近なお世話をできなくて 他所のお世話等出来ない。精一杯 やるしかない。

2012年03月30日

一気に春

最高気温ななんと 21度。
一気に気温が上昇。
麦畑の手入れを行う。

それにしても、気温の変化が大きい この春だ。

2012年03月31日

荒れた天気

気温の変化の激しい一日。
午前中最高気温が18度まで上昇したが、午後には8度まで急降下。
昼には雨が降りだす等 荒れた天気となる。

 育苗用の床土の肥料混合を行う。

明日から4月。 いよいよ 育苗作業がはじまる。

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