NO,267 田んぼ通信 平成28・12・15

 今年も残すところ半月余りとなりました。お米を通して皆様とお付き合いがはじまってから23回目の新年を迎えようとしています。今年も無事お米を届ける事が出来ました。お米を食べていただいている多くの皆様、そして田んぼの神様に心から感謝します。  高齢になると時間の経つのが早く感じると云うものの、特に今年はあっと言う間にすぎました。
今年は、大きな出来事が二つ ありました。ひとつは、従来の家族経営から法人経営に。
2月12日をもって法人成りし、「面川農場株式会社」として新たに農業に取り組むことに なりました。 法人成りしてからまだ一年過ぎていませんが、従来の家族経営から何が違ったか。次男の農業経営参加を機に取組んだ法人成り。法人成りしたものの、経営内容は従来の家族経営のままの同族会社です。 経営内容は、殆ど変っていません。変わったのは、農業経営に対する意識の変化です。経営者としての自覚です。これまでにもまして百姓として自覚するようになったことです。百姓をはじめて40年が経った今、いまさら社長を名のつもりはありませんし、面川農場株式会社の代表の肩書は、社長ではなく百姓が最もふさわしいとの思いをより強くしています。 少なくとも私が代表をしている間は、社長の名刺はつくりません。 代々百姓で暮らしてきた我が家にとって、法人成りは これからも田んぼと共に暮らし続ける為の戦略です。先祖から受け継いできた地域の田んぼを守り、それに寄り添って暮らしてきた家族をまもるため。 昨今の世の中の動きをみていると時代が大きく動き出したことを肌で感じる日々です。 激動の時代をどう乗り越え生き続けるか、これからが勝負時です。 ところで、時代の答えを求めて生きるのを止める事にしました。時代の答えなんかは、ないのだと気付いたのです。これから先は、自分自身で創りだすものだと。 自らの責任で、百姓・面川農場株式会社として法人成りの答えを出した今、やるべきことはただ一つ。世の中がどんなに変わろうとも、百姓・面川農場株式会社をこれからも存続させること。百姓として存続することです。法人なりして最初に取り組んだのが経営管理の外部指導による徹底です。 法人としての事業規模は、極小事業者です。それでも他人様の先祖伝来の田んぼや畑を預かって事業をするのが農業。まして農地は日本国の国土の一部を活用して、しかも 人様の命を育む食糧生産を担う大事な産業です。事業規模こそ小さいながら事業の社会的貢献度においては、大企業の経営者と全くひけをとりません。それが農業経営者です。それだからこそ、自分も含めて農業者は経営者として自覚を高める事が大切です。混迷極まる、日本農業の未来を拓くカギは、農業者を自立した経営者として認め、あらゆる農政を見直すことだと確信します。 今年、法人成りしてその決意を新たにしました。
二つ目は、念願の集落公民館が無事、18日に落成式を迎える事になりました。
今年の年賀状にも紹介しましたが、平成29年元旦・区主催・新年会は新しい公民館で行いますと区総会の席上で宣言しました。 建設準備積立金がほぼゼロで建設資金の確保や建設場所の選定など、多くの課題が山積する中、さっそく公民館建設委員会を立ち上げ建設を進めてきました。昨年3月の区総会で公民館建設が決議されてから僅か2年間という極めて短期間で公民館が落成できました。 総工費は、最終的には三千三百万となりました。最も心配した建設資金は、公益財団法人 自治総合センター(自治宝くじ)によるコミニティセンター助成事業が認められ事が大きな弾みとなりました。市からの助成金二百五十万円と合わせて千七百五十万円を確保できたことで、この際、公民館周辺整備事業も進めたいとの気運が高まり、支援の輪が一気に広がりました。単なる集会所としての公民館ではなく、災害時の避難場所や地域住民の交流の場としてふさわしい公民館が出来ました。70戸余りの小さな集落では、三千万円を超す事業はたいへんな事業です。しかも、公民館建設が話題になってからのこの三年間で区民からの積立金及び区内外からの篤志寄付などで千万円を超す資金を確保でき、僅かな借金で建設できました。 今回の公民館建設では、助成金の情報など、情報の重要性と地域住民の熱意ある行動が地域を変えるのだと実感しました。 追伸 6月の通信で紹介しました。カブトエビですが、我が家の殆どの田んぼで確認することができました。 皆様にお届けしていますお米は、カブトエビと共に育ったカブトエビ米ですのでお知らせします。 よいお年をお迎えください。


NO,266 田んぼ通信 平成28・11・15

 秋の長雨で苦労した今年の稲刈り、休む間もなくはじまった小粒大豆の収穫作業、それに続く二毛作の大麦の種まき作業。毎年の事ですが、9月から忙しい日々が続きました。 
昨日で、種まき作業のすべて終わりました。 例年よりも二週間ほど遅い種播き作業です。
農作業の遅れやお天気様の都合で 遅くなったのではありません。 意識的に種まき時期を遅らせる事にしたのです。これまでの経験から、 種まき作業が早すぎると収量、品質共に良い結果が出なかったのです。特に今年は、病気の発生で、収量・品質共に大きく低下しました。この病気を防ぐには、大麦の栽培を止めて他の作物に切り替えるのが、最も効果的な対策ですが圃場を変えることは簡単にできません。 土を媒介する厄介な病気です。調べてみると、病原菌は13度以下で発生しにくいというのです。そこで種まき時期を遅らせる事で、気温が下がるのを待って種まき作業をすることにしました。 ただ、大麦など冬を越す作物は、種まき時期が遅れると収穫量等に大きく影響がでます。宮城県の栽培指導指針によれば、大麦の播種適期は10月中旬から10月末までとなっています。 大麦栽培をはじめて40年程が経ちます。その間、暦を眺めつつ、遅くとも10月末に種まき作業をおわらせることを目標にしてきました。それを、これまでの経験をもとに、思い切って種まき時期をおそくしました。結果は、どうでるか。来年の収穫が楽しみです。 さて、農作業は、お天気勝負です。秋の夕暮れは、はやく夕方5時を過ぎるとあっという間に暗くなります。朝も5時を過ぎないと明るくなりません。朝夕のトラクター作業は、作業ライトを点灯して作業をします。毎年の事であり、まったく苦になりません。それは、仕事だからです。 
長時間労働による過労死が大きな社会問題になっている昨今です。春から秋にかけての農作業は、一日15時間以上に及ぶこともめずらしくありません。明らかに労働基準監督署からいえば超過労働時間であり、違法行為であります。 今年2月に法人化したものの家族経営の延長の経営です。まだ第三者を雇用していませんが、関係機関から雇用保険や労働条件整備に関する書類が届くようになりました。 これまで全く意識していなかった「仕事」と「労働」を否が応でも意識するようになりました。 あらためて辞書を開きます。仕事とは、何かを作りだす。または、成し遂げるための行動。 労働とは、からだを使って働くこと。特に、収入を得る目的で、からだや知能を使って働くこと。 とあります。 それでは、何かをつくりだし、成し遂げるための「行動」が「仕事」であり、また、からだを使って「働く」ことを「労働」というのであれば それでは、「行動」と「労働」ではどこが違うのか。同じ収入を得るにも、自らの時間を売って、その対価としてお金を求めるのか、自らの意思で作りだし お金を求めるのか、その差で 仕事や働くことに対する受け止め方が違ってくる。 なるほど、そうなのか・・・・・・。仕事がひと段落し、そんなどうでもいいことを、考える時間ができました。  ところで、最近 農作業に対する気持ちが変わった自分に気付きました。 歳をとったせいでしょうか。数年前までは、目の前に次々と現れる農作業を如何に効率的にこなすかということを最優先に考え仕事をしてきました。 常に、仕事・作業の段取りを考え行動する。 何のために 田起しなど農作業をするのか。 作物がよく育つ環境を作り、よりよい作物を育てる。そのことによって、多くの収穫を得る事ができ、結果として収入が安定する。 百姓はじめて40年。分かった様なことを、口にはするが、なにも分かっていなかった。いい作物を育てるためには、作物が気持ちよく育つ環境をつくる。それが、農作業の目的。 こんな当たり前のことを納得するのに、40年もの時間を要したとは。 自分の能力のなさを痛感する今日この頃です。 農業は、作物と話をして育てるものだと云うことを、耳にします。 その境地たてるのが いつなのかまだまだ分かりません。 たぶん最後まで分からないかもしれません。  それでも、最近 作物の姿が多少なりとも見えるようになりました。 わが百姓人生は、40年を経て漸くはじまったばかりです。


NO,265 田んぼ通信 平成28・10・17

 今年の稲刈りが14日に全て終わりました。 先月9日からはじまり一カ月が経ちました。 今年の稲刈りは、天気に恵まれず例年以上に苦労しました。長い稲刈りでした。 9月になってあいついで上陸した台風の被害は少なかったものの、最近まで秋雨前線が居座り梅雨空の様な蒸し暑い毎日が続きました。 9月の日照時間は、気象データーをみても記録的な少なさでした。 この天気で倒伏した稲はもちろんのこと、もち米などの発芽しやすい稲は、立ったままで穂発芽するなど最近になく困難な稲刈りとなりました。 それでも我が家では、夏の間にしっかり圃場を管理したのが幸いしました。倒伏した稲も少なく、少々稲が濡れていても刈り取り可能であれば少しの晴れ間を見て稲刈りをしましたので、刈り遅れによる品質低下は最小限に抑える事ができました。 最近のコンバインは、少々イネが濡れていてもロスも少なく機械も詰まることがなく、しかも田んぼがぬかるんでも刈り取り作業が出来ます。 機械の進歩は、目を見張るものがあります。 イネが濡れていれば、乾燥時間もかかりますし燃料代も嵩みますが、収穫する事が 最優先です。 毎日がお天気様のご機嫌を窺いながらの稲刈りの日々でした。
数日前から 秋らしい天気になり空気も澄み爽やかな季節になりました。ホット一息つきたいところです。 しかし、大豆畑では納豆専用の 小粒大豆が収穫適期を迎えました。あたりでは、収穫作業が始まっています。 我が家でも、休む間もなく大豆コンバインの整備をし、収穫作業をはじめました。 大豆の収穫もお天気勝負。大豆の収穫後には、二毛作の大麦の種まき作業が待っています。麦の種まき作業が終わる来月中旬までは、気が抜けない日々が続きそうです。
ところで、行政区長として今年最大の懸案事項。行政区の公民館建設が来月末の完成を目指して順調に進んでいます。集落の一番高いところに公民館は建設されます。 村全体が一望できる 眺めのいい場所です。 区民の憩いの場所として、また災害時の一時避難場所として大いに活用されるものと期待が高まります。今回の公民館建設費は、周辺整備を含めて総額二千八百万円です。 一般財団法人総合自治センターからの交付金千五百万が見事に認められ、角田市からの補助金が二百五十万円。合わせて千七百五十万円が補助されます。残り一千万円ほどを行政区で調達しなければなりません。70戸あまりの小さな集落です。高齢世帯でしかも若者が家を離れ別に暮らす家が多くなり、残された高齢世帯は 年金暮らしです。 年金暮らしの家庭から、まとまった金額を寄付していただき公民館建設を進めると云うことは 現実的には大変困難なことです。区民の一部から公民館建設を心配する声もでました。幸い一昨年から取り組んだ別の事業で、毎年行政区にまとまった収入が入ることになりましたので、その一部を区民個々に公民館建設積立金として寄付していただくことで理解をいただきました。区民総意の下に始まった公民館建設積立金を基に、一時的に金融機関からの借入金で資金繰りして公民館建設を着工。もちろん、建設にあたり区民の皆様に、毎戸均一な寄付をいただかない事で理解をもらいました。  公民館建設が進むにつれ区に所縁のある方々から篤志による寄付の申し出が出てきました。 大変ありがたいことなので篤志寄付を受ける事にしましたが、それがまたムラ社会の難しいところ。
一般的に公民館建設等の資金調達の手段として、区内の各家庭に「奉願帳」を回覧し寄付をいただく「奉願」の方法で行われてきました。今回は、奉願帳を回覧すると云うことは、当初から考えていませんでしたので、篤志による特別寄付をいただくことにしましたが、これまた区民の皆さんに文書でお知らせする事になりました。 篤志寄付を受け付けますと云う、しかも(決して強制ではありません)という気を使いながらの案内文書を毎戸に昨日付で配布。 相互扶助の精神を大切にというのは、言葉で言うのは簡単ですが、それを実行するとなると 表向き平等社会を基本にする現代社会にあっていろんな問題が出てくるものです。ムラ社会は、常に個々の日々の暮らしがあまりにも身近すぎる分、災害時の対応等には良い事もありますが、厄介な問題もあります。区民それぞれの立場を考慮し、日々の暮らしを平穏に過ごすために行動する。それが、行政区長の役目?楽しまなければやっていられません。「自立と共生とは・・」を自問自答しながら。


NO,264 田んぼ通信 平成28・9・15

 今年も 新米のご報告の季節やってきました。 長年にわたり我が家の米作りを支えていただいております皆様と自然界の神様にこころから感謝いたします。 
ありがとうございます。
今年は、例年よりも早く9日から ひとめぼれ の収穫作業をはじめました。 今月末には、晩稲のつや姫の収穫作業がはじまり、順 調にいけば来月10日頃には稲刈りが終わる予定です。
 今年のお米は、高温障害もなく近年になく上出来です。 気がかりなのは、お天道様です。 秋雨前線による長雨と台風です。
今年は、春先から極端な天気が続いています。 米作りは、毎年が一年生です。 田んぼに稲があるうちは安心できません。 常にお天道様のご機嫌を窺いながら、稲刈りし乾燥調整作業を済ませ、新米の出来ばえを自分の目で確かめるまで気が抜けません。 今年は、観測史上はじめて東北地方に台風が上陸。夏の前半は 台風の発生が極端に少なかったものの、今月にはいると相次いで台風が発生。 しかも、日本に上陸する確率も高くなっています。 特に台風10号は、仙台湾をめがけて北上しましたので心配しました。 幸い 台風直撃はまぬがれ、雨風も短時間で終わり最小限の被害で済みました。
 ご心配いただき ありがとうございました。
 しかしながら、岩手県や北海道で 相次ぐ台風の被害に遭われた方々に こころからお見舞い申し上げます。 ひとつ間違えば、私の地域もとんでもない被害に遭っていたかもと思うと、他人事とは思えません。 最近の天気は、極端です。 雨の降り方もこれまで経験したことのない様なドシャ降りです。 いつ何処でも 災害がおきてもおかしくありません。 
せめて、自分の身近なところから、常に災害への備えと心の準備だけはしておきたいものです。
 ところで、今月の11日 北郷地区敬老の集いが開かれました。 行政区長として事業の運営を手伝いました。我が家でも、おじいさんとおばあさんが揃って参加しました。
私の村は、世帯数1,335戸 人口3,748人です。 敬老会に招待される人は、77歳以上の方です。今年度の招待は、総勢555名です。 今年あらたに77歳となり招待されたかたは、38名です。
その中に、農業をはじめた頃にお世話になった先輩の顔もありました。
もう77歳になったのか思うと 感慨深いものがあります。 昨年から行政区長として、敬老会に参加させてもらいましたが、昨年よりも参加者が少なくなった気がしました。おなじみの先輩方の顔がみえないと 元気なのかと心配になります。戦中戦後の激動の時代を生き抜いてきた 80歳から90歳の先輩の方々。我が家のおじいいさんは、90歳。村の同級生で生きているのは 数名だけと寂しく語ります。 戦後の食糧難の時代を 食糧増産の掛け声と共に 田んぼに必死に通い、米作りに命をかけてきた諸先輩の方々。年追うごとに顔を見る機会が少なくなります。
それと共に、村の中で 米や田んぼに対する話題が極端に少なくなりました。 今年も 稲刈りが始まったというのに 敬老会の会場でも、米の話題はほとんどありませんでした。
あまりにも 田んぼやお米を軽視する昨今の風潮に危機感が募るばかりです。
 こんなことをしていたら、 いつの日か 神様の罰が当たります。
 さて、我が部落の最大の事業。 公民館の建設がはじまりました。 先月末に上棟式を行い 11月末の完成を目指し建設がはじまりました。 公民館は、部落の一番高いところ お寺の境内 の一部をお借りして建てます。 我が北郷村は、角田市内でも一番低いところに位置しています。
最近の異常気象をふまえ、万が一の避難所としても活用できるようにと考えています。
総工費2千7百万円。事業費の工面の目途が ほぼ経ちました。行政区長として先頭に立ち完成を目指しています。
     先ずは、刈り取りが始まったばかりです。 
天気予報は、秋雨前線の影響で 今週中は曇り雨マークの連続です。
少しの晴れ間を見て 収穫作業を急ぎます。


NO,263 田んぼ通信 平成28・8・17

 お盆も過ぎ、関東からやって来た親戚も帰り、ホット一息ついているところです。
今日は朝から嵐です。台風7号がやってきました。今回の台風は、発生してからまもなく日本にやってきました。勢力的には小さいものの台風です。どうなるものかと心配しましたが、被害もなく昼まで雨も上がりました。梅雨明け以来、日照りが続いていた田畑には恵みの雨となりました。 田んぼの稲は、今回の台風の影響もなく順 調に育っています。 今月に入ってから暑い夏が続いていましたが、7日の立秋を過ぎた頃から急に朝夕涼しくなりました。一昨日、田んぼの見回りをしていると、トンボが群れをなして飛んでいる風景を見ました。秋風に乗って蔵王の山々から飛んで来たのでしょうか。 つい先日 田植えをしたと思っていたら季節は、もう秋です。早いものです。このまま天気が続けば来月15日頃には、稲刈り作業がはじまります。今年も無事に新米を届ける事が出来ますように祈っています。  今年のお盆は、弟家族と叔母さん家族がやってきました。総勢10名。久しぶりに帰郷し、互いの近況報告等をしながら賑やかに過ごしました。 お盆に生まれ育った故郷に帰り、揃って先祖の墓参りをする。 当たり前に続いてきたお盆の光景も、最近おおきく変わってきたようです。近所の様子も、お盆で親戚が帰郷することも少なくなりました。戦後日本の高度成長を支えてきた世代は時代と共に高齢化し、また田舎の田畑を守ってきたそれぞれの家庭も世代交代するなどお盆をめぐる社会情勢は大きく変わりました。  少子高齢化社会は、東北の片田舎にもおよび、お盆や葬儀のあり方など日本の伝統行事などのありかたも変えよとしています。 昨今の農業の担い手不足や米価低迷に伴う、田んぼや畑に対する価値観の激変と あたかも時も一致するかのように時代のうねりを肌で感じる日々です。 これから先、どこに向かって進んでいくのか心配になりますが、我が家の進むべき道ははっきりしています。時代がどのように変わろうとも、先祖伝来の田んぼや畑を守り、田畑を荒らすことなく食べ物を作り続けること。 その時代なりに生き残りをかけ最善の策を模索つづけることだけです。   ところで、7月末に角田市長選挙がありました。 今回の選挙の争点は、道の駅建設に象徴される箱モノ行政から、財政の健全化と教育等の人への投資へ転換。 結果は、箱モノ行政の継続を訴える現職が800票差で勝利。新顔を支持しましたが負けました。今回の選挙は、選対には入らず、側面から関わらせてもらいました。選対に、入らなかったことで選挙戦を客観的に見る事ができました。今回の選挙、自分なりにテーマを決めました。「人間の集団心理と自立した個の確立」 選対からすれば、赤子と大人の戦い。 現職は無競争を前提とし昨年から周到に準備してきたようです。それもゼネコン選挙を熟知した者を抱え込み、集団心理と角田市長という些細な権力を巧みに利用し角田市民をコントロールしようと巧妙に仕組んだ、戦術。従来の選挙戦のやり方をあきらめ、ひたすら角田市民の唯一の意思表示の場、投票行為に期待するしかないと判断。 選挙公報と広報ビラに頼る、市民の判断に委ねるという戦術へ。 幸い、地元紙河北新報が選挙戦に入り、シリーズで選挙戦を取り上げていただいたことは ありがたかった。それにしても、告示後の各地の個人演説会で、地元の応援弁士を一人も頼めないとい異常事態を目の当たりにし、まさしく戦時下の言論統制を思わせる光景には驚くばかりでした。選挙前にあんなに現職市長を批判していたのに。選挙戦になったら主だった人は誰も声を出さない。人は、組織の名の下こんなに簡単にコントロールされるのだ。戦争も、こんな調子で拡大したのだろうと思うと 唖然とします。昨今 民主主義という言葉をよく耳にしますが 民主主義の根幹は日々の身近な暮らしの中から実践し声を出すこと。 民主主義の原理原則を学び 現実を変えようとしてデモに参加しても世の中は変わらない。 日々の暮らしの中で 生活に直結した問題から、おかしいものは おかしいと、主張し行動に移す。 それは、デモに参加することよりも、より勇気と 腹をくくった行動とエネルギーが求められます。 選挙結果は、真正面から受け止める心の準備はできています。常々、市民運動の延長では、選挙には勝てないと思っていましたが、対応が甘かった。 それでも、これからも角田の田んぼで生きていきます。


NO,262 田んぼ通信 平成28・7・16

 梅雨入りして以来、梅雨空が続いています。 雨量は多くないものの、この時期特有のじっとりと湿ったナマ暖かな空気につつまれた日々が続いています。 暑い夏が予報されていましたが 真夏日は、まだ数日しかありません。梅雨明けが待ち遠しいこの頃です。
大麦収穫後の二毛作大豆の播種作業も予定通りおわり、先ずは一息ついています。 先日、大麦の出荷を終えましたが、今年の出来は、あまり良くありませんでした。 細麦が多く、実りがいまひとつでした。麦は、気温が30度を超えると生育が止まるといわれています。穂が出てから乾燥が続き、4月下旬から5月はじめにかけての真夏日が出穂の時期と重なった事が影響したものと考えています。  種まき時期等、来年に向けて大きな課題を残す結果となりました。 
さて、一昨日イネの現地検討会を開きました。 ひとめぼれは、幼穂が5センチ程育ち 今月末には稲穂が顔を出すほどに育っていました。つや姫は、まだ数ミリ程度、出穂まで25日程かかるようです。稲穂も芽生えこれからの時期が稲の実りを決める大切な時期を迎えます。 生育状況を見極めながら 田んぼの管理を徹底する時期です。イネの作柄を決める大きな要因の一つは、お天道様のご機嫌にかかっているといえますが、稲も生き物です。日頃の管理作業の中で稲に接する思いも大切なことです。 稲は、足音を聞いて育つものだと云われるくらいです。時代が大きく変わろうとも作物に接する心構えは変わらないと信じます。 昨今、耕作面積の拡大により以前より小忠実(こまめ)な管理はできませんが、稲に対する思いやりの心だけは忘れずに田んぼに通います。   ところで、今月はじめに 田んぼの中干し作業のため全ての田んぼに入りました。 そこで目にしたのが、赤トンボが盛んに羽化し飛び立とうとしている姿です。 この赤とんぼ、正式には日本で見られる普通のトンボの仲間でアキアカネだと思われます。これまで気にしませんでしたが例年よりも多く目にします。あらためてアキアカネの生態を調べてみました。赤とんぼと日本の原風景といわれる田んぼが密接な関係があることが分かりビックリです。 アキアカネは、卵で休眠し冬を越すと云われています。田んぼに産み付けられた卵は、春になり気温が上昇し田植え時期になり田んぼに水が入ると、一斉に孵化し幼虫になります。この幼虫が立派に育つには、水が欠かせないと云われます。田植えが終わった田んぼは、稲作りの上で最も水管理に気を使う時期でもあります。稲を守るために水を絶やさぬように毎日田んぼに通います。また、稲の生育を早める為に浅水にして水温を高めるような水管理をします。この暖められた田んぼの水が、アキアカネの幼虫が育つうえでも極楽の様な環境だと云うのです。田んぼの暖かな水を利用してアキアカネの幼虫もどんどん成長していきます。そして、羽化する時期が、田んぼを一時干すための作業、中干し時期の6月末から7月初めに成虫になると云うのです。いままで、全く気付かなかった赤とんぼの生態。しかも、赤とんぼと重なる秋の夕焼け風景と稲作が密接に繋がっていると思うと田んぼへ通う楽しみがまた増えました。 羽化した赤とんぼは、これから標高1000メートルを超す高山目指し飛んでいき、暑い夏を過ごすといいます。西の蔵王の山々へ向かって飛び立っていくのでしょう。そして、暑さがやわらぐ9月初め頃から中ごろになると ふたたび里に下りてきます。 その頃は、稲刈りもはじまります。コンバインを運転しながら、また赤とんぼに会えることが楽しみになってきました。 
先月の通信にも書きましたが、カブトエビの大量発生、今回の赤とんぼといい、最近多くの生き物を、目にする機会が多くなりました。農薬が開発され環境に及ぼす悪影響に対し警鐘を鳴らした、レイチェルカーソンの「沈黙の春」が出版されて54年。農薬を完全に無視した農業は、考えられませんが、生産現場で少しでも農薬を減らす努力は、確実に実って来ている事を実感するこの頃です。 農法によって世の中を変えると云う動きもありますが、食糧問題は安定供給という大きな使命を担っています。食糧生産に携わる者のひとりとして安全な食べ物を安定供給し、農薬等の環境に負荷をかける資材を少しでも減らす努力は経営者の社会的責任の上で、ごく当たり前のことです。その基本となる技術は、土づくりです。


NO,261 田んぼ通信 平成28・6・17

 今月13日、東北地方南部も梅雨入りしました。 近年、梅雨入り宣言がでてもカラ梅雨の年が続いていました。今年は違います。梅雨入り宣言と共に毎日が曇天、梅雨シーズン到来を思わせる天気が続いています。 今年は、春から雨が少なく気温も高く、5月に入ってから真夏日を記録する等、極端な天気が続いています。 この天気で 多くの作物は、7日から10日あまり生育が早まっています。 田んぼの稲も生育が良すぎるくらいです。 二毛作の大麦の収穫作業も例年よりも早く、今月 4日に終わりました。今年の麦は、高温と乾燥が続いたことが 影響し稔りがよくありませんでした。 昨秋以来、気合を入れて取り組んだものの結果は良くありませんでした。これもお天道様の下での生業。それが百姓仕事。諦めることなく現実を真正面から受け止めるしかありません。梅雨空が続く中、次の仕事の大豆の種まき作業を如何に進めるか、想いを巡らす毎日です。
さて 「田んぼや畑等の農地はゴミだ」 「ゴミを集めて何をする」 
今年2月に開いた 農業経営セミナーの講師先生の言葉です。10年前に来ていただき、思うことがあってまた来ていただきました。愛知県の公認会計士で、私が信頼する先生の一人です。 
この言葉が、この春から頭にこびりついて離れません。田んぼで仕事をしていると「田んぼは、ゴミか!」という問いが頭をめぐります。 国から借金をしてまで田んぼを購入し規模拡大をしてきた私です。百姓はじめて40年。還暦を過ぎた今まで、必死に田んぼにしがみ付いて生きてきました。
昨今の大幅な米価の低迷、それと相まって田んぼの値段が20年前の10分の1に下がり、その流れが止まりません。就農以来 コメ作りを共にしてきた先輩方のコメ作りからの相次ぐ撤退。「農地は国の宝だ」大切に生きなさいと 諭してくれた大先輩方の死去。 米をめぐる環境は、時代と共に大きく変わりました。  
農作業の合間に、頭を巡らす「田んぼは、ゴミか」という自らを問う言葉。
私にとって、田んぼとは。 財産としての田んぼは存在しません。家族を養うための大切な生産基盤であり、それを充実させることは将来を約束するものと信じて田んぼに立ってきました。その思いは、昨今の環境の激変のもとでも揺るぎません。しかし、先日の農業関係団体の会議の席上でも、田んぼ10アール(300坪)の値段が10万円、20万円もだせばどこでも買える。という話が平然として話題になるご時世です。 あまりにも安過ぎるともいえる、田んぼの価格を思う時、田んぼ(イコール米)の価値がなくなったものだと忸怩たる思いになります。それでも、田んぼは人の命に直結する食べ物の問題。こんな世の中いつまでも続くわけがない。お天道様の下での生業。そんな単純な問題ではない。 この想いは、より揺るぎないものとなってきました。
経済界が目指す次なる産業は、農業であり、食糧の安定生産と確保つまり食糧安保問題が次なる大きな政治課題に上ることは目に見えています。 その時になって、長年 田んぼを支えてきた百姓の想いを役に立てたい。役立つ世の中が必ず来ると信じています。そのためにも、今が最も頑張り何処。先ずは、百姓専業として生き残ることが最も大切であり、いまやるべきことは、立派な米を育てる事。 そんな思いを胸に いままでになく田んぼへの想いを熱くして田んぼに通っています。
 ところで、先月末に、目黒区の米屋の皆さんが田んぼの視察にやってきました。今回の視察の目的は、ここ数年 確実に増えてきたカブトエビの生育状況の確認と今後の展開についての話し合いです。
このカブトエビ、生きた化石とも呼ばれ三億年前に地球上に現れたもので三葉虫と一緒に化石で見つかったといわれています。三葉虫は絶滅したけれどカブトエビは今もなお生き続けています。本来カブトエビは、西日本の田んぼに生育していました。それが地球温暖化のためか東北の田んぼにも見られるようになりました。 
我が家の田んぼは、15年以上前から見られるようになり今年は、全部の田んぼで確認できるようになりました。不思議な事に、他の田んぼでは、あまりみられません。これまでわかったことは、良質の有機質肥料を施した田んぼでよく育つということです。長年うまいコメ研究会を結成し良質の有機質肥料中心に栽培してきたメンバーの田んぼにも確実に増えてきました。 この秋から カブトエビが育った田んぼの米を カブトエビ米として目黒区の米屋さんで 販売する計画が進んでいます。 東日本大震災から5年が過ぎたいまでも、東京電力福島原発による放射能汚染による風評害がのこっています。 理屈ではなく、数億年生き続けてきた、生物がこの角田の田んぼで確実に生き続けている、それも毎年増え続けているという事実を お米を通して消費者の皆さんに伝えたい。そんな計画が、新米に向けてすすんでいます。


NO,260 田んぼ通信 平成28・5・16

 今年の田植え作業も、2ヘクタールを残すだけとなりました。もう少しで終わります。
今年の作付け面積は28ヘクタールです。先月28日の用水開始から、夜明けから手元が暗くなるまで 田んぼに通い続けました。 コメ作りをはじめて42年、これまでになく気合を入れて
田植え作業をしています。 先ずは、田植えをしなければ お米はできません。コメ専業で生きる我が家にとっては、最も大切な仕事です。
今年から、長男に代わって新戦力として次男が経営に参加。
 建築設計事務所で働いていた次男。この春から、東京暮らしから 実家での米作りへ。 
我が家にとって大きな経営環境の変化です。これを機会に、我が家の経営も2月12日をもって法人化しました。 面川農場株式会社としてコメ作りは、初めての年です。 法人化したものの、経営的には、これまでの家族経営の延長です。 これまで全くといっていいほど農作業の経験がなかった次男が、我が家の経営の担い手として参加。それに伴い、たんなる農作業従事者としてではなく 初めから経営に参画する事に。 還暦を過ぎたいま、まさか会社を立ち上げることになるとは思っていませんでした。 百姓をはじめて42年。この間、無責任極まる農政に振り回され、それでも米作り専業農家として、なんとしても生き残る。兼業としての米作り農政が続く中、コメ作りだけで生き残る農家が存在しなければ、日本の米作りの将来はない。評論家としての米作り農家だけが多くなった時代。それだけでは、日本の田んぼは維持できない。そんな想いと信念で田んぼに通い続けてきました。日本の伝統文化の源は、田んぼであり、米づくりだとよくいわれます。 それでは、田んぼでコメを作るのは、誰か。 それは、趣味の領域で田んぼに通うのではなく、家族が生きる為の糧を得るため手段として、田んぼに通う農家です。
その形態が専業農家であれ 兼業農家であれ、ましてや法人であれどうでもいいことです。 
経営形態は、どうであれそれぞれの家庭の財布に 田んぼが結び付かないかぎり、田んぼは維持できないと考えます。ましてや、稲作に係わる伝統文化となれば、暮らしと田んぼが密接に関わってこそ育まれてきたといえます。それが、時代と共に稲作技術も機械化され、田んぼへの思いをどのように暮らしの中に取り入れていくか。それを常に問いかけることが、自分への課題です。
一昨年に極端に米価が下がってから、担い手の高齢化と相まって、田んぼが これまでの稲作農家の財布から離れた存在になってきたのです。 その事が、田んぼはいらない。厄介ものだ。 できれば、処分できるものなら処分したい。そんな雰囲気が漂うようになりました。
先日、近くの農機具修理店に行ったところ、ひと昔前は、田植えシーズンともなれば、機械の修理を頼まれて田んぼに直行すると、車が通れないほど人がいたものだ。今年は、ビックリするほど田んぼに人がいなくなった。 時代は、大きく変わったものだと しみじみと語っていました。 いま、コメ作りは激変の時代を迎えました。一時は、経営規模縮小を考えたものの、次男が仕事として 我が家の米作りを選択したのであれば、なんとしてもコメ農家として生き残りを考えなければならない。 その結論として法人化の道を選択しました。
農業は、農業であり、生業として経営するのが最もふさわしいのだ。という想いでこの42年間 米作りに取り組んできました。法人化してまだ、間もないのですが、その思いは、ますます強く感じています。 生業としての米作りの精神が、法人化した我が家の社訓です。 コメ作り農家と生き続ける為の手段として法人化したのであって、農業を会社にするため法人にしたのではありません。 前にも書きましたが、私の名刺の肩書きは、百姓そのままで通します。いまさら、 社長の肩書を語るつもりはありません。 息子がどうするかは、任せますが、社訓としての、地域の暮らしと共に生き、生業としての農業の精神だけは伝えたいです。国から借金してまで、田んぼを購入して規模拡大をしてきた我が家にとって残された選択肢は前を向いて前進あるのみです。 人が生きる為に最も必要な、食糧を生産しているという誇りと責任において田んぼに通う。 そんな仕事に従事できただけでも幸せ者だと思い、田植えをしています。


NO,259 田んぼ通信 平成28・4・15

 昨夜から強い風が吹いています。この風で桜が一斉に散り始めました。今年の桜は、例年よりも早く三月の末から咲きはじめました。しかも、色が鮮やかで近年になくきれいな桜でした。 毎年の事ですが、桜が咲く時期は 種まき時期でもあります。本格的な農作業がはじまります。夜明けも早くなり 朝五時前でも仕事ができます。 ゆっくり桜の花を楽しむ時間はありません。それでも農作業の合間をぬって、朝日に映える残雪の蔵王の山々を背景に満開の桜並木を眺めると ひと時の幸せを味わう事ができます。 朝起きて真っ先に行くのは、育苗ハウスです。いま育苗ハウスの中では、4月3日に種まきした苗が順ちょうに育っています。育苗ハウス内は、緑のジュータンを敷き詰めたようです。早朝、葉先に着いた小さな露が、朝日に輝く様は正しく宝石の数々を散りばめたようでもあります。種まき作業は、田植え作業に合わせて8回に分けて行います。これまで、半分の種まき作業が終わりました。毎日の育苗管理作業と共に、田んぼの砕土作業、肥料の散布などの作業もはじまりました。 田んぼ仕事は、お天気次第でもあります。 今年は、先月の一カ月の雨量が たった8ミリという極端な乾燥状態が続きました。田んぼは、カラカラ状態に乾き、砕土作業等は例年になく早く進んでいます。 もう直ぐ元肥散布作業もはじまります。来月の田植え作業に向け、お天道様と暦を睨んでの農作業は続きます。
 ところで、部落の行政区長を引き受けてから 1年が過ぎました。先月の20日行政区の総会も無事終わりました。 忙しいのによく引き受けたものだといわれて、あらためてなるほどと ヘンに納得する私でもあります。行政区長は、正しく行政の末端で住民の生活に関する全て相談の窓口であり、村の行事の殆ど全てに招待されます。 これには正直、なってみて初めて理解できました。 少々の会合は、できれば欠席すればいいと思って引き受けましたが、これができません。なにしろ、村(地域)の行事は、部落の関係者も出席します。区長は、あらゆる会合で招待者として紹介されます。地元の関係者がいる中で、他の区長が紹介される中で、オラホの区長だけが来ていない。ましてや田んぼで仕事をしていたなどとなれば村中の話題になり、信用問題にもなります。ということで、いままで以上に時間のやりくりし毎日を精一杯 過ごしてきました。
さて、3月は卒業、4月は入学シーズンです。行政区長も地域の代表として、式典に招待されます。3月12日は中学校の卒業式。3月18日は小学校の卒業式。3月19日は児童館の修了式。4月8日、中学校の入学式。4月11日、小学校の入学式。4月12日、北郷児童館の入館式。北郷児童センターに入館したのは、4歳児14名です。生まれて初めての集団生活。式の最中、ジッと椅子に座っているなど無理な話。なんとも和やか雰囲気での式典でした。小学校の入学式は、まだ子供ながら懸命に大人の仲間入りをしようと頑張ろうとしている姿が初々しく感じられます。それが中学校卒業式となれば、立派な大人。我が母校、北角田中学校は、角田市旧7町村の内、4つの中学校が合併してできた統合中学校です。それでも、卒業生は70名あまり。子供の数の少なさを実感しながらも、式典は凛々しく大人を感じさせられる式典で感激しました。
この1カ月あまり、児童館の4歳児の入館式から15歳の中学校の卒業式まで、一連の学校行事にすべて出席させていただき感じた事。 人は、ひとつひとつ節目(イベント)によって、自分を自覚し育つものだと。教育制度の役割と重要性を今更ながら実感させられました。通過儀礼とは、よく言ったものです。 
  また、3月末に南岡行政区に朗報がありました。 区長として最大の懸案事項、公民館建設の建設資金をどう調達するか。 最も期待していた自治宝くじのコミュニティ助成事業に申請していた千五百万円、満額が認められましたとの報告がありました。これで、角田市役所から助成金二百五十万と合わせて千七百五十万円を確保。また、昨年度から集落の皆さんの協力で積み上げた五百万円とあわせて二千三百万円を確保。これで建設資金の見通しがたちました。助成金がなければ、農協から二千万円の借金をする覚悟ではじまった公民館建設です。助成事業の情報をいただいた方に心から感謝いたします。情報の重要さと、熱意ある行動力の大切さを痛感させられました。申請にあたってご指導いただいた皆様に感謝します。


NO,258 田んぼ通信 平成28・3・14

 今年も3月11日がやってきました。 あの時と同じように種モミの塩水選作業をはじめました。午後2時46分、遠くから市役所のサイレンが聞こえます。作業の手を休め東に向かって
妻と共に黙祷をささげました。 東日本大震災から5年が経ちます。 もう5年が経つのかと思うと感慨深いものがあります。 先月初め、久しぶりに津波の被害にあった隣町を訪ねる機会がありました。真っ先に向かったのは、5年前、消防団で応援出動した山元町磯浜地区です。福島県と接しているところで、国道6号線から車で数分も走れば太平洋です。 震災当時、海まで行く途中の道は、がけ崩れ等で車が漸く走れる状態でしたが、道路は立派に整備されていました。 震災前は、大きなホッキ貝などが獲れた豊かな小さな漁村で、村を常磐線が通り数百人が暮らしていました。大震災から5年が経ったいま、瓦礫はなくなったものの震災当時と何も変わっていません。 土台跡だけが、かつてこの地に人々の暮らしがあったことを物語っています。荒涼としたひろい大地を、海岸線の堤防工事のために大型ダンプカーだけが盛んに走っていました。
5年が経つというのに、福島県から宮城県南部にかけての沿岸部の復旧工事は道半ばです。
 ところで、今年も東京工業大学の留学生の皆さんがやって来ました。今年で、8年目になります。 2月24日から27日までの三泊四日。 今回は、タイ・中国・インドネシア・台湾・パキスタン・マレーシア・フィリピン・ドイツの8ヶ国。市内9軒の家庭にホームスティーしながら角田を楽しんでもらいました。 我が家には、タイ・マレーシア・台湾の三人のお嬢さんたちがやってきました。 JICAの研修員をはじめ外国人のホームスティーの世話を30年来 続けてきましたが、今回ほど ホストファミリーの手配に苦労した事はありませんでした。 
今回の、受け入れは16名。事前に8軒のホスト先を準備して待っていましたが、前日になってインフルエンザの発生や家族に突然の不幸がおこりキャンセル、しかも当日の朝になってからもインフルエンザでホスト先がキャンセル。相次ぐホスト先のキャンセル。愚痴をこぼす暇などはありません、即対応。これまでの経験と持ち前のネットワークを駆使し、到着前までにホスト先をなんとか確保。無事にホスト先に留学生を引き渡し、ホット一安心したのも束の間。
 ホスト先から、「いま家に着いたがインドネシアの留学生が、犬のいる家庭には 宗教上の理由で泊まれない。ということで困っている」との電話。ナンという事だ。という愚痴を言う間もなく、これも即対応。 終わってみれば、予定していたホスト先を前日から当日にかけて、8軒のうち 半分の4軒を新たにお願いし、合計9軒の家庭にするという前代未聞の事態でした。
外国人のホームスティは、 ホスト先を決めるには、事前に相手方の事務局から 宗教上の問題や食事に関するデータをいただき、男女、国別、日本語の程度など あらゆるデータを考慮してホスト先をお願いしてきました。 それが、前日しかも当日に ホストをお願いするという事は どんな非常識なことか、考えるまでもないことです。 それでも 愚痴を言っている暇はありません。 ホストを引き受けていただいた皆さんが二つ返事で即、了解していただいたことは、頭が下がります。 これまで仲間と共に歩んできた経験が活きました。角田の底力を見たおもいです。 それにしても、30年来 毎年のように80カ国以上の多くの国々の人を引き受けてきましたが、犬がダメというのは初めてでした。事前のデータにもありませんでした。厳格なイスラム教の家庭で育った学生で、食事はもちろんのこと、犬の唾液は不浄のものであり、家の中で一緒に住むということはとんでもないということでした。 またひとつ勉強になりました。
それにしても・・・・。 今回の事で、角田には本当に素晴らしい仲間がたくさんいることを再確認させてもらいました。 今回の御褒美は、留学生の皆さんの 明るい笑顔と角田に対していい印象をもって帰ってもらったこと。 角田の皆さん ありがとうという 感謝のことば。
それだけで、 苦労が吹っ飛びます。 そしてトラブルを含めて、今回もおおいに楽しませていただきました。 こちらから、東京工業大学の皆さんに あらためて ありがとう。
また来年も待ってかんね。


NO,257 田んぼ通信 平成28・2・15

 昨日の最高気温が20.5度。2月としては、観測史上で最も高い気温を記録したといいます。
さすがに20℃を超えると、厚着をしているせいか少し動くと汗ばみます。この暖かさで北向きの梅の花も、ほころびはじめました。まだ、2月も半ばというのに。 この暖かさで、あらゆる農作物の生育が進んでいます。そこで心配になるのが,晩霜の被害です。就農した40年前頃は、毎年のように晩霜の被害があったものです。最近は、温暖化のせいで大きな霜の害はありませんが、異常な天気しかも極端な天気の変動が気になります。 災害は、忘れた頃にやってくる。野菜や果樹など多くの農作物に、とんでもない被害が出る可能性があります。 今年の田んぼの育苗には、これまでになく注意が必要だと考えています。 ことしの御諏訪神社の筒粥目録によれば、作物の出来はあまり良くないとのお告げがありました。百姓仕事は、お天道様次第です。常にお天道様と素直に向かい合い、与えられた仕事を日々確実に積み重ねるだけです。 備えあれば憂いなし。
豊穣の秋を信じて、今年も本格的な農作業が始まります。
 ところで、先月末に外務省から突然電話がありました。 2月に政府の招へい事業で中国政府関係者がやってくるが、我が家を訪問したいという要請があったがどんな関係かというのです。 突然の事でこちらこそ ビックリ。そういえば、正月に中国国務院発展研究中心国際合作局局長 程国強さんからメールがあり、2月に日本に行く機会があるので、是非会いたいというメールをいただいた。正直、中国国務院発展研究中心国際合作局局長 なる人物、記憶にない。迷惑メールだと思い削除したが、半信半疑、もし仙台に来る機会があれば我が家にも、訪ねて欲しいなどと返信した覚えがある。そんな話を外務省担当者と話をしました。逆に、私の方からその人物、中国政府関係者というがどのくらい偉いのかとたずねるあり様。 そういえば数年前に農林中央金庫総合研究所の友人と共に中国の先生がやって来て、農業政策について話したことがあるが、わざわざ訪ねていただく様な関係ではない。日本の農業について調査するのであれば、宮城に来るまでもなく関東周辺に立派な農業者がたくさんいるので そちらを訪ねればいいのでは、という話をしました。  それが、どういうわけか今月の4日、その中国国務院発展研究中心国際合作局局長 程国強さんが 我が家にやってきたのです。
それも、中国から二人の御供と外務省から依頼された通訳さんを連れて。 
事前にいただいた資料によれば、今回の訪日は、外務省の中国からの招へい事業で2月1日から5日まで滞在です。
東京では、経済産業省、経済界、農水省、農中総研等の幹部との懇談など忙しい日程のなかで宮城県庁及び角田市役所で 農業関係との意見交換をし、わざわざ 我が家に来るというのです。
外務省の資料によれば、中国国務院発展研究中心(DRC)は、中国政府に直属する中国国内有数のシンクタンクで主要国の有力機関とも対話の枠組みもあるといいます。程さんは その中で国際会議、シンクタンク間の協力等の国際交流・協力を担当する部門の責任者だというのです。
そのような人物が何故。
前回は2013年2月24日に横浜国立大学客員教授として来日していた時に 農林中金総合研究所の友人と共に訪問いただきました。正直 前回のことは、ハッキリおぼえていません。 妻と共に新幹線の駅まで出迎えましたが、程先生から開口一番、今回の訪日の目的のひとつは、私に逢うことだ、という言葉いただきただただ恐縮するだけでした。前回は、どんな話をしたかは殆ど忘れていましたが、程先生はその内容を覚えていました。
前回の話を中心に現在の農政を中心に予定の時間2時間をオーバーして 3年前の写真等を見ながら和やかに懇談していただきました。現在我が家は、株式会社として農業を事業として展開する準備をしている最中だと話をすると、なんで法人にするのかという話題で盛り上がりました。中国でも新しい試みをはじめている。成果も上がっているので是非 北京に来てほしいという話をいただきました。今年から 次男が農業に参画しますが、同席していた次男に 数年後にまた日本に必ず来るのでその時はまた 是非 訪問したい。頑張って欲しいと言葉をいただきました。私からは、日本の農業は大きくかわる。 これからの激動の中で、なにがなんでも生き残りたい。倒産しないように頑張るので、また是非来て欲しいという話をさせていただきました。
 さて、我が家は、2月12日法人登記申請をしました。 これからは、「面川農場株式会社」として より一層皆様のご期待の応えるために事業を進めてまいりますのでよろしくお願い申し上げます。 私の名刺の肩書きは、
従来通り 百姓・面川義明です。 その心意気は、随時 話させていただきます。


NO,256 田んぼ通信 平成28・1・16

  寒中お見舞い申し上げます。
一年で一番寒い時期を迎えました。 それにしても、今年は、天気が へんです。
異常に暖かな日が続いています。正月も過ぎた昨日、この冬はじめて雪が積もりました。
それも、朝起きて うっすら数センチの雪化粧。昼までには消えてしましました。 異常すぎる暖かさで、麦畑は日増しに緑を濃くしてきました。麦を育ててから40年経ちます。いまの時期は霜柱がたち畑に入れません。 今年は、全く凍みていないのです。いままでないくらいの、生育の良さ。 好過ぎて心配になるほどです。 麦は、踏めば踏むほどよくなるといわれてきました。それでも、これまで春先に一回だけ麦踏み作業をするのがやっとでした。今年は、違います。 少しでも生育を抑えるために年末と数日前の二回、麦踏みローラー作業をしました。これも 初めての経験です。 年頭にあたり、今年の目標として「種を播いたら確実に収穫する」「基本に忠実な作業、精一杯手をかける」を掲げました。 異常すぎる天候。農業は、お天道様次第というものの、備えあれば憂いなし。 これまでの経験を基に、手を惜しまず田んぼに通うことにしました。 これが、なかなかたいへんなこと。あたりまえ過ぎる目標こそが難しい。
今年は、より一層 気持ちを引き締め農業に励みます。 よろしくお願いします。
 さて来月から 我が家は、「面川農場株式会社」として 農業を事業として展開します。
今年から東京の設計会社に就職していた次男が、あらたに経営に参画する事になりました。 
農業の法人化は、まえから叫ばれていた事です。いまはじまった事ではありませんが、なかなか踏み切れずにいました。 法人化の優位性が見いだせなかったからです。農業は、生業であり生活と事業が 一体化した暮らしそのものが生き方としてひとつの理想だ。「趣味は百姓、職業は 農業」そんな思いでこの40年間、百姓を続けてきました。 その思いは今でも変わりませんし、
年を追うごとに、より強く確信するようになりました。 それが、なぜ株式会社なのか。 
いま使っている名刺は、 百姓 面川義明 です。これからも、同じ名刺を使います。
私にとって株式会社化は、「趣味は百姓、職業は農業」の暮らしをこれからも継続する為の手段にすぎません。 農業を取り巻く環境は、急激に変わり始めました。その激動の中を生き抜くひとつの術として、また息子達の将来により責任ある事業展開をするために決断しました。
 これからも、よろしくお付き合いをお願いしたします。
 今年の 年賀状です。
明けましておめでとうございます。
これまで経験したことのない程の暖かなお正月を過ごしています。 あまりの暖かさに夏の天気が心配になります。おのずと気が引き締まります。 昨年4月、行政区長になりました。集落の戸数は70戸の小さな部落。 区長は、「区長さん」と呼ばれます。区長になってもう直ぐ一年が過ぎます。 なぜ、「さん」づけで呼ばれるか分かってきました。区長は集落内の慶弔に関する事はもちろん、地域の自治センターや市役所の諸行事に招待、出席を求められます。忙しいのにご苦労さんという思いを込めて「区長さん」と呼ばれるのだと・・・。いまでも、よく区長を引き受けたものだと驚かれるあり様。 行政組織の中でも末端で常に住民の暮らしと向き合いながらお世話をする。それが行政区長。いわば市役所の小間使い役です。今年の最大の目標は、集落の公民館を新しく建設する事。築60年を過ぎ市内で最も古い公民館。それを、新築するのです。元日の新年会で「来年の新年会は新しい公民館でやります」と宣言しました。総工費2千5百万円。一人暮らしや年金生活者が多くなる中、資金繰りから建設完工まで益々忙しくなります。 天候も異常ですが、世の中も激動の予感。まさに、歴史的転換点を生きているのでしょう。
こんな時こそ、足元を見つめ直し、自分に与えられた仕事を確実に積み重ねる。小さいことを大切に。種を播いたら確実に収穫する。
今年もよろしくお願いします。 平成28年 元旦