NO,219 田んぼ通信 平成24・12・16

 ことしも、かくだのお米をご利用下さいましてありがとうございました。 今年も残すところ半月となりました。 あっと言う間の一年でした。特に今年は、昨年から計画していた、作業場の増改築工事が重なりこれまでになく忙しい年となりました。 田植え後の5月に始まった工事は、稲刈りが始まる8月末までには完成する予定でしたが、つい最近までかかりました。 大震災の復旧工事と重なり、職人さんも忙しく予定通りに工事が進みませんでした。 完成するまでは、職人さんが出入りしますので、その応対などもあります。あわただしい日々の連続で、気がついたら12月です。追加工事などもあり、予算もオーバーしましたが、あとからの工事となると思うように出来ませんので思いきって工事を進めました。念願の作業場の増築も無事おわりましたので、あとは有効に活用しより安定したコメ作りを進めるだけです。  来年は、還暦を迎えます。 同級生は、定年退職を迎える歳になります。同級生との会話は、定年後の身の振り方の話題が多くなりました。私達、百姓には、定年退職がありません。 定年を迎える歳だといっても、定年退職のない私にとってピンときません。定年どころか、役職などが増え自分の歳を意識する暇などありません。また、自営業でしかも農家の私達は、常に身の周りには年相応の仕事がいくらでもあります。私達、百姓の定年退職は、自分で決めるだけです。 定年退職後は、趣味に生きるとよく聞きます。「仕事は農業、趣味は百姓」を自任する者にとって、年を重ねる程に生きざまそのものが百姓だと言いきる人生にしたいものです。
 ところで、ホームページを開設してから10年が経ちます。その名も「かくだ発田んぼ通信」です。田舎で百姓を続けるという事は、ただ単に田んぼや畑で働くだけでなく、集落及び地域社会との交わりの中で暮らし続ける。仕事と暮らしは、それぞれ別々に存在するのではなく、常に一体となって存在し、農村社会が成り立っている。コメ作りもその延長にあると考えています。特に、日々の暮らしぶりを記録する、デジカメ農作業日記というページは欠かさず続けることを目標に掲げ続けてきました。 それが、5月末から途絶えました。 日々の農作業には、常にデジカメを持ち歩いています。写真は、撮りためていますが、その整理ができなく時間だけが過ぎていきます。 一カ月が過ぎ2カ月が過ぎ・・・・・。時間だけがあっと言う間に過ぎていきます。 今やらないと年を越してしまう。そんな思いから一気に写真を整理しました。 半年余りの写真を整理して、あらためて今年の稲作が 際どいところでお米になったのだという事を思い知らされました。特に低温に弱いといわれる、7月20日前後。20度を下回る極端な低温が数日間続きました。一歩間違えば、障害型冷害の危険がありました。今となっては、殆どの人が忘れているでしょうが、稲穂を守るため懸命に田んぼに通った記憶がよみがえってきます。農作物を育てると言う事は、知識も大切ですが、日々、真摯に作物と向き合いながら経験を積み重ねていく。その経験をより確かなものにすべく記録を残す。もう一度 気合を入れ直してデジカメ日記を続けます。
  さて、この通信を書いている途中に衆議院総選挙の結果が次々に出ました。 選挙の度に思う事は、投票をしたのは、それぞれの立場で懸命に今を生きている日本人であり、角田市で暮らしている人達だということです。この当たり前の事実を真正面から受け止められず、評論家的立場にとどまる人は、地域を語れない。人もついてこない。東京電力福島原発が生み出す電気。その殆どを、首都東京圏に住む人達が使っていたという現実。その原発事故によって放射能に汚染されてしまったこの土地で、原発事故の前と同じように暮らし続けている多くの人達がいる現実。なにも高等教育を受け、物理学の専門知識がなくとも、放射能の怖さは身にしみて感じている。それでも、国からの強制退去があるならば別だが、生まれたこの地を離れる事は出来ない。

  その人たちが投じた一票。その結果を、真正面から受けとめることから、東北の未来を語ってほしいものです。 へっぴり腰の理屈では、現実は動かない。現実を動かす力は、明日へ生き延びるための強かな行動だけ。うまいコメを求めて、来年も田んぼに通い続けます。 良いお年をお迎えください 


NO,218 田んぼ通信 平成24・11・15

 暦は、11月半ば。時の経つのは本当に早いものです。今年も残すところ一カ月半となりました。 毎月 月半ばに、埼玉県の福祉グループの皆さんにお米を届けます。
毎回、お米と一緒にこの拙い通信も届けてきました。 4人の百姓仲間との共同作業です。 18年が経ちます。 たんぼ通信を書かないと、お米の発送が出来ません。お米を待っているお客様と仲間に迷惑をかけます。 言い訳は出来ません。迷惑はかけられない。その思いだけで、忙しい農作業の合間をぬって、たんぼ通信を書き続けています。 
それにしても、この一カ月はあっと言う間に過ぎました。稲刈りが終わって 休む暇もなく、大豆の収穫作業、二毛作の大麦の種まき作業と続きます。 毎年のことですが、お天気勝負の農作業です。 特に、大豆の収穫作業は、特段の注意が必要です。大豆の収穫作業は大豆コンバインで収穫するため、乾燥した状態でないと刈り取り出来ません。少しでも茎などが湿っていると、汚粒になって品質が著しく悪くなるからです。
折角の大豆が、最後の収穫作業で台無しになったのでは話になりません。 稲や麦などは、少々湿った状態でもコンバインによる収穫作業は出来ますが、大豆はそうはいきません。 大豆は、茎などの体全体が細かい無数の毛で被われています。 収穫作業の際、この毛が埃になって飛ぶ状態が適期作業の目安になります。 10月半ばを過ぎると、日暮れも早くなり夕方アットいう間に暗くなります。 しかも、空気も冷たく重くなります。朝露や夜露等でたちまち大豆が湿ってきます。 少しでも湿ってくると、埃が飛ばなくなります。 無理して刈り取り作業をすると見事に汚粒になります。 天気が良くても、作業時間は午前10時過ぎから夕方4時頃までです。 一日の中でも、昼食時間が大豆コンバインの適期作業時間帯になります。 当然、まともに昼飯を食べていては仕事になりません。 時には、昼食抜きで作業を続けます。 大豆の収穫作業の合間をぬって二毛作の大麦の播種作業も同時に進めます。 毎年、お天気様のご機嫌を窺いながら、暦と時間との勝負の農作業が続きます。 今年は、お彼岸まで暑さが続き 大豆の収穫時期も予想よりも早まり 天候にも恵まれ順調に農作業が進みました。大麦の播種作業も今月初めに終わりました。 大麦の播種作業が終われば、今年の大きな農作業は終わりです。 これからは、田起し作業や米の調整、出荷作業など、比較的時間とお天気を気にせず農作業が出来ますので余裕が出来ます。 春以来続いてきた忙しい日々も、少しはホット一息つけるようになりました。 ところで、先月末に隣のお爺さんの葬儀、告別式がありました。葬儀等の世話は、契約会があたります。10数人程の班に分かれ葬儀の準備などをします。
 以前は、前日から準備にあたりました。しかし、会員のほとんどが 勤め人となった現在、会社の休みが二日間続けてとれないという事で、告別式 当日に準備をする事になりました。葬儀埋葬の行列等には、それぞれ役割や、持ち物もあります。先輩方から受け継いだ葬式専用の大工道具があり、それを使って葬式の準備をします。 最近は、葬祭会館に一切任せる家庭が多く、契約会の役割も年々少なくなり契約会の組織そのものがない部落もでてきました。 私がお世話になっている契約会では、いくら簡素化といっても出来るだけの事は作ろうということで、今でも出来る事はお世話をしています。それでも、葬式ごとは、特別のしきたりや用語もあり、しかも昔から携わっていた先輩方が年々少なくなったこともあり、伝える事の難しさを感じています。 稲作経営のみならず、昔からの田舎の生活や仕来りを体現してきた先輩方がいなくなった現在、急激に田舎の生活様式も様変わりしてきました。 特に、昨年から今年にかけてそれを実感する機会がふえました。 それを踏まえて、これからどのように生きるか。あらためて思いを巡らす日々です。
 さて、衆議院もいよいよ解散です。世の中騒々しくなります。 
こんな時こそ、もう一度、足元を見つめ直します。 


NO,217 田んぼ通信 平成24・10・16

 今年の稲刈りも無事おわりました。 稲刈り前半は、毎日が真夏日。大汗をかいての稲刈り作業。 後半は、天気が崩れ雨の日が多くなり、また台風17号の直撃を受けるなど気苦労の多い稲刈りとなりました。しかし、台風の被害も殆どなく、心配した高温障害による品質低下も少なく、品質収量共にまずまずの収穫でした。 無事に収穫を終えた事に 感謝しております。 さて今年の稲刈りは、例年より慌ただしく、忙しい日々が続きました。 田植え後に始まった作業場の増改築作業が予定よりも遅れ、稲刈り作業と重なったためです。 昨年の秋から準備をはじめ、稲刈りが始まる8月末には、すべて完成する予定でした。 いま、宮城県は昨年の東日本大震災の復旧工事で震災特需という状況です。特に土木建築業者がとんでもないほどの忙しさです。 震災前までは、不況で仕事がなく市内の土建業者の倒産が噂されるほどでした。そこに、大震災で一気に仕事が出てきたのです。地元の業者で間に合わず、全国から業者が集まっています。 他県ナンバーのダンプカーを多く見かけます。また、市内のビジネスホテルも長期の宿泊客で今でも満室、なかなか予約もできない状況が続いています。 さらに、大津波で沿岸部の防波堤などが 壊滅的被害を受け、その復旧工事に大規模なコンクリート工事が必要な事から生コンの供給不足が深刻な状況になっています。  そのような中での増築工事でしたが、お陰様でほぼ予定通りに完成の見通しがたちました。 長男の就農を機会に始まった作業場の増築工事。稲作経営は厳しいものがあります。しかし、いま整備しておかないと将来の経営の見通しが立たないとの判断から思いきった投資をしました。 
これを機会に気を引き締め あらたな経営のスタートです。  
ところで、先日14日は、村の健康祭りがおこなわれました。昔の村の運動会です。 
当日は、朝から快晴。絶好の運動会日和です。 一昨年は、雨で中止。昨年は、東日本大震災の影響で中止。 久しぶりの運動会です。 私たちの年代は、健康祭りというよりは、運動会という言葉がピンときます。 運動会の華といえば、徒競争。 プログラムの最後は、決まって部落対抗年代別リレーです。 部落の対抗意識の下、大いに盛り上がったものでした。 大会の名称が「運動会」から「健康祭り」となった現在、プログラムも大きく様変わりしました。 今年のプログラムは、徒競争が全くありません。 すべてゲーム感覚の団体競技。  我が北郷村は、世帯数が約900戸。九つの行政区にわかれています。 第三セクターの阿武隈急行・岡駅がある行政区だけは 駅前の宅地開発で人口が増えていますが、他の集落(部落)は減っています。 大会を前に行政区で選手選考等の準備等の会合がありました。その際、プログラムの変更が話題になりました。部落(集落)によっては 小学生が二人だけ。しかも6年生と一年生だけ。児童館に通っている 子供もいないという。若い夫婦も少ないという。これから先、児童生徒を交えた競技編成ができなというのです。 当然、子供会活動も出来なくなったといます。 二つの部落で 合同で子供会活動を維持しているところも出てきたといます。  正しく少子高齢化時代が現実のものとなりました。部落対抗リレーなどで闘争心むき出しの昔の運動会が懐かしくおもえます。 今回の北郷地区健康まつり。 今年で32回を数えます。30年前、4Hクラブや青年団活動が活発な時代でした。百姓をはじめた頃です。仲間と共に 村の運動会を復活しようと企画し始めたのが第一回でした。あれから三十数年経ち歳も60歳前後となりました。最初の企画に共に汗をかいた仲間は、互いに村の要職や各種団体のリーダーとして活躍しています。感慨深いものがあります。 同じ村に暮らしていても、殆ど顔を合わす機会が少なくなりました。 久しぶりに会った多くの先輩たちや仲間。 その中で、運動会などの村の行事には必ず顔を出した先輩達の姿も少なくなりました。
時代の流れを感じると共に寂しさも感じた今年の運動会でした。 


NO,216  田んぼ通信 平成24・9・18

 国の定める安全基準値の10分の一以下の安全なお米がそだちました。

今年も無事に新米の収穫が始まりました。 今年は、豊作です。心配された高温障害も少ないようです。お米作りに関わる、全ての皆様に感謝しご報告いたします。 
今年は、昨年の東京電力福島原発事故による放射性物質対策を最も重視し稲作に取組んできました。 お米は、毎日食べるもの。日本人の主食です。 それだからこそ、安全で安心して食べていただけるお米を育てなければなりません。 
たとえ、不可抗力による放射能による風評害などがあっても、言い訳はできません。
私達のお米を楽しみに待っているお客様や田んぼで稲作を続けるのであれば、より安全なお米を生産する事が私達の責任です。 春以来、ゼオライトなどの微量要素資材やカリ肥料を増量散布するなど、放射性物質セシウムが少ないお米を生産するためあらゆる努力をしてきました。     その結果が出ました。
17日夕方 宮城県大河原普及センターおよび 角田市農政課より放射性物質測定結果の連絡が入りました。 平成24年産米の放射性物質測定結果(プレスリリース)について というFAXも同時に届きました。 
結果は、角田市内の地域において(測定地点222ヵ所)の全てにおいて不検出でした。 「食品衛生法に基づく放射性物質の基準値(100ベクレル・㎏)以下であり、安全性に問題がないことが確認されました。この結果により、平成24年産米は通常通り出荷、販売等が可能になりました。」 という報告です。
国によれば50ベクレル以下を不検出としています。 不検出とは、検出下限値未満であることを示します。 今回 宮城県はその検出下限値の数値を公表しました。
その結果は、私の住んでいる旧北郷村の測定地点(51ヵ所)で セシウム134とセシウム137のセシウム合計の値が 最高地点で検出限界 7.8 最低が4.5でした。 
(測定機関は、株式会社 理研分析センター。 分析機器 ゲルマニウム半導体検出器)
今年の稲刈作業は、猛暑の中での収穫作業が続いています。今日も最高気温32度の真夏日。 ただいま稲刈りの真最中です。それも大汗をかきながらの稲刈りです。 今年の残暑は物凄いです。特に、お盆を過ぎてからの暑さは異常です。 仙台では、真夏日の連続記録が観測史上最多の記録更新となりました。 また、雨も殆ど降らず畑もカラカラ状態。秋野菜の作付けにも苦労するほどです。 この暑さで、稲の実りも進み予定よりも早く12日から収穫作業をはじめました。しかし、放射能の検査結果が出るまでは出荷自粛。 これまでは、出来るだけ早く稲刈りをして 消費者の皆様に 新米の報告をすることを目標に稲刈をしてきました。 今年は、地域内の放射能検査地点が昨年の25倍に強化拡大。その結果が出ないうちは出荷が出来ないという事で なんとも気合の入らない稲刈でした。 
それでも、県庁はじめ関係機関の努力と協力で予定よりも早い出荷が可能になりました。
 これで、自信を持って今年のお米をお届け出来ます。 
異常気象と東京電力福島原発事故による風評害という得体のしれない敵と戦いながら、無事にお米を育ててきました。 例年以上に百姓の思いがこもったお米です。 
大切に食べて下さい。  国で定める、放射性物質の基準値を大きく下回る、十分の一以下の放射性物質の値の結果を心から素直に喜びたいものです。 
お米作りに携わる全ての関係機関の皆さんに 心から感謝いたします。
収穫作業には絶好の天気が続いています。真夏日続きで暑い稲刈り作業ですが贅沢はいえません。田んぼにお米があるうちは、油断はできません。 晴天が続くうちに刈り取り作業を急ぎます。   消費者の皆様の冷静な判断と行動を心からお願いします。 


NO,215  田んぼ通信 平成24・8・17

 残暑お見舞い申し上げます。 暑い夏が続いています。皆さま お元気ですか。
昨日の最高気温35.4度 猛暑日でした。今日も34度。 お盆も過ぎたというのに、この夏一番の暑さが続いています。さすがに猛暑日となると、日差しが痛く感じます。 
田んぼでは、稲穂が出揃い頭を垂れてきました。 農道を通ると、広い田んぼから吹いてくる風に乗って、ホンノリ甘さを含んだ炊きたての新米の香りが漂ってきます。 
春以来、いろんな事がありましたが、今年も無事にお米ができそうです。  
今年の天気は、春先から極端な天候が続いています。前回の通信を書いた直後に最高気温34.5度を記録したと思ったら、7月19日夕方から気温が急降下。最高気温が18度、最低気温が16度まで下がる日が連続三日間続きました。 7月22日の朝には、お爺さんがコタツに火を入れろと騒ぐ始末。 前回の通信に書いたように稲の一生で最も寒さに弱い時期です。 前回の通信には、今年は冷害の心配はいらないでしょうと書きましたが、激変です。  例年よりも生育が遅れているというものの、生育の早い稲は花粉が出来る減数分裂期を迎えています。一気に障害不稔の心配がでてきました。 これまでの研究からすれば、今回の低温は障害不稔発生の危険性が極めて高いと予想されました。幸い、生育が遅れていたことや、これまでの冷害と違い、高温時期から一気に低温を迎えたことで稲自体に体力があったと思われ、心配した障害不稔は殆どありませんでした。
お米を育てるという事は、常にお天道様のご機嫌を窺いながら田んぼの見回りをするということです。 人は、寒い時にコタツを用意したり、布団を着たりして寒さをしのぎます。 田んぼの稲は、用水で稲の体を保温するしか術はありません。 今回の異常低温。
丁度、土曜日と日曜日が重なり 田んぼの見回りする人が多くなるだろうと思っていましたが、見回りする人の姿は殆ど見かけませんでした。 用水を管理している土地改良区の役員をしている関係で、用水機場の運転手には普段以上に用水を十分に流すように指示しましたが田んぼに水を引く組合員の姿は僅かです。 昨今の無責任きわまる、いい加減な農政の連続で、文句を言う事さえ諦めた農家。また、東京電力福島原発事故による放射能の風評害の影響等で生産意欲を低下させている現実を目の当たりにした思いです。
農地の荒廃も益々進んでいます。農家の経済状況も、この数十年で大きく変わりました。安定した兼業収入で田んぼを維持している現在の稲作農家にとって、貴重な税金をバラマキ続ける無責任な農政が続いても殆ど生活には影響ありません。
 農政は、農家農民のためにあるのではなく、国民のためにあるということを再確認すべきです。これまでの農家は、大幅なコスト割れになっても田んぼに通い続けてきました。 しかし、これからの農家はコスト意識がでてきました。採算割れの中で田んぼに通う農家は、年を追うごとに激減してきました。お米の生産基盤は、確実に弱体化しています。その対応もでたらめです。目の前に食べるコメが無くならないと、行動できない愚かな日本人になったのでしょうか。  さて、今年もお盆が過ぎました。 お盆になると親戚がお墓参りに帰郷してきます。村全体が一気に賑やかになります。我が家でも15日の夜は、帰郷してきた親戚が10人と家族を含めて17人の大宴会になりました。 ひと昔までは、何処の家でも里帰りしてきた人たちで賑やかになったものです。しかし、それも過去のものとなりつつあります。里帰りする人達が高齢になったことや社会情勢も様変わりしたことが相まって、大勢の親戚で賑やかにお盆を過ごす家は数少なくなりました。 一昨日、隣町の親戚に、お盆礼に行った際、お世話になっているお嫁さんから一言。 「数年前まで、我が家でも親戚が泊まりに来たものだ。接待する嫁の立場は、たいへんな忙しい思いをしたものだ。せめて、お嫁さんには、お疲れ様の一言を言ってあげなさい。その一言が嬉しいものよ」 思いがあっても、その一言が言葉にならないお馬鹿な農家の長男でした。 


NO,214  田んぼ通信 平成24・7・15

 先ほど田んぼに行ってきました。稲の茎を抜き茎基を丁寧に剥いてみました。
節間が10センチほど伸びています。その先に真白い産毛につつまれ1センチほど伸びた幼い稲穂が育っていました。 今年は、田植え以来天候不順が続き、稲の生育が心配されています。皆さんご安心ください。例年よりも生育が遅れているものの今年も順調に稲穂が育ち始めました。  いま田んぼに行くと、稲の姿が大きく変わりってきたことがわかります。 田植えから6月下旬までは、茎を増やし体を大きくするための時期で、稲作の専門用語で「分けつ期」といわれています。稲の姿は、全体的に横に広がった様に見えます。それが、体つくりを終え稲穂の赤ちゃんが芽生えると茎が丸みをおび、稲が立ってきます。 体づくりから、子孫を残すため穂作りがはじまります。 今の時期が丁度その時期にあたります。 稲の一生で、これから稲穂が出るまでが一番寒さに弱い時期です。東北特に太平洋側は、忘れた頃に冷害に見舞われます。 俗にいうヤマセ(東風)が吹きだすと低温の日が続きます。最高気温が20度を下回と冷害の心配がでてきます。 今年は、いまのところ低温の心配なさそうです。 少しは安心していますが油断はできません。 米の作柄は、これから生育後半の天候が大きく影響します。天候不順で前半の生育が劣った年であっても、後半の天候が良ければ収穫量がそれほど落ちないという経験は、いくらでもあります。 今年の稲作は、これからの天候次第です。  今年は、春先から天候不順で農作業が遅れる等、苦労の多い年です。しかも、昨年の大震災以来とんでもない出来事が続いています。これまで以上に美味しいお米をつくりたいものだとの強い想いを込め種まき作業をはじめました。 肥料等の資材も、吟味しました。 ひとつひとつの農作業も可能な限り丁寧にしてきました。 全ては、お米を食べていただいている皆様から「美味しいお米だね」という声をいただくために頑張っています。  
ところで先日、新聞のコラムにツバメの姿をみかける機会が少なくなったという記事が載っていました。 全国的にツバメの数が少なくなっているというのです。 我が家には、毎年ツバメがやってきます。 毎年4月、ツバメがやってきて巣作りが始まると、家族の一員として無事巣立つまで見守る日々がはじまります。 今年も7月10日に六羽の雛が無事巣立っていきました。 玄関の軒先二か所にツバメの巣があります。 ツバメがやってくると、早速巣作りが始まります。 巣作りから雛が誕生し無事に巣立つまでが大変です。 最初にやってきたツバメの巣は、カラス?に襲撃されたのか朝起きると巣が壊され
卵が散乱していました。 その日は、夜明け頃からツバメの鳴き声が変だと感じ玄関に行った時は巣が何者かに壊されていました。昨年も卵から雛に孵ったばかりの幼雛が何者かに襲撃され巣立ち出来ませんでした。 巣作りから見守っていた家族は、がっかりです。
最初は、スズメの仕業かと思いましたが、巣の壊れ方が激しいことからカラスの仕業だと
思っています。 さっそくカラス対策をしました。 今年は、ツバメの巣立ちは見られないのかと思っていましたが、別の所に巣作りがはじまりました。無事に巣立つ事を祈りつつ家族で見守る日々が続いていました。 雛が孵り六羽の雛が巣の中で育っているなどと家族で話題になっていた先日の昼下がりお爺さんの叫び声。 蛇がツバメの巣を狙っているというのです。大きなアオダイショウです。 数日間ツバメの鳴き声が変だと感じていました、蛇がツバメの巣を狙っていたのでした。格闘の末、蛇を退治し無事に巣立ちを迎えることが出来ました。 お爺さんが新聞記事で、蛇対策を読み対策を試みていたというのです。ツバメは、人目の付くところに巣をつくるのだと聞いたことがあります。それは、外敵から雛を守る為にわざわざ見えるところに巣をつくるというのです。それが本当であれば、ツバメの生存には人間様が欠かせません。無事に巣立ったツバメ達を眺めつつ、来年また帰ってくる事を祈る、今日このごろです。 


NO,213  田んぼ通信 平成24・6・11

 今朝は、朝から快晴。一昨日から続いた雨も上がり爽やかな青空が広がりました。
西に連なる蔵王の山々の稜線がくっきり鮮やかに見えます。頂上付近にはポッカリ浮かぶ白い雲。田んぼの稲は、日増しに緑を濃くし順調に育っています。緑の中でひときわ目立つのが大麦畑。収穫時期を迎え黄金色に輝いています。 季節は麦秋。今年も麦秋を迎えました。 雨上がりの朝、空の青、白い雲、田んぼの緑、そして麦畑の黄金色のそれぞれの色がいっそう目に鮮やかで眩しいくらい。 日の出を眺めながらの草刈り作業も、最高の気分。 ひととき仕事の手を休め、辺りの景色を眺め贅沢な時間を過ごしました。
 一昨日、東北南部も梅雨入り宣言が出ました。朝のニュースで関東地方の梅雨入りが報道されたと思ったら、昼には一気に東北南部も梅雨入りです。いつもより早い梅雨入りです。 昨日は、梅雨本番のような朝から一日雨降り。これから麦の収穫そして大豆の播種作業と暦を見ながらの農作業が待っています。 週間天気予報では、これから一週間も曇り雨マークが続いています。百姓仕事は、お天気勝負。大豆の播種作業が終わるまで、天気が続くことを祈るだけです。 今年は、春から天候が不順です。特に雷雨の多い年です。稲妻は、危険を伴いますが稲にとっては恵みの雨です。 雷雨が過ぎ去った後の稲は、緑が濃くなります。目に見えて元気になるから不思議です。稲妻とはよく言ったものです。
先人の観察力と生きる知恵には驚くばかりです。百姓仕事していると、電脳社会なるものの底辺の薄さと浅はかさを痛烈に感じる昨今です。 特に、昨年3月の東日本大震災と東京電力福島原発事故に伴う日本社会がとった対応を経験しその思いを強くします。 
ところで、今日、新しいコンバインを納品してもらいました。昨年秋、12年余り使っていたコンバインが壊れ新車を導入することにしました。 値段は、一千万円位します。少なくとも10年以上は働いてもらわなければなりません。 今回導入した機種は、作業能率、耐久性はアップしたものの最新の電子機器による自動装置は極力省いたシンプルなコンバインです。海外向け仕様のコンバインです。 海外とくにアジアの稲作地帯向けに開発した機種で電子機器が搭載されていない分価格も大幅に安くなりました。日本の農機具メーカーは、国内販売を中心に開発をしてきましたがここ十年来、台湾や中国をはじめとするアジアの稲作地帯向けのコンバイン販売を目指してきたといいます。開発当初、国内で販売されているパソコン搭載の最新型コンバインを現地で試験したそうです。ところが、トラブル続きで一年で使い物にならなくなったといいます。耐久性の想定面積が、アジア各国では日本の4倍から5倍の面積で、しかも過酷な条件が多いといいます。また、電子機器による自動化装置は便利ですが、いったんトラブルが起きると対応が直ぐに出来ません。最近の農機具は、利便性だけを求め、ますます電子化、自動化が進んでいます。しかし、いったんトラブルが起きると、農機具店のセールスマンでは対応できなくなってきています。農作業は、お天気勝負。機械のトラブルで作業が中断するようなことがあっては、大きな減収に繋がります。 機械は、トラブルはつきもの。その時、如何に迅速に対応できるかが大切です。現場で直ぐに応急修理できることが必要です。パソコン搭載の電子化装置は、便利なのですが、いったん故障するとトラブル個所を特定するまで厄介です。しかも、古くなり配線等が損傷するようになると、一か所の配線トラブルで機械全体が動かなくなるというとんでもない事が起こります。 数年前から海外向け仕様のコンバインを国内でも販売するという情報を得てから今度コンバインを更新する時は是非とも海外仕様のコンバインを導入することに決めていました。  これから10年以上は、このコンバインと共に我が家の稲作経営は続きます。長男も今年から働き始めました。これから日本の農業は、大きく変わるでしょう。 どんなに変わろうとも、我が家に与えられた米作りという仕事を淡々とこなしていくだけです。 


NO,212  田んぼ通信 平成24・5・16

5月13日 今年の田植えも無事終わりました。 夜、田植え作業に手伝っていただいた人を招いて 早苗振りを行いました。 今年の田植え作業は、いつもと違います。
高校生の時から東京暮らしをしていた長男が、家へ戻ってきて百姓をすることになりました。 早苗振りの夜、長男が神棚に苗を供え、家族揃って田植え作業の報告と秋の豊作 を祈願しました。 昨年までは、今年86歳になったお爺さんがトラクターで代掻き作業を一手に引き受けてくれました。この春は、さすがに85歳を過ぎたということもありますが、孫が帰って来たというので田植え期間中は一切トラクターに乗りませんでした。
それでも、まだまだ現役。 早朝から苗の管理や田んぼの水管理等 先頭に立って農作業 を指示しています。お爺さんの働きぶりには、本当に頭が下がります。百姓に定年はないのです。 農作業は、機械仕事だけが目立ちますが、作業にいたるまでの段取りやあと片づけ等、目に見えないきめ細かい作業がたくさんあります。 その見えない作業が見えるようになるには経験が必要でが、なにより大切なことは仕事に対する責任とやる気が最も大切だと考えます。 長男にとって初めての本格的な農作業。目に見えない農作業が見えるまでには、まだまだ時間が必要です。 仕事の合間に伝えた事は、稲作りは1年に一回しかできない、一つ一つの仕事に家族の生活が懸かっていることだけは常に忘れるな。 
それをどのように理解したかは本人次第。 
今年の田植え作業は、5月4日から始まり13日までの10日間。1日平均2ヘクタール植えたことになります。我が家は家族経営。約20ヘクタールの田植え作業を10日で終えた事は、家族全員の協力があったればこそ。家族に感謝です。
百姓仕事には、労働時間の制限はありません。種を播きそれを育てて収穫する。収穫を得るために働く。必要であれば24時間全てが就労時間です。 5月に入り日の出が早くなったといっても午前3時半過ぎに辺りが白み始めるころトラクターのエンジンをかけるのは、隣近所のこともあって躊躇します。4時過ぎ辺りが明るくなるのを待ってトラクターのエンジンをかけ田んぼへ出かける毎日。 こんなことは、それなりの経営をしている専業農家は、どこでもやっていることです。生き物相手の農業。人様の都合で農作業をしていたのでは、良い作物は育ちません。作物の都合に合わせて働く。これが百姓。
農作物が都合よく育ち、その結果として果実をいただく。その為にチョットしたお手伝いをするのが百姓仕事。 今年も種を播き苗を育てて、田んぼに無事植えることが出来ました。 先ずは、感謝です。
 昨年3月の東日本大震災以来、当り前に続けてきた農作業の1年のリズムも狂いがちです。田植えが終わり辺りの山々は、いつものように清々しい新緑の季節。山笑う季節。風薫る季節が廻ってきました。百姓仕事は、季節の暦と共に進みます。東京電力福島原発事故による放射能問題は、いまだにその解決策が見えません。その農作物への風評害も止まる気配がみえません。あぜ道から秋の収穫に向け不安の声も聞こえてきます。 放射能対策は、やれることはしました。ゼオライトの投入、カリ成分の更なる投入。また角田の田んぼは、福島から流れる阿武隈川の水を利用しています。 最近の研究から、通常の流れの取水では、セシウム等の放射能物質は稲の生育には影響ない。問題は、大雨が降った時の濁流の取水だ。という事で大雨時の取水を中止することにしました。早速、3日の大雨時には、取水を中止しました。 心配ばかりしても何も現実は、変わりません。 現実を生きる上で、やれることを常に前を向いて行動を起こす。
百姓のやれることは、放射能に対する情報収集をしつつ、少しでも安心して美味しく食べていただけるお米をそだてること。 田植えは無事に終わりました。 これからは、秋の収穫に向けこれまで以上に真面目に田んぼに通います。 


NO,211  田んぼ通信 平成24・4・16

 桜は、まだ咲きません。 今年の冬は、例年になく雪が多く、三月に入ってからも厳しい寒さが続きました。 今年 あらためて感じたことがあります。 人は、気温が10度を超えると暖かく感じるものだという事です。 これまでも、寒い年がありました。立春を過ぎると春を予感するポカポカ陽気が何日かあるものです。 それが、今年はありませんでした。日差しは、暦と共に日増しに明るさをますものの、春を感じることはありませんでした。 晴れていても気温は、10度以下。 しかも、彼岸を過ぎても小雪が舞う寒い日が続きました。 寒い日が続くと、気分も晴れません。 常にデジカメを携帯し仕事をしています。 気持ちでシャッターを切りますので、立春を過ぎると自ずとデジカメを手にする機会が多くなるものです。 それが、昨年三月の大震災以来おちつかない日々が続き、しかも悪天候と相まって例年になく少なくなりました。 社会情勢も混乱し、世の中全体で余裕がなくなってきているかもしれません。  しかし、世の中がどのように動こうとも、今年も百姓仕事は始まりました。人様のご都合に合わせていたのでは美味しいお米は出来ません。 農法の革新により、人様の都合に合わせて農作物を育てることは可能となりましたが、それはまだほんの一部です。特に広い土地を必要とする米などの穀物生産は、暦と共に農作業を進めなければ良い作物は出来ません。 米作りは、暦と共に進みます。 今年も、3月10日に種モミの選別作業を始め16日には水に浸し、4月5日に種播き作業をはじめました。 この春は、例年になく雪が多く三月いっぱい田んぼに入れませんでしたので、田んぼの耕うん作業などたくさんの仕事が待っています。 
いつものように今月28日には、田んぼに水がやってきます。 それまで、お天気様と相談しながらの忙しい農作業は続きます。 ところで、今月4日に風速38メートルという物凄い風が吹き荒れました。 爆弾低気圧と称される、台風並みの猛烈な風です。育苗ハウス等に多くの被害がでました。我が家でも、二棟のハウスと温室のビニールが破れるなどの被害が出ました。 しかし、農業は、お天道様の下での仕事です。 気落ちする暇などありません。これまでも、多くの災害を乗り越え米作りに励んできました。次から次と農作業が待っています。常に前を向いて仕事をするだけです。 それにしても、最近の天気は極端すぎます。これまで以上に、基本技術を大切に農作業を進めたいと考えています。
 さて、昨日は角田市消防団春季消防演習が行われました。今回の演習は、来賓として招待を受けました。この3月で35年務めた消防団を退団しました。定年まで数年ありましたが、長男も家で仕事をすることになり、自分なりの区切りの時と考え退団すること決めました。この35年間、演習を披露する立場でありましたが、初めて来賓として演習の一部始終を参観しました。私が所属していた角田市消防団第六分団は、部隊訓練の中隊訓練が当番です。 団員は早朝5時過ぎには、家を出て最後の練習をし、本番に備えたはずです。 しかも、殆どの団員は田んぼ仕事があります。一番忙しい時期の春の消防演習です。 部隊訓練は、指揮者の号令のもと整然と行動しなければなりません。社会環境の変化に伴って規律訓練を受ける機会が極端に少なくなりました。 しかも、訓練の時間は、なかなかとれません。 そんな中でも、精一杯の訓練を披露してくれました。 演習は、観閲に始まり分列行進まで三時間に及びます。忙しい中の訓練、演習。消防団は、本当に御苦労さまです。  退団した今、消防ポンプ車のサイレンが常に気になっている自分がいたことに気付きました。 思えば、この間、昨年の大震災、三昼夜に亘る大規模山林火災、台風による堤防決壊現場への出動、また真冬しかも厳冬の夜中に、火災が発生し火災現場に出動し、放水のしたところから次々に凍りついたこと等、たくさんの出動の記憶がよみがえります。今回の演習で、消防団員としての自覚を持って消防団事業に参加するのは全て終了しました。演習後、地元分団の祝賀会に招待をうけ、感謝の気持ちを伝えました。 


NO,210  田んぼ通信 平成24・3・15

もうすぐ彼岸の入りだというのに、寒さが続いています。  毎年、春の彼岸にはヨモギの新芽を摘み草餅を搗きお供えします。  今年は、草餅をお供えすることができないかもしれません。つい最近まで最高気温が5度に届かない冬の様な日が続き、ヨモギの新芽が伸びていないのです。 一週間前まで、田んぼは雪で真白でした。これほど遅い春は珍しいことです。 また、3月に入ってからも雪の日が多く、田んぼは全く乾かず田んぼに入れません。 農作業の遅れが心配される今日この頃です。 それでも暦は、確実に時を刻み、日差しは明るさを増し今年も米作りの準備がはじまりました。 3月10日に例年通り、種モミの塩水洗作業をはじめました。 良い苗を育てることは、美味いコメをつくる最も大切なことです。そのための大切な作業が塩水洗作業です。 最近は、この最も基本的技術を省略する傾向がみられますが、一年に一度の米作りです、省略するわけにはいきません。   ところで、昨年の3月11日。 今年と同じように家族揃って塩水洗作業をしていました。 午後2時46分、これまでに感じたことのない大きな揺れ。東日本大震災が起きた日です。あれから一年。角田市は、内陸部のため大津波の被害こそなかったももの、建物の倒壊や下水道施設などに大きな被害がありました。一年が経ち、特に被害が大きかった旧角田町の市街地は倒壊した建物の片付けも終わり、空き地だけがやたらと目立ち閑散とした町になってしましました。 表向きは、徐々に震災前の生活にもどりつつあります。しかし、いま東京電力福島原発事故による、放射能の風評害が地域の日々の暮らしに重くのしかかってきています。その解決策が 全く見えないことから将来への不安だけが増す日々が続いています。   今年の4月から、一般食品における放射線食品安全基準値が500ベクレルから5分の1の100ベクレルにたいへん厳しくなります。
それでは、いままで国の言っていた安全値500ベクレルは、安全ではなかったのかという素朴な疑問が正直あります。しかし、今度はこれだけ注目され多くの議論を経て定めた安全値100ベクレルという数字です。 この値は、チェルノブイリ原発事故以来、段階的に引き下げられ1999年に定められた、世界で最も厳しいといわれているベラルーシの安全基準値です。世界一厳しい放射性セシウムの安全値が、日本の食品に適応になったということです。国は、責任を持って安全値100ベクレル以下の食品は安全。と言う事を周知徹底するようお願したいものです。 いま生産現場は、その対応に大きく振り回されています。 就農以来40年来、共に農業を語り合ってきた、しいたけ栽培農家の仲間は、廃業に追い込まれようとしています。酪農家の仲間は、自ら生産した牧草は使えず殆どを輸入乾草に頼るという事態に。長い時間と多く経費そして貴重な汗を注いで 農地造成し良質な牧草作りに励んできた努力が全て無駄になろうとしています。 生産者として、国の言う安全基準に基づく農産物生産することは、義務であり責任です。 それを実現する為に、とんでもない努力と投資が求められています。永年培ってきた生産技術の見直しも迫られています。それを実現しなければ百姓として生き残れません。これからも、その努力をする覚悟は出来ています。 そこで問題なのは、放射性セシウム安全基準値100ベクレルという、世界一厳しい安全基準値になったら風評害は治まるのか。ということです。いま、生産現場では将来に対する、大きな不安と風評害という得体が知れない敵との闘いの日々が続いています。 誤解を恐れずに言います。 これだけ騒いで作り上げた放射性セシウムの安全値100ベクレルです。私達は、これからも出来るだけ放射線物質を下げる努力をします。しかし、物事には限界というものがあります。 新しくできた世界一厳しい安全基準値100ベクレル以下の食品は安全だという事で安心して食べてほしいものです。セシウムの数値が限りなくゼロに近ければ安全だという現実を無視した議論に惑わされる事のないように心からお願いします。このまま、風評害が続けば生産現場はもちません。 


NO,209  田んぼ通信 平成24・2・15

 今年の冬は、久しぶりに寒い冬を過ごしています。 立春も過ぎたというのに、田んぼは雪で真白です。 一月下旬から2月初めにかけて、最低気温がマイナス10度以下という厳しい寒さが続きました。 ここ数日、日中の最高気温がプラス5度を超える日が続き久しぶりに暖かく感じます。 自然に体も動いてきます。 日差しも明るくなりました。 もうすぐ春です。 気温の上昇と共に、本格的な農作業も始まります。 それに備えトラクター等の整備をはじめました。 今年も間違いなく春がやってきました。
 昨年3月11日の東日本大震災から一年を迎えようとしています。大津波の被災地は、瓦礫等の撤去作業は進んだものの本格的な復旧復興は、これからです。しかも、福島原発事故による放射能汚染問題の終息は、まったくみえません。 福島原発事故さえなければ。 放射能汚染事故さえなければ・・・と悔やまれてなりません。 それでも、悔やんでみてもはじまりません。 今年もいつものように、春が来て、もうすぐ稲の種まき作業が始まります。 自然の営みの中で、人は生かされていると思えば人としてやれること、やるべき事が分かるように思えるこの頃です。そもそも、今回の原発事故は、人間の思いあがりの証です。  宮城県でも県南の角田市をはじめ岩手県境の県北の市町村も国の放射線除染地域に指定されました。  正直言って、角田市が国の汚染地域指定に申し込んだという話を聞いた時、なにも自ら汚染地域だと表明する行為は余計なお世話と感じました。 
しかし、今は違います。     東京をはじめとする東日本一帯に、多少の放射線レベルの違いがあっても均しく放射能が降っていしまったという現実に素直に向き合って将来を語るしかありません。  いま大切なことは、客観的データーに基づいた放射線汚染マップを出来るだけきめ細かく作ることです。そのための基礎データーを収集する為、角田市や宮城県をはじめとする関係機関を中心に市内の田んぼや畑の土壌調査が始まりました。 今年の冬の寒さは、一段と厳しいものがあります。その寒さの中を、関係機関の職員の皆さんが、スコップを片手に管内の田んぼや畑の土の収集作業にあたりました。本当に御苦労さまです。その結果が、もうすぐ明らかになるでしょう。 その結果に基づき、放射線レベルが安全値内なのか、更なる対策が必要なのかこれからの対策が検討されます。
 先日、うまいコメ研究会の仲間で今年の稲作について話し合いを行いました。これまでの土壌調査の結果と昨年産米の放射線調査から判断すれば、この秋の米も、昨年同様に放射線物質は不検出と予想されます。 しかしながら、これからは、出来るだけ放射線レベルが少ないお米を生産することが私達生産者の責任です。 もちろん、毎日食べるお米です。 いままで以上に美味しいお米をつくる努力をします。 
そこで今年は、特にカリウム肥料の増量と土壌改良材としてゼオライトの施肥を決めました。
 最新のお米の放射線に関する研究によれば、肥料の三要素の一つであるカリウムとセシウムの関係が明らかになってきました。 肥料のカリウム成分が少ないと土壌中のセシウムの吸収が多くなるというのです。土壌中のカリ肥料が豊富であれば、たとえ放射線物質が存在しても稲にはセシウムが吸収されにくくなるという事が分かってきました。また、福島原発事故の汚染水処理に活躍しているゼオライトの施用も決めました。ゼオライトは高価ですが、美味しいコメ作りにも役に立つということで積極的に活用することにしました。今年は、特に美味しくより安心して食べていただけるお米作りに努力しますのでよろしくおねがいします。  ところで、放射線物質の除染作業が各地で始まりました。 放射線レベルの高い地域は、放射線物質の除染作業は必要です。しかし、低レベル放射線地域での除染作業の効果については、おおいい疑問です。 事放射線物質の処理方法が確立されていない現在、果たして除染という考えからは未来が開けないと思えてなりません。 農業の基本は、土作りです。気の遠くなるような時間と多くの百姓の汗を結集して土を育んできました。 それを除染作業と称して一気に表土を剥いでしまえばいい。と言う発想は、百姓には思い浮かびません。 むしろ放射線物質と如何に共存して生き抜くかを考えます。 土の力を信じ、放射線物質との共存の術をかんがえます。それが、百姓です。
 今年の4月から、食品に含まれる放射線レベルが、よりいっそう厳しくなります。 これまでも放射能は、不検出でしたが、これまで以上に行政機関の指導のもとにお米をお届けしますのでよろしくお付き合いをお願いします。 


NO,208  田んぼ通信 平成24・1・7

 新年おめでとうございます。 
今日は、七草。七草粥を炊き(我が家では 粥の中に餅を入れます) 1年の健康を願って食べました。
今年の新年は、これまでと違い格別の思いで新しい年を迎えました。 
1月1日、 毎年恒例の集落内の新年会が行われます。 今年は、多くの欠席者ありました。 昨年中に身内に不幸があった場合、私の地方では「年とりをしない」といって正月様を迎えないで新年を迎えます。昨年3月の大震災の影響で、「年とりをしない」家庭が多かった為です。 「年とりをしない」家庭は、年賀はがきのご挨拶を遠慮することはもちろんですが、 松の内( 現在は1月7日までとするところが多いようですが、私の地方では昔通り、1月15日まで)は、「ひ(火?)を交えない」という習わしで、松の内は「年とりをしない」家庭にお邪魔した際に、暖かいお茶等の 火を使った料理を遠慮します。
昔は、年とりをしないうちには、玄関から先には、入らないとこともあったようです。また、「年とりをしない」家庭は、出来るだけ正月を迎えた家庭にお邪魔しない。ということでお祝いの会合等を遠慮することになっています。この習わしも、若い世代ではその存在すら知らない若者も多くなって来ました。我が家では、年中忙しい日々を過ごしていますので、忙しいからこそ、正月行事だけでなく昔からの言い伝えや 習わしは出来るだけ残し暮らしの中で行うようにしています。 ということで、いつもの正月とは雰囲気が違い華やいだ雰囲気はありません。昨年三月の大震災の影響を引きずりながら新年を迎えることになりました。それでも、新しい年は確実に動き出しました。 大震災の災難の教訓は、決して忘れてはダメですが、それをいつまでも引きずるわけにはいきません。今年も、前を向いて、精一杯生き抜こうと思います。   今年も よろしくお願いします。
今年の 私からの年賀状から。
新年おめでとうございます。
お陰様で、家族揃って元気に新年を迎えました。
昨年三月の大震災以来 慌ただしい毎日でした。
新年を迎えたというのに、落ち着きません。
福島原発事故による放射能汚染問題が、いつ収まるのか先が見えないからです。
それどころか、放射能の風評被害は益々 エスカレートするばかりです。
  新年早々 私からのお願いです。 
これ以上、新たな人災は出さないでください。 
善意の仮面をかぶった加害者にならないでください。
放射能被害の本当の加害者は、国と東京電力です。
福島原発事故による放射能被害は、人災です。 しかも、それに伴う風評被害は明らかに人災です。 放射能被害の最大の被害者の一人である農畜産物の生産者が、風評被害による人災によって経済的な大きな損失を被った挙句、このままでは、放射能被害の加害者になる。という不安と恐るべき矛盾と憤りを抱えながら新年を迎えました。 
日々 見えない放射能という化け物による風評被害を身近に感じている私達生産現場では、放射能の知識だけではなく、生き延びるための知恵を最も必要としています。明日に繋がるそして、生活の糧になる理論に基づいた具体的な放射能対策を望んでいます。 
それは、必ず出来ると信じます。 学者のいう、放射能に安全値はない。という発想に基づいた放射能対策は大いに疑問です。 いつの時代も、騒動がおこれば、最大の被害者は社会を底辺で支えている末端の弱者。これも歴史の現実と受け止めながら、それでも新しい年も、放射能から逃げださずに、田んぼに通います。