NO,291  田んぼ通信 平成30・12・26

 今年も残すところ半月余りとなりました。 年を取ると時間の経つのが早くなるものだとは、よく聞きます。 その言葉を実感する年になりました。  12月に入っても お天気様がおかしいです。今月初めには、12月だというのに最高気温が20度に迫る気温。その数日後に 朝起きると真っ白な銀世界。最低気温がマイナス6度を記録。極端な気温変動の激しい日が続いています。さて今月3日、東北農政局・鈴木局長が我が家にやってきました。生産現場の声を聴かせてほしいとのことです。局長他 地方参事官・宮城県南部担当職員2名の計4人での訪問でした。当日は、我が社の専務・次男と妻の3人で応対しました。予定のⅠ時間を超え2時間ほどの意見交換でした。  鈴木局長は、本省から今年7月に東北農政局に赴任したばかり。農政局の職員によれば、これまで局長が直接個人の経営体に出向いて意見交換するのは極めて異例の事だといいます。当日は、就農当時からの友人で法人経営(現在120ヘクタールの水田経営)をしている市内の(有)建土農場と二か所を訪問、率直な意見交換をしました。 訪問早々、先ずは、名刺交換。 私の名刺は、これまでの 百姓・面川 義明 の名刺。それを見て鈴木局長 思わず社長の名刺は?との問い。すかさず、私は、社長になりたくて法人経営にしたわけではない。 ここにいる専務・息子が家で稼がせてほしいということで、職場としての環境整備のために会社にしただけで、法人経営が本意ではない。しかしながら、農業は未来永劫引き継がれていくべき大切な産業。そのためには、若い担い手が育っていかなければならない。そのためのひとつの答えとして法人にしただけ。 これからも、社長の名刺は作るつもりはない。しかし息子が専務取締役の名刺から将来社長の名刺を作るかわ、別問題だ。 そこで局長、奥さんの名刺は、ときました。すかさず妻が、まだ、作ってもらえません。ときました。 局長から奥さんにも名刺をつくってあげないと・・・。 是にはまいりました。 局長が帰ってから早速、市内の印刷屋に出向き、常務取締役の名刺作成を依頼。 そういえば、最近 妻の経営に対する態度が多少なりとも変わってきたかも。 名刺の効果?  意見交換の中で、数年前の米価下落対策の支援策に対する不満を問いかけると、局長曰く あの政策は私が担当して作ったもの。 そういえば、あまり売れなかった政策だったとの答え。 もう少し、真面目に勉強して政策を立案したらと、言いかけて思わず言葉を飲み込みました。 また、農水の予算の中には、担い手育成といいながら理解しがたい予算が見受けられるので 生産現場が取り組みやすく、国民の理解が得られる政策をお願いしたい。また、本省の政策立案の意図が県庁・市町村・JAはじめ農業関係機関と現場に降りてくるにつれ、その意図が勝手に捻じ曲げられ 政策そのものの意図が現場に伝わらない。 これが、これまでの農政、特にコメ政策においては、延々と続けられてきた。その結果として、水田農業の極端な担い手不足を招いてきたのではないか。 コメ政策においては、産業政策と地域政策と車の両輪のごとく、同時に生産現場に問いかけられてきた。そこで目の当たりにしてきたのは、常に地域政策優先のコメ政策だった。産業政策としての政策説明は、ほとんどなかったといえる。農業者の意識改革を言う前に今必要なのは、農政に携わる国の役人及び地方治自体の職員、そして農業関係機関の職員の意識改革から始めないと現実は何も変わらない。これまでの農政、つまり地域政策優先、兼業稲作経営維持のコメ政策を続けていくのであれば、ますます 米作りの担い手はいなくなる。その先に見えるのは、地域の田んぼの所有者は、東京の金持ち(外国資本)。現場で働くのは外国人労働者、地域の担い手は 良くて現場の農場管理者がせいぜい。 そうならないためにも、全ての農業者が法人経営者になれとは言うつもりはありません。少なくても税金を投入して日本のコメ作りの担い手を育てるのであれば、地域の中心経営体は法人化を求めるべきであり、地域で生まれ育った百姓のセガレが社長になれる政策に思い切って政策転換してほしいという思いで、東北農政局長との意見交換をおえました。この様子は、東北農政局のホームページ。東北フォトレポートギャラリー、局、 局長、の動き 宮城レポート 詳細をクリックしてみて下さい。  今年も、お世話になりました。 良いお年をお迎えください。


NO,290  田んぼ通信 平成30・11・17

 このところ、お天道様のご機嫌がへんです。 晩秋だというのに暖かな日が続いています。 今年は、暖冬だという話は夏ごろから 信頼する地元農事気象予報士?から聞いていましたがそんな感じの今日この頃です。 そこであらためて、彼の気象予報の根拠としている平成30年 農事気象予測の暦を点検。 (この暦は、我が事務机の前に貼っています)それによると、11月から12月の気象予測は以下の通りとなっています。【11月7日立冬(これより冬)上旬は天候不順なれど中旬より秋晴れとなる。地温、気温共に例年よりも高くなる。 12月は、晴天の日が多く暖冬となる。月末に大雪降る。日本海側は豪雪となる。太平洋側も降積雪注意。関東地方は水不足となるも降雪注意。1月は、晴天の日があれど集中的に寒波来る。雪質重く大雪になるところあり。】 となっています。この暦、私には理解できませんが、旧暦・五行・九星配置・ 太陽と金星の運行などの要素から総合的に判断し予測しているといいます。私は、 少なくとも コンピュターをもとに予報を出している日本気象協会の長期予報よりも格段に信頼しています。 事務机の前に もう一つの暦が貼ってあります。 隣村にある諏訪神社の神事に基づく作占い。 筒粥目録です。 それによれば、稲作の早生種・7分、中生7分・晩稲六分。となっています、六分作は不作を意味します。 これは、大当たりです。 確かに、早生の ひとめぼれ は質、量ともにいい出来でしたが、晩稲の つや姫・コシヒカリは 総じて出来が良くなかったようです。 この一年を振り返ってみれば、春先から気候の変動が大きかったといえます。 これまで、経験しなかったような猛暑の日々。 当地方は、幸い台風の被害は少なかったものの相次ぐ台風の襲来。  あきらかにお天道様がおかしくなってきたことは確かです。温暖化の影響といわれていますが、この現実を真正面から受け止め、これからを生き抜くしかありません。 このような中にあって、収穫が終わった今、我が家の作柄を振り返ってみれば作付けした全の作物で、まずまずの出来栄えだったいえます。あらためて土づくりの大切さを実感させられた一年だったといえます。また、これからのコメ作りを担うべき担い手農家といわれる経営体間での収量差が大きくでてきた年だったといえます。 特に、一気に表面化してきたコメ作りから撤退する農家の 激増。それに伴う急激な規模拡大による明らかな栽培管理不足からくる減収が目に付くようになりました。 また、昨今の長期米価低迷や経営規模拡大に対応すべく、官民挙げての生産コストの低減が叫ばれています。確かに生産コストを下げることは、これからの稲作経営を考えると 避けられない課題です。ただ問題なのは、コメ作りの基本技術を忘れ、省力栽培イコール省略栽培になっていることです。全ての事に通じることですが、基本を大切にする。特に、人の力が及ばないお天気様、命ある農作物相手の農業は、昔から言われてきた農業の基本技術・土づくりを 大切にする経営こそが コメ作り農家として生き残るために最も大切にしなければならないことです。 このことは、我が家の経営においても他人事ではなく、息子には常に言っていることです。「マーケティングを言う前に、田んぼに通え・・・」と 。ところで、我が家は、法人成りしてから今年で三年目を迎えました。また、60数戸余りの小さな部落の行政区長を引き受けてから2期目を迎え、年も65歳となりました。少子高齢化とコメ作りを止める農家の激増。 このことは、以前から分かっていたといえ、それが身近な現実の問題となり、しかも、息子が農業経営を継ぐこととなった今、これからの10年先、20年先を地域と共にどう生きていくかを、考える時間が多くなりました。 就農以来45年。この間、専業農家として生き残るべく、否が応でも農政を注視ながら生きてきました。それは、米作りと地域社会(暮らし)をどのように折り合いをつけて生きていくかという問題でもありました。日本のコメ農政は、「産業政策」と「地域政策」が車の両輪のとして展開してきました。【地域政策なき産業政策では、「一将功成りて万骨枯る」】とは先日あった研修会での話の中であった言葉です。講師は、角田市出身でこの7月の農水省人事で 本庁官房長を経て本庁局長で退任した我が友人です。私としては、これまでの農政は、「一将功成らずして万骨枯る」とならないか心配です。これに関してはこの冬整理します。


NO,289  田んぼ通信 平成30・10・15

 今月7日に稲刈りが無事に終了しました。 今年は、9月に入ってからの秋雨前線による長雨や度重なる台風の影響により例年になく気苦労の多い稲刈りとなりました。特に先日上陸した台風24号は、宮城県を直撃。最悪の状況を想定して備えていましたが、幸い一時的に風雨が強かったものの短時間で済み最小限の被害で終わりました。それにしても、午前2時から3時にかけての暴風雨。一瞬身構えました。 お天気様や地球そのものが、おかしくなっています。 今年に入ってからも西日本各地を襲った豪雨と台風。北海道における地震災害。 全国各地で起きている豪雨災害は、まさに他人事ではなくなりました。 我が角田市は、東北を代表する河川、阿武隈川の下流に位置しています。藩政時代から水害に悩まされ、阿武隈川の水害との戦いの歴史だったといわれています。 特に、私の住んでいる北郷地区は、市内でも一番低いところに位置しています。 多くの田んぼは、海抜8メートル付近にあり、耕土の真ん中を走る幹線排水路の水位が海抜7メートを超すと最も低い田んぼに水が入るという低湿地帯にあります。今でこそ宮城県南部を代表する米どころとして立派な田んぼが広がっていますが、昭和のはじめに当時 東洋一といわれた動力ポンプ2基を備えた我が村にある江尻排水機場が完成してから湿地帯の開墾が進んだといわれています。この江尻排水機場は、1992年に国営かんがい排水事業で再整備され、現在ポンプ4基、排水量毎秒62立方㍍でかんがい排水事業では東北一の規模で 干拓地で有名な秋田県の八郎潟にある排水機場よりも大きな機場です。この管理を任されているのが「あぶくま川水系角田地区土地改良区」で私も役員のひとりとして大雨が降るたびに排水機場に足を運んでいます。 我が家では、曽祖父の代から土地改良の仕事に関係したことから幼いころから田んぼや機関場が身近な存在でした。 ところで、地元紙 河北新報が「阿武隈川物語・流域の歴史と文化」と題して今年になってから連載をはじめました。角田支局の会田記者が担当している連載企画記事です。先日10月3日の第3部 治水 の記事の中で「逆流を防ぐ400年の苦闘」の見出しで江尻排水機場のことを取り上げてくれました。その記事の中で、「バックウオーター現象」という初めて聞いた言葉がでてきました。本流が増水し、支流の流れせき止める現象で今回の西日本豪雨で注目されたといいます。記事の中にもあるように江尻排水機場は、角田市街地を排水する尾袋川と田んぼを排水する雑魚橋川の水を排水する施設であり、我が北郷地区の江尻機場はまさにバックウオーターを防いでいる重要な施設であり角田市の生命線だといえます。 このことは、土地改良区の先輩役員から角田土改良区の仕事はただ単に農地の用排水をするだけでなく角田の町そのものを守る重要な仕事をしているのだ。責任と誇りを持つようにいわれてきました。 今回の記事の中で『 改良区副理事長で、排水機場から約2.5キロの北郷地区の専業農家面川義明さん(65)は、「農地を守ることは地域を維持すること。治山治水はまちづくりの基本、政治そのものだ。角田は阿武隈川とどう付き合うかに尽きる」と断言する。』 ということで日頃の想いを記事にしていただきました。また、今回 江尻排水機場は総額59億円で農水省の来年度概算要求予算に盛り込まれ、10年計画で大改修される見通しになりました。また、昨今の風潮で 市民の中にも江尻排水機場が果たしてきた重要な役割を認識するする人が少なくなってきている中で、今回の記事は、大変ありがたく感謝です。 さて、稲刈りも終わりホットする間もなく、コメの調整出荷作業そして大豆の収穫作業、その後の大麦の播種作業の準備と仕事が待っています。 今年のお米の出来は、我が家は久しぶりの良い出来でしたので県内の作柄も作況通りいいだろうと思っていましたがそうでもなさそうです。地域の中でも、個人差があるようです。夏の記録的な猛暑の影響が出てきています。日頃の肥培管理によって地域差や個人差が大きくでたようです。ここ数年 気になっていたことですが、農業の基本技術である土づくりがおろそかになってきています。高齢化による農作業の軽減、コスト低減が大きく取り上げられ、農作物に手間暇をかけることを軽んずる傾向が年々多くなってきました。これまでは、経営規模の大小を問わず、少しの暇をみては田んぼに通っていました。その先輩方が激減した今、方々の田んぼが荒れてきました。 他人事ではありません。我が家でも常に息子に言っていることは、田んぼを荒らすな。植えたら必ず収穫しろ。荒らすくらいなら規模拡大するなと。


NO,288  田んぼ通信 平成30・9・16

 12日から稲刈り始めました。 今年は、久しぶりに品質・収量共に豊作の期待がもてます。 まだ、主力品種の「ひとめぼれ」の稲刈りは始まったばかりです。もう一つの主力品種「つや姫」は晩稲で稲刈りは今月末からです。台風などの自然災害がいつやってくるか分かりません。 稲の姿や稲穂の感触からして期待をしていました。しかし、経験のない猛暑の影響がどの程度あるのか分かりませんでしたので決して口にしませんでした。 無事収穫して袋に入れてみないと分からないということが本音です。  一足早く始まった関東地方の作柄情報では、猛暑の影響で、クズ米が多く品質、収量的にも思わしくないということでしたので心配でした。 稲刈りは始まったばかりです。全ての収穫が終わる来月まで何とも言えませんが 先ずは一安心です。収穫作業にも一段と力が入ります。
収穫作業で心配なのが、お天気です。 特に台風です。先日の台風21号は西日本各地にものすごい被害をもたらしました。幸い当地方には、殆んど影響はありませんでしたが、決してよそ事ではありません。台風に続き北海道にも大きな地震が起きました。 今年に入ってから全国的に大きな自然災害が頻繁におきています。 被害にあった地域の皆様に心からお見舞いとお悔やみを申し上げます。 この夏の猛暑と晴天続きで、その反動として秋の天気が心配されていました。心配していた通り、今月に入り秋雨前線の影響で雨の日が多くなり、稲刈り作業も思うように進んでいません。少しの晴れ間を見て稲刈り作業をすすめています。 収穫適期を迎えていますので少々 稲が濡れていても稲刈り作業を急いでいます。 ここ数日は、夜7時過ぎまでナイターでの稲刈りです。  収穫時期を迎えると思いだすのが 「秋あげ半作」という言葉です。
最近では、あまり聞く機会がありませんが、 先日の台風21号のような大きな台風がやってきたら 一晩で一年の苦労がダメになります。過去の苦い経験から出てきた言葉です。田んぼにある限り少しも油断ができません。お天道様の下での生業。それがコメ作り、百姓仕事。お天道様と共に生きるのが宿命と思い 毎日与えられた仕事を精一杯やるだけです。 その日々の積み重ねで結果としてお米の出来に現れます。 その現実を素直に受け止め、収穫したお米に感謝し、自分の行動を顧みる。 その繰り返しがまだ45回。 45年経ってもまだ結論はでません。 情けなくなりますが、それにもまして益々 稲作りが面白くなってきました。漸くスタートラインに立ったばかり、というのが正直な気持ちです。
 ところで、この秋 宮城県から新しい品種が本格デビューします。
 「だて正夢」です。
我が家でも昨年から試験的に栽培し 今年から本格的に栽培しました。 まだ、作付け制限があり数も限られています。食味は、もち米のような 粘り気があり個性が強いお米で毎日食べるお米としては好みが分かれるところですが、お祝いとか特別な日に 特別なお米として味わってほしいという思いでデビューします。 まだ、収穫していませんのでお米ができましたなら 皆様にもご賞味していただきたいと思いますので、お楽しみにしてください。
 この秋は、全国各地から新しいお米がデビユーします。それぞれが、美味しいお米です。 あとは、皆様の好みでお米を選んでほしいと思います。 我が家の主力品種は、「ひとめぼれ」と 「つや姫」です。 肥料等資材を吟味し、田んぼに通うことを多くしました。 春先から 極端な天気を気にしながらのコメ作り。 ビックリするくらいの真夏日の連続。 それらをのり越え 無事にお米になりました。 今年一年の コメ作り百姓の心意気にも、少しは想いを寄せて新米を味わっていただければ幸いです。  稲刈りはまだ3割ほど、のこすところ20ヘクタール です。お天道様のご機嫌を窺いながらの稲刈り作業はこれからが勝負どころ。
美味しいお米を、皆様にお届けしたい。その一心で稲刈り作業を急ぎます。


NO,287  田んぼ通信 平成30・8・17

 今日は、いままでの猛暑がウソのようです。 カラッとした乾いた空気に包まれ、空は青く澄み 爽やかな秋風が吹いています。それにしても今年の天気は、動きが激しすぎます。
7月はじめは、数日間猛暑日が続き、その後の梅雨明け後も猛暑日、真夏日の連続。少しでも稲の体を涼しくしようと、田んぼに出かけ流れている用水に手を入れてビックリ。 流れている水がお湯です。一瞬、間違ったと思い再度手を入れて、確認するありさま。 こんな水を田んぼに入れたなら、ますます稲が消耗してしまうと思い、田んぼに水を溜めることを止め、田面の足跡や溝に水が確認できる程度の飽水管理に切り替えることにしました。稲の一生で最も水が必要な時期は、出穂開花前後です。昔から、花水という言葉があるほどです。 稲は、基本的には水分や養分を根から吸収します。常に根の周辺に必要なだけの水分を満たす環境があれば十分なはずです。必要以上に田んぼにたっぷりと水を溜める必要はないはずです。 ましてや今年の猛暑。暑い最中にお湯を注がれたのでは、さすがに稲の根も酸素不足に陥り体力を激しく消耗するはずです。 これまでも暑い夏は経験しましたが、用水がお湯の状態になることは、初めての経験です。この夏の猛暑を受け、宮城県等の指導機関から高温対策なるチラシが回ってきました。それを見て、また頭がさらに熱くなりました。「猛暑対策として、昼間は出来るだけ深水にして、夜は落水すること」とあります。相変わらず、現場を無視し、出来もしない無責任な指導、しかも文書の中身は、毎年おなじ。 農作物の出来不出来には関係なく定額のお給料をいただいて、農業者を食い物にしてヌクヌクと生きている輩がいると思うと、ますます熱くなります。 それでも、年金をいただく歳になり、そんなことは今更はじまったことではなく、相変わらずのこと。と思うと怒ることさえ馬鹿馬鹿しくなります。 それにしても今の世の中、仕事に対する誇りと責任を感じない、全ての面で無責任でダラシなくなってきていることが気がかりです。せめて自分に対しては、責任ある行動と発言を心がけたいと思いますが、これまたエネルギーが必要です。 誰にも束縛されずできることは、自分の田んぼに責任を持つことです。言い訳もできません。
さて、お盆も過ぎ、秋風が吹き出すと米の出来が話題になります。 猛暑続きの今年の夏です。余りの猛暑で誰しも品質が心配になります。米の出来を聞かれることが多くなります。今年ほどの猛暑を経験しませんので正直、分かりません。 収穫して俵に入れてみないとなんともいえません。ましてや5日連続で台風が発生しています。先日の台風13号は、何の被害もなく過ぎ去りましたが、これからが台風シーズン。最近の予測出来ないお天気様の動きです。ゲリラ豪雨もよそ事ではなくなりました。収穫するまで、何が起きるか分かりません、安心できません。米作りをはじめて40年が経つというのに、お米の出来を見極められない。情けないことですがこれも私の実力の現実です。 春の種まきから、これまでの苦い経験を思い出し一つ一つの農作業を出来るだけ丁寧にやる。その結果は、もうすぐお米が答えを出してくれます。今はただ、無事に収穫できますように、お天道様にお祈りするだけです。  ところで、米作りをはじめてから気になっていることがあります。 稲穂が花を咲き田んぼから匂う稲の花の匂い。特に、蒸し暑く無風の夕方、田んぼ一面に漂う稲の花の匂い。 この匂いをどのように表現したらいいのか。
文才のない私です。毎年、夏になると気になっていました。 昨年の暮れ、「青葉アルコールと青葉アルデヒド、テルペン系化合物の混じった稲の匂いが鼻腔で膨らむ。・・・・」 作家 高村薫の小説「土の記」の書評にあった一文が目に留まりました。小説は、滅多に読まない私ですが、正月休みを利用して上下巻を一気に読みました。高村 薫氏は、理系の作家らしく土壌や稲の生理に関する専門用語が稲の生長と共に随所に出てきます。物語自体には、あまり興味はありませんでしたが一流の作家が、村社会や稲作をどのような視点に立ち表現するのかという興味心から最後まで読みました。  猛暑日が続く最中、稲穂が出揃った夕方。風もなく蒸し暑さが残る、広い田んぼに立ち 「青葉アルコールと青葉アルデヒド、テルペン系化合物の混じった稲の匂い・・・・」 と自問自答しました。   違和感だけが残った猛暑が続く夏です。


NO,286  田んぼ通信 平成30・7・15

 麦の収穫出荷、二毛作の大豆の播種作業も予定通りおわり、休む間もなく田んぼの畦畔の草刈り作業、大豆畑の中耕・除草作業の毎日です。宮城も梅雨明け宣言が出されました。 大麦の収穫は、遅霜の被害もあり心配しましたが 品質的にはイマイチでしたが、収穫量は平年作を確保できました。 あとは、大豆の収穫に期待して例年以上に畑に通うように心がけています。  百姓はじめて40年以上たつというのに、ここにきて漸く作物の姿が何となく見えてくるようになりました。これまで何をしてきたんだという思いです。これまでは、毎日の農作業に追われ、日々の農作業を人並みにこなすことで精いっぱいだったといえます。 法人化して三年目を迎え、次男も農作業に本格的に参加できるようになり、作業自体に余裕が生まれたことによると思われます。 もう一つ大きなことは、これまでは作物の栽培に関する知識や技術的なことは、専門書や試験研究機関にばかりに目をやりがちでした。40年経ち分かったことは、栽培技術に関する最高の先生は、自分の地域の中にいるということです。地域の中で常に安定していい作物を育てている先輩がたこそ最高の先生なのだといえます。つい最近そのことに気付きました。 それ以来、身近な地域の田んぼや畑の生育の様子が、これまで以上に気になるようになりました。 考えてみれば、当たり前の事です。作物は、それぞれの気候、風土によって育ちます。気候は、それぞれの地域で微妙に違います。一枚の田んぼでも、外側と内側では生育が違います。 地域の田んぼでも、栽培、管理の仕方で生育がちがいます。ということは、栽培管理の最良の指針は身近にたくさん存在するということです。 農業は、観察力が大切だといわれています。それでは観察力を如何にして身につけるか。それはただ、ひたすら田んぼに通い続けることでしか習得できません。それが、私のような凡人にはできません。手足を動かす前に、理屈や言い訳が、先に口から出てしますからです。それでも、そのことに、多少なりとも気付きましたので、少しでも観察力を身につけるべく田んぼに通います。 我が家も経営面積も大きくなり、如何に効率的に作業を進め安定した収穫を確保するかが大きな課題です。その答えも、身近なところにあるはずです。地域の百姓仲間の田んぼや畑の想いにもう一度、素直に耳を傾ける。人は皆、種を蒔けば 少しでも多く収穫を夢みます。それぞれに、想いをもって種を蒔くでしょう。しかし、最後まで思いを形に出来る人は、限られます。その限られた人こそ、内に秘めた技術をもっています。その技術に素直に、耳を傾ける。また、永年取り組んできた、土づくりを信じ常に現場で検証する。今年は特に、身近な地域の田んぼや畑の生育状況がすべて教科書であり、お手本だという気持ちで毎日田んぼや畑に通っています。 身近な田んぼにも、一枚一枚それぞれ、顔が微妙に違います。百姓40年にして、ますます田んぼに通うのが楽しみになりました。 米作りは、毎年が一年生。 今は亡き地域のコメ作りの先輩が、常に語っていた言葉が、少しは実感できる歳になりました。    ところで、今年は極端に気温変動の激しいお天気が続いています。 今月に入ってからでも、35度を越える猛暑日が数日続いたと思ったら、急に最高気温が20度に届かない、肌寒さを感じる日がやってきました。ここ数日は、暑さももどり真夏日の日が続いていますが、あまりにも気温の変動が大きいため体もたいへんです。 10日前に発生した、西日本各地を襲った豪雨大災害。被害にあった地域の皆様に心からお見舞いを申し上げます。 常にお天道様の下で作業をしていますので、このところ続く、酷暑の中の復旧作業を想うとき、そのことが、如何に困難なことが実感できます。 多くの人の命を奪う、大災害となりましたが、手塩にかけて育ててきた多くの農作物も、一夜にして失うことになったはずです。人の命に勝るものはないとはいえ、同じ農家としてその無念さを想うとき心が痛みます。これから、言葉には言いつくせない多くの困難が待っているでしょうが、地域で人が生き続ける限り必ず田畑は甦ると信じています。 人が生き続ける限り、必ず再生されます。農業の担い手不足等、農業の将来が危惧されています。時代がどのように変わろうとも、人が生き続ける限り国土保全と環境保護の観点からしても、優良農地を確保するということは政治の最大の使命です。最大限の支援を望みます。


NO,285 

田んぼ通信 平成30・6・16

 宮城も梅雨入りしました。 今年の梅雨は、前半集中型だと報じられています。ここ数年は、梅雨入り宣言が出るものの、6月中は、カラ梅雨気味で本格的な梅雨空が続くのは後半の6月下旬から7月に入ってからです。 それが今年は違います。 ここ角田も、梅雨入り宣言と共に、梅雨空の日が多くなりました。 しかも、昨日から小雨の曇天が続き今日の最高気温が14度。さすがに涼しいどころか、肌寒さを感じる一日です。梅雨入り早々、梅雨寒の日が続いています。 お天道様の下での仕事が百姓仕事。今更、嘆くことはありませんが、昨今の天気は、極端すぎます。真夏日を記録したかと思えば、一気に気温が10度以上も急降下。気まぐれな天気の日々が続きます。机の前に貼ってある民間の気象予報である、平成30年度農事気象予測 を確認する日が多くなりました。 それによれば6月、気温地温高く、カラ梅雨傾向なれど局所的に降水量多く水害に注意。上旬、落雷 降雹に注意。気象激変に注意。 7月、梅雨明け早く、降水量は少なく、猛暑となる。時に雷、大雨になるところがある。台風発生は、早い。(7月8月は、火星接近により干ばつになる) 8月、8月7日は立秋(これより秋)雨少なく干ばつ傾向で酷暑となる日がある。ところにより局所的に大雨あり。下旬の台風被害に注意。 9月、遠日点(地球が太陽から一番遠い位置になる)の影響で地温が低い。また、風ありて干ばつ傾向は中旬まで続く見込み。台風の発生が多くなる月。10月、平年より早く冷涼となり、霜ふる中旬より天候不順となる。冷雨、冷風も吹く。降水量は平年よりも多くなる見込み。台風による風水害に注意。・・・・とあります。これをもとに、農事予測もあります。 今年の稲作は、早生種は、吉。晩生種は、悪。田植えは、早や植えが良い。登熟期の水管理に注意。など 主な作物ごとの管理の注意点が書かれています。また、隣村の諏訪神社の筒粥目録によれば 早稲は平年作、晩稲の作柄が悪いとあります。 単なる占いと 片づけられません。長い歴史の中で、生き続けてきた人々の経験と知恵の結晶として今日まで伝えられてきたものです。この予想を、自分なりにどう読み解き、どのように対応するか。全ては、自分の日々の行動の証として秋に稲が答えを出してくれます。 今年は、あまり欲を出さず、無理をせず平年作を目標に田んぼに通っています。 今年の稲は、 田植え時期によって例年よりも生育差が大きいようです。確かに早や植えした田んぼは、生育は良いようです。 しかし、稲の収量を左右するのはこれからの天気。特に、8月に入ってからのお天気次第です。稲の姿をほめても、お米という中身が伴わないと話になりません。中身を充実させる。これが、なかなか難しいのです。経営面積も年々拡大し、平均単収を如何に維持するかが、大きな課題です。 さて、今年も季節は麦秋を迎えました。 麦の収穫作業は、お天気勝負。収穫時期を迎えた麦は、雨が大敵です。梅雨の晴れ間をみて、一気に収穫をはじめました。 今年の麦の作柄は、3月下旬のマイナス5度という低温の影響もありあまり良くないようです。麦刈りが終われば、二毛作の大豆の種まきが待っています。しばらくは、お天気様とにらめっこの農作業が続きます。 ところで、中国人の女性と結婚した同級生がいます。彼女は、天津の中国でも有名な大学を出た才媛です。縁があって角田で暮らすようになり20年以上が経ちます。 彼女は、日頃から中国人の暮らしの相談や世話をしています。先日、久しぶりに会って話を聞いて考えさせられました。 いま、角田で暮らしている中国人の子供たちに中国語を教えているというのです。両親が中国人であれば、生まれ育った子供たちは中国語を話せるのが当たり前と思っていましたが、現実は違うというのです。特に飲食店等を営む中国人の人たちは、夜が遅く暮らしに追われ、子供たちとの会話の時間がなかなか取れないというのです。そのような日本の暮らしが続く中で、両親は、中国人なので中国語を話せるが、日本語は話せない。中国人の子供は、日本語は話せるが、中国語が話せない。言葉の障害によって親子の会話が成り立たないという家庭が出てきているというのです。特に子供たちが学校に通うようになり、学校からの便りなどが親に伝わらないことで子供の学校生活にも大きな障害になっているというのです。中国人に中国語を教えている。これまでの常識では、考えられないことが起きています。


NO,284  田んぼ通信 平成30・5・14

 田植え作業の真っ最中です。今月3日から田植え作業をはじめました。今年の田植え作業は全部で31ヘクタール。今年の田植えも 漸く先が見えてきました。残すところあと8ヘクタール。  全ての仕事に通じることですが、仕事は、段取りが一番。田植え作業も同じです。田植えをするためには、田んぼに水を入れ田植えができるように、代掻きをします。代掻き作業は、田んぼの土をドロ泥に柔らかくし、田んぼを均平にする作業です。 稲の生育ムラをなくし、水管理や雑草の処理を良くするための大切な作業です。 時間をかければいいというものではありません。いかに効率的に田植えができる状態に仕上げるか。経験と技が必要です。経営面積の拡大に伴い農機具も大型機械を駆使するようになりました。 最近の圃場は、作業効率を上げる為に、一枚の面積がどんどん広くなってきました。 以前は、一枚の田んぼの広さは一反部(300坪、1,000平方メートル)でしたが、最近の圃場整備の田んぼは1ヘクタール、(3,000坪)が当たり前となってきました。私の地域は、30年前に圃場整備が終わっています。一枚の田んぼの広さが30アール(1,000坪)です。当時は、ずいぶん大きな田んぼができたものだと思ったものです。しかし、今となってみれば、これでも小さく感じます。大型機械の作業効率を上げるためには、畦畔を取り除き出来るだけ広くするようにしています。我が家の大きな田んぼで1.2ヘクタールです。 一枚の面積を広くするのはいいのですが、問題なのが如何に均平な田んぼに仕上げるかです。代掻き作業で均平に仕上げるのですが、プラマイ5センチに仕上げるのは大変な作業です。最近は、レーザー光線とトラクターの作業機が連動した均平作業機が開発されていますが、高価でなかなか手が出ません。 代掻き作業は、水を入れますので水平とはよく言ったものです。水を頼りに均平に仕上げるのが一番。ここでモノ言うのが、経験と技です。 田んぼの底が一定の硬さであればいいのですが、広い田んぼになればなるほど、昔は堀のあとだったり、道路や畑の後だったり、切土と盛り土が入り混じっています。 田んぼの表面では分かりませんが、田んぼに水を入れて柔らかくなると何年たっても過去の地盤が出てきます。 トラクターで代掻き作業をしながら、土の状態と相談し効率的に均平作業をすすめます。 毎年、田んぼを広くしてきましたの、田植え作業も効率的にやれるようになりました。 それにしても、田植えの時期は水管理や苗の管理など朝から晩まで目まぐるしく動きまわっています。それも、お天気相手の仕事です。  先月末には、30度を超す真夏日を記録する日が二日ほど続くなど極端な天気が続いています。苗の管理が大変です。例年より苗の伸びが良すぎ徒長気味の苗となりました。何年やってもコメ作りは一年生。 経営面積の拡大に伴い 規模に応じた設備と技術革新の必要性を痛感しています。 他人事などと言っていられませんが、 経営面積の拡大に伴い田んぼの管理が極めておろそかになってきています。昔のコメ作りのように、あらゆる面で、国が面倒をみる時代は終わりました。 経営面積をいくら誇っても、経営内容が良くなければ何にもなりません。 特にこれからの稲作農家は、規模拡大に伴い如何にして 単収を維持するかが大きな課題です。確かに、マーケッティングも大切ですが、肝心のお米がまともにできなくては話になりません。お客様に喜んでもらえるお米を 安定して生産できるかが 大きなカギとなります。 これからのコメ作りを担う若い経営者には、稲作りの基本の勉強をしっかりやってほしいです。 毎年感じていることですが、田植えの風景が大きくい変わりました。 以前は、大型連休は家族総出で田植え作業。農道を車で通るのも大変な時代もありました。 その光景がなくなりました。たんぼを耕作している農家が極端に少なくなったことを実感します。 その分、担い手といわれるコメ農家の経営面積がどんどん大きくなってきています。日本のコメ政策が大きく変わります。古老も嘆くほど米作りの現場も驚くほどに変わり始めました。 多くの稲作農家は、戦後半世紀以上続いた国による食管法稲作の意識からぬけだせないままでいます。しかし、その世代は、年追うごとに生産現場からリタイヤしはじめました。これからの地域の稲作をどのように維持発展するか。これからの稲作を想う今年の田植えです。


NO,283  田んぼ通信 平成30・4・15

今年も本格的なコメ作りがはじまりました。45回目の米作りです。毎年のことですが、米作りは 毎年が一年生です。三月になると種もみの準備が始まります。塩水選、たね籾の消毒作業、発芽しやすくするために種もみに吸水させるための浸漬作業おおよそ10間(積算温度で100度)水漬けします。その後に発芽をそろえる為に、鳩ムネ程度まで発芽させる催芽作業、種もみの準備ができ、いよいよ種まき作業が始まります。30センチ×60センチ、高さ3センチのプラスチックで出来ている育苗箱に種を蒔きます。空の育苗箱に約2センチの床土を入れ、水を散布し、種を蒔き、種もみが隠れる程度覆土をして種まき作業が完了。その一連の作業を一台の播種機で、4人でチームを組み播種作業をします。一時間に約450枚の育苗箱に一気に種を蒔いていきます。播種が終わった苗は、パレットに15段重ね、ひとつのパレットに120枚種まきし、ホークリフトでパレットのまま発芽機にセットします。我が家で使っている発芽機は一台で約730枚入りますから6枚のパレットに種を蒔きます。 発芽機は2台ありますから、一回の種まきで約1,500枚の種を蒔きます。今年の作付け面積は、30ヘクタールですので約6,000枚の苗を育てる予定です。発芽機は、蒸気を発生させ30度に加温し約3日から4日で発芽をさせます。 その後、育苗ハウスに広げ葉齢が2枚半から三枚になるまで育て田植えをします。田植え作業は、おおよそ15日から20日間予定していますので、田植え作業に合わせて種まき作業を進めます。   基本的には、毎年おなじ作業の繰り返しですが、何年やっても育苗時期が最も緊張する時期でもあります。 三月に入り本格的な農作業が始まりますが、育苗と同時に田植えの準備作業が同時に始まります。今年は、冬季間に天候が悪く、田んぼの客土作業などできませんでした。 三月に入り天候が回復し、雨量も少なく近年になく田んぼが乾きました。懸案だったヌカルンで作業が困難な田んぼの客土作業を今月に入り一気に進めています。天候相手の農作業です。天候を見定め、やれるときに作業を進めないといつまで経っても作業が進みません。 2トンダンプで直接田んぼに入り、一気に山土を客土します。ダンプで直接田んぼに入れることは滅多にできませんので、種まき作業と同時に手分けして作業を進めています。毎日、天気予報を気にしながら、夜明けを待って農作業をしています。今年は、法人経営に移行して3年目です。法人経営と同時に経営参加した次男もコメ作り3年目です。米作りも3年目を迎え一連の農作業の流れも見えてきたようです。農業は、生き物相手。お米も稲という植物の贈り物です。より良い収穫を得るためには、生まれ育った気候風土に合った栽培をしなければなりません。確かに、作物の生理やそれに伴う栽培法は作物生理学等を見れば理解できますが、それが理解できたからといって、より多くの収穫物を得られるかというと現実は違います。そんなに簡単なことでなありません。基本的な作物の生理を理解することは必要です。しかし、地域によって気候風土が微妙に違います。 当然育ち方も違います。それぞれの地域で、より多くの収穫を得るための栽培法の答えは、そこで育った稲にあります。 農業は、観察力が大切だと云われるゆえんはそこにあります。それでは、観察力は、どうして養われるか。文献等をいくら理解しても、答えはないと思える今日この頃です。ひたすら作物に接することでしか答えは得られない。身近な田畑でよりより作物を育てている先輩の話に素直に耳を傾け、ひたすら稲に接する機会を多く持つこと。65歳を迎えるにあたり、ようやく真面目に稲に接する事の大切さを少しだけ理解できる様になりました。 さて、今年の桜は、例年よりも早く4月初めに咲き始め、7日から8日頃が満開となりました。しかし、花見時期に寒さと、冷たい風が吹くあいにくの天気となり花見どころではなかったようです。 今年の天気は、変動が大きく、3月末には最低気温がマイナス5度を記録。寒さに強いはずの麦が霜で葉っぱが枯れるという今まで経験しなかったことが起きました。三月に入ってから急に暖かな日が続き、全般的に生育がはやまりました。4月に入ってからも気温の変動が大きく、これから心配なのが晩霜の被害です。近年大きな晩霜の被害はありませんので油断していますと大変な被害になります。油断できません。今まで以上に、作物の生育に接する時間を多くもちます。


NO,282  田んぼ通信 平成30・3・15

今年も3月11日がやってきました。東日本大震災、あれから7年が過ぎました。 昨年暮れに 津波の被害地である沿岸部を気仙沼まで北上する機会がありました。7年が過ぎ、津波の残骸は なくなり、防波堤や地盤のかさ上げなどの復興工事がすすみ、風景が大きくかわり驚きました。しかしながら様変わりした風景の中に、人々の暮らしの匂いが感じられず本当の復興はこれからだと感じました。多くの犠牲者と大災害をもたらした東日本大震災。私の地域は、津波被害は無かったものの、あの日を境に人生観が大きく変わったといえます。
3月11日、午後3時46分。東の空に向かって静かに手を合わせました。
今年は、法人成りしてから3年目です。息子もこの春、結婚し経営の柱となるべく積極的に経営に参画するようになりました。 今年も本格的なコメ作りが始まりました。先ずは、塩水選作業です。毎年、3月10日を目安に作業をはじめます。7年前の大震災の時も塩水選作業の最中でした。 例年 寒さの中での作業が多いのですが、今年は息子の判断で暖かい日を選び早めの6日から作業をはじめました。 昨年は、天候に恵まれず作柄は良くありませんでした。今年こそはとの思いをこめ農作業が始まりました。 今年の営農計画を立てる上で、最も気になるのが今年の天気です。真っ先に参考にするのは、神頼み。隣村にあるお諏訪神社の筒粥目録です。次に、金星運行や太陽黒点活動等 八項目の要素を加味して今年の天気を予想する民間の農事気象予測。 総じてみれば、今年の作柄もあまり良くないようです。欲を出さず無理をせず、やるべきことを、日々つみ重ねること。今年の大きな目標です。 やるべきことは、土台となる土づくりをしっかりやることと、基本となる技術を丁寧にやるだけです。 年々、経営面積も大きくなり、如何に単収を維持するかが大きな課題となります。今までの労働力で経営面積が増えた分 収穫量が増えれば収入も増え、経営も良くなるはずです。単純なことです。しかし、これを農業経営の中でやろうとするとなかなか難しいものがあります。 常に天候を予測し、如何に作物の生育にあった的確な作業を進めるか。基本は、やるべき仕事は早め早めの作業を心がける事。 これができそうで、なかなかできません。 人は常に言い訳をいいながら、生きていきますが、生き物である農作物は、その生長過程の結果として毎回、実を結びます。我が家の、経営の基本は、種をまいたら、田畑を荒らさず確実に収穫すること。それだけです。
今年からコメの減反政策がなくなり、国による生産調整面積の配分がなくなりました。個々の農業者による経営判断に基づくコメ作りが求められます。日本のコメ作りは、食糧管理法などに代表される国による管理の下に進められてきました。いうなれば、国の指導に従って米作りをしていれば何とかなるという時代があまりにも永く続いてきました。  生産現場では「今まで散々いろんな縛りをかけてきて、今さら自分で考えてコメ作りをしろと言われてもどうすればいいんだ」という戸惑いの声が聞こえてきます。 稲作農家にとって国によるコメの生産調整がなくなるということは、まさに幕末から明治維新の時代に似た大改革をもたらそうとしています。  これまでのコメ農政は、JAを中心とした総兼業農家体制によるコメ作り維持政策だったといえます。日本の気候風土や小規模稲作経営を前提としたコメ作りを維持するための政策としては、ある意味では評価できるといえます。問題は、次世代を担う若い稲作経営者が育たなかったことです。産業政策としのコメ政策をしてこなかったので当然の結果といえますが、農業は命を育む産業。作り手がいなくなったではすみません。 少子高齢化が身近な問題となり、また総兼業稲作農業を可能としてきた高米価政策が維持できなくなった現在、先送りしてきた諸問題が一気に表面化してきました。 誰が地域の田んぼを守るのかという担い手の問題が一気に表面化してきました。今の情勢からすれば、少なくとも平坦部の稲作は、産業としてのコメ作りが進むと感じます。 生業としてのコメ作り農業を標榜してきた者としては、いささか違和感がありますが、法人成りした現在、この選択は、間違いではない。生業としてのコメ作りと産業としてのコメ作りを融合した新しい法人経営が実現できるかが これからの課題です。


NO,281  田んぼ通信 平成30・2・13

立春も過ぎ、日差しが明るくなってきました。連日、大雪のニュースが報道されています。特に 北陸地方など日本海側では、記録的な大雪になっているようです。 ここ角田は、先月末に降った雪は、融けて消えたものの、昨日は早朝から久しぶりの雪。午後まで降り続き辺りは雪景色になりました。 朝日に映える雪景色は、日頃みる田んぼの風景とは別世界。一瞬 みとれてしまいます。それでも、積もった雪は10センチたらず。 この冬の日本海側各地の大雪は、想像を 超える積雪。ましてや雪景色を楽しむ等ということを言っては、怒られます。 雪国から角田に移り住んだ人から、雪が少なく良いところだという話をよく聞きます。 この冬は、まだトラクターによる雪かき作業はまだ一回です。除雪作業は、重労働でたいへんです。昨今の少子高齢化時代、高齢ひとり暮らしの家庭においては、玄関から路地までの雪かきはさえ、容易ではありません。 先月末の積雪は、20センチたらずでしたが人手による作業は、困難です。市役所でも、除雪作業をするのですが、幹線道路が主で路地裏まで除雪しません。トラクターによる機械作業が可能なところは、路地裏や近所の一人暮らしの家庭を中心に雪かきを手伝いました。 雪が降ると、方々でトラクターなどによる雪かき作業ボランティアをみかけます。 角田は、北関東と同じくらいの気候で、殆んど根雪にはなりません。その角田でさえ雪が降ると大騒ぎです。雪国の皆さんのことを思えば、年に数回の雪かき作業等は、たいへんだなどと言えません。 同じ東北地方に住んでいても太平洋側と日本海側ではお天気様はまったく違います。
 一年中いそがしく過ごしている我が家です。それでも、毎年のことですが、一月末から今の時期が、農作業のことをあまり気にせずに自分の時間を過ごすことができます。また、年度末を控え各種団体などの総会時期でもあり、各種書類の整理や総会準備等が忙しくなる時期です。
小さな部落ですが行政区長を引き受けてから、まる三年が過ぎます。役員の改選時期でもあります。前区長から区長を引き継ぐにあたり、区民の皆さんお約束した、新しい公民館の建設も無事に完成しました。 総事業費三千三百万円。 小さな集落にとっては、一大事業です。角田市からの補助金は二百五十万円。区から引き継いだ、建設準備金は、ゼロ。 しかも、区民の皆様から、一律の寄付は求めませんと理解を求めて始まった事業です。 行政区の皆さんの協力と関係機関のご支援をいただき市内でも立派な公民館ができました。建設資金の一部は、借入金で賄いましたが、その借入金も残すところ百五十万円。来年度中には、完済の見通しです。借入金が完済できてはじめて事業が完了できます。それまでは、私の責任です。 三年経って、区民の皆様からも区長さんと呼ばれるようになりました。 新しい公民館を中心にした、小さな部落の地域づくりは始まったばかりです。何かと忙しい中ですが、もう少しだけ頑張ります。  ところで、最近とくに感じることがあります。 時代の大きなうねりです。東北の片田舎に住んでいても、身近なところで変化を求められていることを実感することが多くなりました。行政区長を引き受けた三年前。部落の戸数は70戸ありました。現在、66戸に減少。部落内の空き家は、9戸。昨年末の人口は、252人 。その内訳は、15歳以下は、25人。生産年齢(15歳から65歳)131人。高齢者(65歳以上)96人。平均年齢52.6歳。 この数字が我が部落の現実です。   昨年末の角田市の研修会資料には、(これまでの延長線上ではない。「これまでの20年」と「これからの20年」は、決定的に違う。)という見出しがあります。
何が大きく違うかというと、高齢者人口(65歳以上)その中でも85歳以上の高齢者ひとりを支える生産人口(15歳から65歳)は、2020年には 6.8人。それが20年後、2040年には3.5人。になるというのです。ちなみに、20年前の1995年は、32.1人。 未来予測は、難しいといわれますが、その中でも人口推移からからの将来像は、確実に将来を予想しているといわれます。農業を始めたころに意気盛んにコメ作りに励んだ先輩は、みな80歳を超えました。20年後の部落の在り方や農業の在り方を見据え、人口推移から見えてくる将来に向け、具体的に、いま何を行動すべきか。真剣に考える時期が来ました。


NO,280  田んぼ通信 平成30・1・15

 寒中お見舞い申し上げます。
年明け早々いただく、東京からのお米の注文メールには「角田は、すっかり雪化粧ですか」という便りをいただきます。しかし ここ東北みやぎ角田の田んぼには、全く雪がありません。  ここ数日、朝起きるとうっすらと白くなりますが 日の出と共に消えてしまします。
 いま我が家の茶の間には、新春の明るい日差しを浴び 色とりどりの団子飾りがあります。
昨日は、小正月を迎える行事の団子さし。団子の木(ミズの木)に赤や緑、白等の色とりどりの団子をさし部屋に飾ります。また夜は、正月飾りや、しめ縄などを部落の神社の境内に集めて燃やし、その火にあたることで無病息災・五穀豊穣を祈るどんと祭が行われました。夜8時、妻と共に正月飾りやしめ縄を集めて神社へ向かいました。歩いて数分のところです。さすがに寒さは感じたものの、北向きの坂道にもまったく雪はありませんでした。
今年の冬は、全国的に寒さが厳しく西日本各地からも大雪の便りが聞かれます。 特に、九州や四国でも積雪のニュースには、雪のない東北地方に住む者にとってむしろ驚きをもって観ています。 人は、とかく先入観をもって物事をみてしまうようです。 今でも東京に出かけて行くと感じることは、東北宮城のイメージは、雪国・寒い・遠い。 そういう私も 西日本各地 特に九州や四国は、常に暖かく、雪には縁遠いところという思いがあります。それが、九州で積雪となるとニュースです。 冷静にかんがえれば、これらの気象現象は、南北に細長く伸びる日本列島の地形と地球上の位置に起因するものだと理解できますが、小さい島国の日本といえどもお天気様ひとつとっても その影響は地形や風土によって様々な現象をもたらすものだと感じる新年です。 毎年のことですが、正月元日は、部落の新年会、2日 地域消防団の出初式、3日菩提寺・長泉寺の新年・大般若経祈祷会、4日 角田市年始会。 あわただしく過ごす正月行事も無事に過ごし、小正月を迎え漸く自分なりの時間を持てるようになりました。 ところで、元日の部落の新年会で区民の皆様を前に新年の挨拶で申し上げたことは、「何とかなる」ということで、これまで様々の分野で先送りしてきた問題が、いよいよ現実の問題となって表面化し避けて通れなくなった。 特に、子供の数が極端に少なくなり、高齢者特に85歳の介護が必要な世代の割合が年々多くなってきた。我が部落も他人ごとではない。現在 我が部落(66戸)で空き家の数が9戸もある。10年後を考えると恐ろしくなる。 先ずは、身近なことから部落の将来を考える具体的な行動を起こす年にしたい  という趣旨の話をさせていただきました。
たいへん遅れましたが、今年の年賀状です。

明けましておめでとうございます。

初日の出と共に穏やかな新年を迎えました。 私は9月に65歳になります。 本来であれば仕事を離れ自分の人生を楽しむ年配といえますが、私にはその余裕はありません。 「趣味は百姓、仕事は農業」を自称する私にとって百姓仕事は人生そのもの。 今年は、家族経営から法人成りして「面川農場株式会社」として三期目を迎えます。米作りの環境は激変します。今年で45回目を迎えるコメ作り。私のコメ作 り人生は、国の減反政策と共に歩んできたといえます。      その減反政策がなくなります。 「面川農場(株)」の責任の下に、国民の皆さんに喜んでもらえる稲作経営が求められます。  私の名刺の肩書は「百姓・面川義明」。 面川農場(株)社長の名刺を作る予定はありません。百姓による、新しい日本型株式会社のシステムを模索する元年です。 挑戦は、はじまったばかりです。 今年もよろしくお願いします。 平成30年元旦