NO,315  田んぼ通信 令和2・12・14

 今年も残すところ半月あまり。 今年最後の田んぼ通信です。歳を重ねるごとに一年の過ぎることが早く感じます。例年にも増してあっと言う間の一年でした。 コロナ禍ではじまりコロナ禍で年の瀬、そして新しい年を迎えようとしています。 自然相手の農業です。常に気になるのが お天気様。この一年を振り返ってみれば、極端な天気の連続でした。 新年から春先までは、これまでに経験したことのない暖かな冬。田んぼの土も、凍みません。雪はほとんど降らず、蔵王の山々の積雪も記録的に少ない冬でした。そこで、心配になったのが田植え時の水不足。それも、なんとか無事に過ごし田植えを終えることができまた。今年の天候は極端でした。晴天が続いたと思えば、一転、雨天曇天続き。7月の記録的日照不足から8月の梅雨明けから記録的な高温多照。 記録的という表現が付きまとうほど極端な天気が続いています。 先月の半ばには、マイナス4度まで冷え込みその後も寒さが続き、いよいよ本格的な冬の到来か。それが一転、 11月19日には、全国的に9月並みの暖かさ。最高温が25度を超す暖かさ。秋田県では、11月としては初めて夏日を記録。角田でも夏日を記録するなど極端な天気が続いています。それでも、今年の作柄を振り返ってみれば、お米は、近年になく品質・収量共に上出来。麦は、病気の影響で散々。これも、多少は、極端な暖冬が影響しているかも。大豆は、収穫前の9月の日照不足と雨天が影響し、品質的には落ちたものの、昨年の水害による壊滅的な被害を考えれば収穫できただけまし。総じて、まずまずの出来だったといえます。経営の柱となっているお米の出来が良かったので、経営的にはなんとか無事に新年を迎えられそうです。 そのお米ですが、コロナ禍の影響で一般家庭ではステイホームなどで消費量が増えたものの、国内消費量の多くを占めるホテルや飲食店など外食産業などが営業できずコメの消費が極端に落ち込みました。昨年産のお米が在庫として残り新米の価格や来年度のコメの作付けにも大きく影を落としています。幸い我が家では、平成7年の新食糧法施行以来20数年、お米の販売を出来るだけ顔の見える関係を大切にしてきましたので、取引先のご厚意もあり、新米の動きは例年になく活発です。 ところで 来年度は、コメの在庫が増えコメの生産調整強化が叫ばれています。先日、東北農政局の担当官が来社し、米の情報交換をする機会がありました。 米の在庫が増え生産者価格が下落し、来年の米価が心配になる。暴落が予想されるのでその対策を考えてほしい等情報提供がありました。 そこで、我が社としては、20数年前の新食糧施行以来、特に数年前に生産調整の面積配分を国が止めてから、経営者の責任において、需要と供給に応じたコメの生産に努力してきた。自ら生産したお米を、取り扱っていただける消費者・お米屋さんに食べていただけるよう積極的に出向きお願いをしてきた。新米の動きがどこでも極端に悪いという話を聞く。そんな中で、取引先のお米屋さんのご厚意もあり、例年以上に新米の動きが良いし、売り先も決まったのでご心配は有難く頂戴します。だた、たまたまコロナ禍でコメ余りが表面化したが、少子高齢化問題を含め社会的構造変化に起因するところも大きい。米が余ったので生産調整を強化すればいいという従来のJA を中心とした考え方ではコメの生産は、将来とも安定的に保証できるのか心配だ。農林大臣が新聞等で言っているように 「需要と供給に応じたコメ生産を、生産者自らが考え生産する。いう従来の考えを変える考えはない」ということを信じこれからも生産に努力するつもりだ。 何の権限なしに市町村が時代錯誤もいいことに中途半端に無責任な形で生産調整に乗り出したら肝心かなめの担い手が育たないどころか、担い手がこれを境にいなくなる。数年後には極端な担い手不足からコメの生産が減少し、主食用のお米が高くなる可能性もある。 これまでの無責任なコメ政策で、当局が思っているほど責任をもって主食米の生産を担う担い手が育っていない。それが心配だ。このままでは、地域に縁もゆかりもない大企業の傘下にある企業が、田んぼを耕作するようになる。それで、将来本当に田んぼを守れるのか。そんな情報交換をしました。 ところで、自分になりにこの一年、頭の片隅に残った言葉があります。 「アメリカはバナナ共和国」「経営とは足し算引き算」  良いお年をお迎えください。


NO,314  田んぼ通信 令和2・11・16

「年を取ったのか、月日の経過が恐ろしく早く感じます」とは、お米の注文の際 いただいたメールにあった言葉です。 今年も残すところ一か月余りです。 コロナ禍で始まったこの一年。 新型コロナ拡散対策で、あらゆる会合やイベントが中止。会議や会合が少なくなった分、これまで以上に自分の時間が持てるようになり、余裕が生まれたはずなのに・・・・。 何故か時間だけが、あっと言う間に過ぎていきます。 私も年を取ったからからでしょうか。 本当に一年の経つのが「恐ろしいほど早く感じる」のは、私だけではないようです。 さて、大豆の収穫作業も無事終わり、いま、大麦の播種作業の最中です。 例年であれば大麦の播種作業は終わっているはずですが、今年は思い切って遅く蒔くことにしました。今年被害が大きかった縞萎縮病の対策のひとつとして、播種時期を遅らせることにしました。 大麦と大豆の二毛作は、米作りと共に我が家の経営の大切な柱です。大麦の栽培は止められません。 今年の夏に散布したヨーグルトの散布も被害軽減対策のひとつです。その効果のほどは、分かりませんが情報収集に更なる努め効果があるということは何でもやるという覚悟でいます。地元の畑と実績にある先輩諸氏に耳を傾け、答えは作物が出してくれます。 先ずは、行動優先、思考の段階では現象は何も変わらない。行動なくして現象は変わらない。答えは自分で出す。 ところで、地球温暖化が叫ばれてから、時間だけが過ぎました。今回の新型コロナ禍の対策(経済優先か命優先か)やアメリカ大統領選挙の流れをみると、現実を生きぬく事と将来を考え(理想?)生き抜くことの難しさを痛感させられる日々です。この答えも些細なことながら、身近なところから自分なりに折り合いをつけ生き続けるしかないでしょう。 お金を得るためには、自分で稼ぐか、お金に稼いでもらうか二つがあるという、話を聞いたことがあります。能力のない自分には、お金に稼いでもらってお金を得るという発想すら理解できずにいます。そのような、無能な自分が、お金に稼いでもらってお金を得ることなどできるわけがありません。 自分なりには、お天道様を信じ、生きるために必要なお金を額に汗して得るしかありません。結果として、毎年 お正月の餅を食べて正月を迎えられればそれ以上のことはないと思えるこのごろです。これも年を取ったせいでしょうか、それとも 所詮 無能だからでしょうか。答えは、後者でしょうが、それでも毎日精一杯いきるのが努めだと信じます。 コロナ禍は、来年には解決の見通しがつくでしょう。これを機会に、これまでの世の中の矛盾があらゆる面で一気に表面化します。すでに農業の世界では、これまでの矛盾した農政のつけが表面化してきました。農業の担い手問題が、顕著に出てきます。解決策としてAIなどを駆使したスマート農業が注目されています。農作業の殆んどは肉体的に大きな負担を強いるものが多く、辛いものがあります。これまで、汗水たらして働く姿を尊び美化することで、農業者の存在を表現し農業そのものの大切さを訴える論調をみかけることがありました。これには正直、冗談じゃないという思いがあります。趣味の領域でやるお百姓仕事は、趣味としては最高の趣味であり、まともな人間の証拠だといえます。それが、農業という仕事で、農業一筋で一家の暮らしを成り立たせるとなると、話は違います。暮らしを支えるための、お金を得るための手段としての農業、命に直結する食糧生産を担う産業としての農業を考えた時、これまでは如何に肉体労働を酷使し田畑を耕すかしか手段はなかったといえます。なにも好き好んで、泥にまみれ汗水流して朝から晩まで農作業していたわけでありません。他に手段がなかったからです。それが証拠に、農業の現実を分かっているものほど、農業から離れていきました。それが、現実であり、なにも責められるものでもないといえます。 昨年、ドローンによる農薬散布や肥料散布の様子を見る機会がありました。これは凄いと直感しました。 辛い農作業が一変する可能性を秘めていると実感したからです。農作業のあらゆる場面でAI機能を駆使した農機具が開発投入されてくるでしょう。ここで、課題があるのはAIでは作物が育たない。作物を育てるのはあくまで、人間だということです。機械は単なる助手であり、農作業を支える補完的なものだということを忘れてはいけないという思いを強くします。


NO,313  田んぼ通信 令和2・10・15

 稲刈りが終わりました。 今月3日に約40ヘクタールの稲刈りが終わりました。今年の稲刈りは、お天道様にせかされほぼ予定通りに終わりました。 それにしても、お天気が変です。8月3日の梅雨明け後 一気に真夏へ。それも8月下旬から9月初めまでの猛暑・酷暑。 9月中旬からは雨天、曇天続き。田んぼの水管理が甘かったところは、泥沼状態の田んぼへ。稲刈りがたいへん。幸い我が家の田んぼは、殆んどぬかるみの田んぼはなく倒伏した田んぼも素早く刈り取り被害はありませんでした。 終わってみれば、品質・収量とも上出来の作柄でした。 それにしても、今年の天候は極端な天気が続きました。  7月は長梅雨の影響で、記録的な日照不足、梅雨明けしたとたんに猛暑。それも9月初めまで続く35度を超す酷暑。 田んぼは、大きなひび割れが入り、白く乾いています。用水が届かないところの稲は、水分不足で萎れる状態。こんな稲の状態はみたことありません。夜も熱帯夜が続きました。これで、どんなお米になるのか、心配するほどでした。これまでの稲作の教科書によれば米粒が白くなる乳白米が多く発生するだろうと心配になりました。それが、昨年以上に、米粒がきれいで乳白米も少なく品質も上出来です。 お米の教科書は、いったい何を書いているのだろう? この想いは、ここ10年来ますます強くなっています。基本的な稲の生理の知識は必要です。しかし、現場で役立つ、それに基づく栽培管理技術が確立されたかというとまだまだです。「米作りは、毎年一年生」という言葉に象徴されるようにお天道様次第という思いも正直あります。また、昔から言われているように「土づくり」が基本中の基本。作物の生理学を学ぶ前に 「土づくりを学ぶ」。土づくりなくして安定した農業経営はないとの思いを強くします。これがまた、難しい。目に見えない土壌菌の世界。田んぼの数ほど「土づくり」の手段と方法があります。教科書などいくらあっても足りません。唯一あるのは、身近な地域の田んぼを教科書と思い、田んぼに通うことだと考えます。米作りの先生は、大学等で稲作を学んだ指導員ではなく、地域で一番収量等をとっている田んぼの持ち主。という思いを強くします。人は、遠くの神様ほど有難いものだといいます。だれでも田植えをするときは、今年こそはとの思いで始まります。それが、いつしか稲の思いを無視し自分に都合の良い理屈をつけて手抜き栽培になります。自分もそうです。栽培の教科書は、田んぼに立つ農家の数だけあるといえます。たぶん、一般的な栽培技術に関する教科書は、普遍的なものではなく単なるひとつの指針だと思えばいいのでしょう。ただ、人は他人のせいにするのが楽ですから、自分の頭で考えるのではなく頼りにするものを探しているだけではないのか。米作りにしても、身近な田んぼから学び自分の頭で考え如何に手足を動かすか。本当の神様は、身近にいるのだと思えるこの頃です。下手に生理学などの知識を持っている学者、大学教授等が、いいお米をたくさん収穫できるか大きな疑問があります。少なくとも私の知っている範囲でそういう人は、未だにいません。 ところで、我が家は、45ヘクタールの田んぼでお米や麦大豆を生産しています。 約16ヘクタールは自作地で、ほかの20ヘクタール余りは借地です。借地の地主さんは、45軒あまり。稲刈りが終わると地代としてお米をもっていきます。 稲刈りが終わりましたので地代のお米の配達も始めました。この地代は、農業委員会等の公の機関が標準額を決めてそれに基づき支払います。 私の地域では、10アールあたり、お米を30Kから60Kのお米を地主さんに持っていきます。  この借地料も 時代と共に大きく変化してきました。ここ数年は、あまりの変化に驚くほどです。 条件の悪い農地は、借地料は、殆んどタダという話も聞こえてきます。 田んぼに寄り添い一家の暮らしを支えてきた、 おじいさんやおばあさんが高齢になり年追うごとに少なくなりました。新米の時期になると都会の親戚などに送るため、宅配便などがお米の配達で満載になります。いま世代交代が進み、最近はその光景も少なくなりました。借地米を配達して想うことは、田んぼやお米に対する愛着は時代の激変と共に様変わりしました。 一抹の寂しさと共に、これからの稲作経営の在り方を考えさせられる今年の秋です。


NO,312  田んぼ通信 令和2・9・12

9月8日、今年の稲刈りが始まりました。 今年も新米のご報告ができますこと感謝いたします。 毎月、月初めに仕事の打ち合わせをします。 打ち合わせでは、12日頃に試験的に刈り取りを開始。お米の状態を確認し14日の週から本格的に刈り取りができるよう準備作業を進めることを確認し今月がスタートしました。 お盆以降から続くもの凄い残暑と9月に入ったというのに35度を超す猛暑の連続。しかも、超大型の台風10号の九州への接近。これまで経験したこともないお天気様の異変。週間天気予報では、台風が過ぎた後は、秋雨前線が停滞。毎日が雨のち曇りの日々が続くとの予報です。しかも、一部の田んぼでは、倒伏がみられます。長雨が続けば倒伏した稲は、このところの高温で、萌えだします(発芽して品質が大きく落ち込みます)。 最近のコンバインは、少々稲が濡れていても刈り取りができます。 籾の水分が多くなると乾燥時間もかかりますが、長雨が続けば品質低下と刈り取り作業も困難になります。急遽、予定を変更。準備を急ぎ少しの晴れ間をみて、8日から稲刈りをはじめました。 それにしても、今年は極端な天気が続きます。記録的な長梅雨のあと、8月初めの梅雨明け後の晴天続きで遅れていた稲の生育が一気に回復。みかけのお米の出来は、ほどほどの出来栄え。それでも、あまりの猛暑の連続でお米への影響が心配になります。不安と期待の中での稲刈りが始まりました。   ことしのお米は、心配された高温障害も少ないようです。炊きあがった新米の釜のふたを開け、ピカピカの新米の輝きを確認し、先ずは、ひと安心。 まずまずのお米に仕上がりました。 早速、神棚に新米の報告。無事にお米が収穫できましたことへの感謝と刈り取り作業の安全を祈願しました。 これで、稲刈り作業にも弾みがつきます。稲刈り作業は、始まったばかりです。 お天気様のご機嫌を窺いながら、少しの晴れ間をみて稲刈りをすすめます。 想定外だったでは済まされない昨今の天気です。常に最悪のことを考え、出来ることは少しでも早く対応しておく。 言い訳が通用する仕事ではありません。結果は、全て自分で受け止めるしかありません。 結果を受け入れ、自分なりに如何に折り合いをつけて前を向いて進むか。これが、サラリーマンではなく、事業者の責任であり自営業者の宿命です。 嘆いて事が済めば、楽なもの。 ところで、さすがに体温を超す35度以上の猛暑は、体に応えます。少し動いただけで息苦しくなり、汗が吹き出します。 特に、先月下旬から今月初めの猛暑はより強く、今まで経験した事のない暑さの脅威を感じました。今年94歳になる父も最近は、痴呆症も進み自宅で休んでいるものの、今年の暑さは応えた様子、田舎でもクーラーなしでは生活できない位に暑さの影響が拡大していることを、実感させられた今年の暑さです。 しかも、世の中はコロナ禍の影響が収まるどころか、終息の気配がみえません。それどころか、昨日は我が町にも第一号の患者が出たとのニュースがありました。 コロナ禍は、身近に迫ってきました。 猛暑の最中、コロナ対策でマスク着用が常態化しています。 三密が叫ばれていますが幸い農作業は、三密状態とは縁のない仕事です。私の集落では、普段からマスクをかけている人は見かけません。町へ 買い物へ出かけた時にマスクをするぐらいです。猛暑の最中のマスク着用。しかも肉体労働の最中にマスクをかける。想像しただけでも 息苦しくなり体が悪くなります。コロナへの認識もだいぶ変わってきたとはいえますが、人の行動が制限される現状はまだまだ続きそうです。経済活動とコロナ対策。悩ましい問題がありますが、決定的なワクチン開発ができるまでは、どこかで折り合いつけるしかないようです。それでも、コロナ禍で世間が騒ごうとも、朝になればお天道様の活動がはじまります。それに伴い、人もうごきだします。また、コロナ禍はいつか収束するということです。 経済対策としてたくさんのお金が世の中にバラまかれています。分かったことは、お金は、日本銀行で紙に印刷すればいつでも出てくるということです。お金ってなんなのか。お金って、働いて得るものでしょう。この後始末は、どう折り合いをつけるのか。私の頭では、むずかしいことは分かりません。出来ることは、日々田んぼに通い、額に汗して美味しいお米を作り続ける事こと。モノを創り出す仕事に誇りをもって生き続けるだけです。


NO,311  田んぼ通信 令和2・8・16

今月3日に梅雨明けして、一気に真夏がやってきました。それも、連日の真夏日、猛暑日です。それにしても、今年の梅雨は、長かった。毎日が梅雨空。7月の日照時間は平年の半分以下。 記録的な日照不足の7月でした。田んぼの稲は、稲穂が育つ大切な時期でもあります。気温が20度前後。一時は、冷害を心配するほどの低温と日照不足でした。ギリギリのところで無事に出穂期を迎えることができました。お盆の最中、日の出と共に田んぼの様子を見に行くと 稲の香りが田んぼ一面から漂ってきました。稲の花の香りは、豊作を予感する香りです。時間の経つのは本当に早いものです。 田植えしたと思ったのも束の間、もうすぐ稲刈りの季節を迎えます。相変わらず、世の中 コロナ禍で大混乱が続いていますが、季節は確実に時を刻んでいます。 さて昨年の大雨で収穫目前の大豆が数日間水没。収穫皆無。 今年こそはと気合を入れ臨んだ大豆の種まき作業。 天候にも恵まれ6月末に予定通り蒔き終えました。それが、7月の声を聞くと、本格的な梅雨空の日々。 連日の雨で、大豆畑は水分たっぷり。畑に入りたくともドボドボ状態。 中耕除草作業等の大切な作業があるのですが、入れません。お天気様のご機嫌と共にある生業が百姓仕事。お天気様を恨む気持ちはありません。想定外という言葉は、農業には通用しません。常にお天気様のなしえる仕業と思い、どんな天候でも最大限の収穫ができるように土台を整備する。作物が育つ土台。それは、土です。土づくりが大切だということは誰しもが言います。言うのは簡単ですが、お天道様と常に付き合える土づくりを実践するとなるとこれがまた大変な仕事です。なにせ結果はすぐに出ませんし、多くの時間と労力と経費が必要です。「農業は土づくりが基本」とは、農業指導者の誰しもが口にします。しかし、農業の基本である土づくりを実践し、農業で稼ぐのは容易ではありません。私のような凡人には、まだ人様の前で話せるような事は何一つありません。一口に土づくりといっても、その手法は様々です。土の顔が様々であるように、土づくりも様々だからです。 ただ言えることは、作物が健康に育つ理想的な土の環境は分かってきています。その環境に少しでも近づける仕事が百姓仕事です。まだまだ、勉強不足です。米作りをはじめて45年が経ち、ようやく本格的な勉強をしたいと思う日々です。ここ10年あまり、特に土づくりの大切さが身に沁み、勉強のやり直しだという思いがあります。理屈を言う前に、土づくりに良いことを実践する。結果は作物がだします。何事も実践から学ぶことが農業の世界。ほとんどの農学書は、後追い理屈の羅列。そんな理屈を言っている暇があれば、田んぼに通って稲の顔を見る。そこで感じたことを実践するのが農作業。これがまた、難しい。これほど、面白いことはありません。そう感じるようになったのも最近のこと。まだまだ、百姓の一年生です。 大豆畑も連日の真夏日の連続で畑に入れるようになりました。今年こそはという強い思いがあります。連日の雨で固まった土を一刻も早く中耕しなければなりません。猛暑日の最中、懸命のトラクター作業。土を動かすと、連日の猛暑と相まって、見る見る大きく育ちます。大豆は猛暑が大好きです。1日と言わず目に見えて生長するのが分かります。自ずと作業にも力が入ります。麦の刈り取り後に散布した、ヨーグルトの乳酸菌が効いているのか分かりませんが、大豆の生長が明らかに周りの畑と違います。土の中で何かが変わってきているのが実感できます。先ずは、実践から学ぶ。百姓仕事が続く限り、私の目標です。ところで、コロナ禍は収まるどころか、まだ先が見えません。経済活動にもいろんなところで影響が出てきました。町に行けばマスクをしないと店には入れない状態です。マスクを車に備えておくようにしていますが、軽トラックなどにマスクがない時があります。やむを得ずマスクなしで、店などに入ると辺りの冷たい視線を感じます。あらゆる分野で集会やお祭りが中止。 ひとり娘が東京で働いています。お盆に帰るのを楽しみにしていました。春も帰っていなかったので、なんとしても帰りたいと家内に相談していたようです。知り合いの娘さんが、5月に車で帰郷した際、通りがかった人に駐車していた関東ナンバーの車を見て警察に通報されたという話もあります。世の中の雰囲気は東京から来たというだけで、過剰反応が起きる昨今の状況です。 今年は、帰郷を断念しました。


NO,310  田んぼ通信 令和2・7・13

先月下旬から本格的な梅雨に入り、春先から続いた乾燥した天気が一変し、梅雨空の日々となりました。毎日が梅雨空です。西日本や九州各地は、とんでもない大雨となり大きな災害に見舞われています。昨年の台風19号の大雨で当地区も大きな被害を受けましたので、他人事ではありません。コロナ禍の最中でもあり、暑さの中でたいへんなご苦労を想うとき心が痛みます。被害を受けました皆様には心からお見舞いを申し上げます。 さて、先月20日までは、極端に雨が少なく畑はカラカラ状態でした。大麦の収穫は、天候にも恵まれ例年よりも早く終わりました。先月にもご報告しましたが収量的には、土壌伝染病が発生し満足できるものではありませんが、検査も通り無事に出荷も終えることができました。 麦に発生するこの土壌伝染病、縞萎縮病と言いましてたいへん厄介なものです。有効な薬剤もあるようですが現実的には広い麦畑に散布するとなるとコスト面で現実的ではありません。しかも、調べてみると土壌消毒の薬剤はこれまでにも開発され使用されてきたものの、完全なものはなく農薬に頼る防除から土壌菌を活用した防除法が盛んに研究開発されているようです。土壌菌はそれこそ分かっているものでも数億以上もの微生物が土の中で共存し、全ての農作物の生長に深くかかわっているといわれています。同じ作物を連作することで、その微生物群のバランスが崩れた時に病気が発生すると考えられています。作物の生長にあった土の環境を如何に保つか。そこで、最近注目されているのが乳酸菌です。大手種苗会社も注目しているのが、市販されてどこでも売っている、某メーカーのヨーグルトです。このヨーグルトに含まれている乳酸菌が乳酸菌の中でも最も土壌病害菌に効果があるのではないかと研究が進められているといいます。 そこで、ものは試しです。即く行動です。収穫が終わった全ての麦畑6・5ヘクタールに、10アール当たり市販のヨーグルト一個と乳酸菌のエサになる砂糖を水に溶かし全面散布しました。散布が終わった麦畑は、微かにヨーグルトの香が漂います。気分も、なんとなく落ち着きます。 果たして、病原菌に有効に働くかは、未知数です。結果は、来年にならないと分かりませんが、人が食べても体に良いといわれていますので、害にはならないでしょう。 乳酸菌の散布処理が終わった畑に、二毛作大豆の種まきをしました。先月の末までに、播種作業は無事に終わりました。大豆は、納豆専用の小粒大豆です。昨年は、収穫直前に大水害で収穫皆無でした。作柄が良かったので、たいへん悔しい思いをしました。今年こそはと期待をこめて種まき作業に臨みました。 百姓仕事は、本当にお天道様のご機嫌次第です。 当然、お天道様の影響は、農作物の生育に大きく影響します。 お天道様の動きが毎年同じであれば、苦労しないのですが。「米作りは毎年が一年生」。しかも最近のお天気様は、数十年に一度といわれる大きな変動が、毎年のように現れるようになりました。異常が異常でなくなり当たり前の時代になりました。考えようでは、これまで当たり前と思っていた前提が変わっただけと考えれば少しは納得できます。大切なことは、どのようなことであれ現実を素直に受け入れ精一杯生き抜くこと。確かにコロナ禍で時代が大きく動き、経済面でもこれまで先送りしてきた懸案が一気に表に出てきます。とんでもないこともおこるでしょう。それも現実として受け止め、当たり前とおもって生き続けるしかないでしょう。自分の力ではどうしようもないという思いもあります。しかし、どうせ生きるのであれば、時代に翻弄されて生きるのではなく、今の時代が歴史的にみてどのようなシステムの中で動いているのかを多少は納得して生きたいです。幸い、人が生きる為に不可欠な食料生産に携わっていますので自分に出来ることは明確です。土を信じ、お天道様に手を合わせ、少しでも良いものを安定的に生産続けるだけです。 ところで、今年も、我が家にツバメがやってきました。毎年、玄関の軒先に巣作りし、子育てをします。3月にやってきたツバメは、無事に子育てを終え巣立ちました。今年は、その同じ巣に直ぐに子育てが、はじまりました。いま親ツバメが早朝から夕方まで盛んに餌を運んでいます。無事に巣立つまでヘビやカラスなどに襲われないか心配しながら見守る毎日です。コロナ禍の世の中ですが、例年通りの暮らしがつづいています。


NO,309  田んぼ通信 令和2・6・15

季節は、麦秋。新緑から初夏を迎え、一年で最も清々しい季節です。麦畑の黄金色、真っ青な空、里山の新緑の輝き。そして蔵王連峰の残雪の白。春先の農作業で忙しい最中でも、仕事の手を休め美しい景色に見とれてしまいます。それが、今年は違います。 里山は、いつもと変わらぬ景色が広がっているのですが、西の空に連なる蔵王連峰の頂に残雪が殆んどありません。今の時期は、頂きにたっぷりと雪を湛えているのですが、この冬の記録的な雪不足と暖かさで雪が消えてしまいました。 麦刈りの季節です。今年も8日から始まり10日に終わりました。天気に恵まれ、予定よりも早く終わりました。 栽培面積は6.5ヘクタールで昨年より減らし、その分コメの作付けを多くしました。今年の麦の出来は、良くありません。連作による弊害か土壌伝染病が出てしまいました。土づくりには、力を入れてきましたがまだまだ勉強不足です。一番の対策は、麦づくりを諦め、畑から水田に戻すことですが、それでは折角土づくりに努力してきた甲斐がありません。目に見えない土壌菌の世界。新型コロナウイルスではありませんが、病原菌をゼロにするのではなく、病原菌と共生する環境づくりを目指す。有効な土壌菌を増やし有害な土壌菌の密度を減らすことにより作物が元気に育つ土壌環境を如何に作り出すか。この秋の種まきまで、病気に関する情報を集め、栽培管理の見直しや有効な資材の投入等で来年度も麦づくりに挑戦です。 これからが百姓の腕の見せどころ。来年に向けての目標ができました。 さて麦刈りが終わった畑は、二毛作大豆の種まきが控えています。昨年は、台風19号の大水害で収穫目前の大豆が全滅でした。昨年から、納豆専用の小粒大豆を全面積に栽培しています。播種適期は、今月20頃から7月初め。昨年の悔しい思いを胸に秘め、種まきの準備を始めたところです。 それにしても、今年の天気は異常です。 春先から、暖かな日が続いています。5月の田植えも暖かな天気に恵まれ順 調に進み、6月に入ってからも真夏日を記録するなど異常ともいえる暖かさです。田んぼの稲もこの暖かさで、初期生育が近年になく旺盛です。このまま収穫の秋を迎えることが出来ればいいのですが、これまでの経験からすれば、「青田褒めの下作」という言葉もあります。初期生育が良い年は、でき秋が悪い年が多いようです。苗づくりや田植え時期の天候不順で初期生育が悪く苦労した年には、案外 実りが良く出来が良かったということがあります。 油断は出来ません。 気象庁の予報では、暑い夏になるとの予想ですが、お諏訪神社の作占いでは、近年になく悪い作柄予想です。それも、稲の穂ができる大切な時期に低温の予想。こんなに暑い日が続いているのに冷害の心配。人間の力などは些細なもの。なにが起こるか分かりません。八百万の神々に素直に手を合わせ日々の暮らしに感謝する。自然界で起きている現実を素直に受け入れ、できることを確実にする。それが、実践するとなるとなかなかできませんが・・・・。 最近とくに気になるのが、方々で頻繁に起きている地震です。 不気味です。心配しても地震は止められませんが、心の準備だけは心がけるようにしています。それにしても、東日本大震災から10年。この10年間、大災害が次々に襲ってきます。歴史上に残る大きな節目の時代を生きているのだと実感する日々です。 ところで、まだおさまる気配の見えない新型コロナ禍。自然相手の農作業ですので、仕事の面ではほとんど変わらないのですが、暮らしの面でいろんな影響が出てきました。3月以降、殆んどの会議、会合は中止。例年ですと春の農繁期とも重なり会合などに出席するのがたいへんでしたが、コロナ対策で不要不急の外出自粛要請で出歩く機会が極端に少なくなりました。早寝、早起きで農作業は、はかどります。しかし、人の流れが停滞することによる弊害が心配されます。経済がこの先どうなるのか。とりあえず、人が生きていくうえで、食糧は欠かせませんので仕事がなくなるという心配はありませんが、コロナ禍で人の流れや物流が大きき変わることは確かです。環境の変化に如何に対応していくかが、農業の世界でも求められます。これから、世界経済でとんでもない激動の時期を迎えるようです。それを、如何に乗り越え生き延びるか。これまでにも増してアンテナを高くし、世の中の動きに惑わされることなく、全ての面で基本を大切にした暮らしを目指すだけです


NO,308  田んぼ通信 令和2・5・17

 皆様、お元気ですか。 今朝、代掻き作業がすべて終わりました。田植え作業ももう少しです。3月の種もみ準備からはじまった、本格的なコメ作り。 田んぼに稲を植えない限り、お米はできません。  無事に田植えが終われば今年のコメ作りは大きなヤマを越したといえます。あとは、お天道様のご機嫌を窺いながら日々たんぼに通うだけです。 今年の田植えは、用水関係のトラブルなどがありましたが、好天候にも恵まれ予定通りに進みました。 今月はじめに植えられた苗は、植え痛みもなく真っ白な新しい根をたくましく伸ばしはじめました。 ほとんどの田んぼは、田植え作業を終え早苗田の緑が広がっています。里山の木々も、日増しにその緑を濃くしています。いつもとかわらない田植えの季節を迎えました。
ところで、 世の中は、新型コロナ禍で人の動きは大きく制限され、花見や大型連休と共に開催されるイベントは あらゆる分野で中止や延期。 「三密」が予想される会議なども中止。これまで経験したことのない世の中の動きです。
 就農以来40数年、花見や大型連休時期は、米作りで最も大切な農作業と重なり、ゆっくり楽しむということには縁がない暮らしを続けてきました。正直、コロナ問題で暮らしが大きく変わったということは、感じません。田んぼ作業は、コロナ対策で盛んに呼びかけられている「三密」 とは縁遠い仕事です。まして、稲は生き物。暦に従って作業を進めなければ収穫はできません。例年とはほとんど変わりのない暮らしで、気になることはお天道様のこと。如何にして田植え作業を順調に終わらせるか。毎年のことですが、一年の農作業の中で、最も神経を使う時期です。 さて、新聞等に 「コロナ禍」という見出しをみかけるようになりました。
正直、これって何と読むのだろう。読めません。調べてみると、「コロナか」と読むそうです。
「よろこばしくない事柄、不幸をひきおこす原因。災難」という意味だそうです。
一昨日、ホームセンターに立ち寄りました。ほとんどのお客さんは、マスクを着用。 3月以来 田植え作業等で忙しく、買い物に行く機会は、殆んどありませんでしたがこれには驚きました。マスクは、自分を守るためではなく、他人にうつさない為につけるのだということからすれば、マスクを着用しないのは、エチケット違反ということらしいのです。それにしても、マスク 着用は農薬散布等の時だけで全く頭になかった身からすれば、肩身の狭い雰囲気でもありました。
先月、初めに緊急事態宣言が出され、 一カ月が過ぎた今も宮城県は解除されたものの不安は増すばかりです。 3月頃は、病気そのものはインフルエンザ程度という認識でしたが、身近な芸能人や著名人の方々が新型コロナウイルス感染で亡くなるという報道に接する度に新型コロナウイルスの恐ろしさを感じるようになりました。病気そのものの怖さも心配ですが、これからの世の中の動きがどうなるか気がかりです。緊急事態宣言出てから世の中の人の動きが止まってしまいました。 人の動きが止まれば当然、経済活動も止まります。その影響が出てくるのはこれからです。ここ数日、企業の倒産に関するニュースを目にするようになりました。
恐慌という言葉すらも浮かんできます。「コロナ禍」の怖さを身近に感じるのは、これからです。 我が家では、お米屋さんや飲食店の皆様にお世話になってコメ作りを続けています。 さすがに先月の緊急事態宣言以来、業務用に関するお米の注文が激減しました。一年の消費量に応じてお米を保管していますが、特に4月以降は保冷装置を完備した民間の倉庫にお願いしてお米を保管しています。もちろん、コストもかかりますので早く出庫したいのですが緊急事態です。ここは、お互い様です。お米屋さんにも頑張っていただかなければ我が家のコメ作りも存続できません。田植え作業がひと段落したら早速、その対策に取り掛かります。毎年、お米を待っていただいているお客様のためにも、なんとしても、米作りを続けなければなりません。百年に一度といわれる、激動の経済情勢を冷静に見定め稲作農家として生き残りをかけた日々がはじまっています。先ずは、これまで以上に喜んでいただけるお米を作りに精進することです。


NO,307  田んぼ通信 令和2・4・16

  新型コロナウイルスで世界的に大混乱が続いています。首都圏に続き全国へ緊急事態宣言が出されました。人の動きが大幅に制限されました。角田市でも各家庭に4月14日付で、行政区長に対し 「公共施設などの利用制限を5月10日まで延長・新型コロナウイルス感染予防のため」というチラシを各家庭に配布するよう依頼が来ました。 一人一人の行動が感染拡大を防ぎます。という見出しで特に、密閉空間・密集場所・密接場面の3つの「密」を避ける。不要不急の外出はしない。手洗い、消毒、マスクの着用。を呼びかけています。 昨日中にチラシの全戸配布を終えました。コロナウイルスに対する特効薬が開発されない限り、不安だけが増幅する日々です。 人の動きが制限されればお金の動きも大きく制限されます。 詳しいことは勉強不足で分かりませんが、日本の借金財政は世界でも最悪水準だといわれていました。どんなからくりで借金財政を凌ごうとしていたかは分かりませんが、今回の緊急経済対策で世界最悪の借金財政の上に更に巨額の借金をすることになります。確かに休業補償などの対策をしなければ経済どころでなく世の中が更なる大混乱になるのは明らかです。それにしても、お金って何だろうと考えてしまいます。日本国の借金は、だれが返すのだろうか。日本銀行で紙に印刷すればお金になる。必要なだけどんどん印刷し世の中にバラまきさえすれば世の中が丸く収まる。返さないでいい借金があるのだろうか。それで、世の中うまくいくのだろうか。経済学を学ぶ機会がなかった私でも、世の中そんなに単純に動くのだろうかという素朴な疑問を持つ日々です。貧乏百姓うまれの私にとって、額に汗して稼ぐのがお金であって、脳に汗して稼ぎだす今の時代のお金にはどうしてもお金の価値を見いだせません。所詮、農業は、地域を支える非営利的経営の側面もあるという思いもあります。家族が生活するためのお金と仕事を続けていくためのお金があればそれ以上のお金にはあまり興味がありません。ただ現実は、生活と仕事を続けるためのお金を稼ぎだすために朝から晩まで働く日々ですが。  新聞一面トップに 世界恐慌以来 最悪の不況 という大きな見出しが載るようになりました。世界経済は1920年~30年代の大恐慌以来最悪の同時不況に直面している。需要も供給も破壊。という見出しも躍っています。経済原則は、需要と供給のバランスで決まるのでその動きに任せればいい。という話もあります。いまその需要と供給システムが破壊されたというのであれば、これから世の中は何をもって動くのだろうか。そんな素朴な疑問と歴史的瞬間を生きているのだという興奮の日々でもあります。 まだまだ先がみえませんが、今回の騒動が収まったときどんな世界になっているのか。 先日、手元の資料を整理していたところ13年前に角田市で行われた実践総合農学会のシンポジウムに関する資料がでてきました。その中で、農学会の前会長の三輪睿太郎先生(元・農林水産技術会議会長)の実践総合農学会、15年を振り返って、という記述の中に今はなき前角田市長の発言をとりあげ 「工業化の原理が優先で、経済性、採算性ばかりが言われるが、農業にそれを当てはめることはできない。必要の原則が大切だ(山本元宮城県知事)。資本主義の自由競争経済の中で、必要の原則が淘汰されるということは人類生存基盤の大きな変革でそういう変革は許してはいけない。農業が(経済原則による)商業的な競争を{必要の原則による補助金}に依存しつつ行っている。その中から安定した農業所得は得られない」(注、三輪先生の抜き書き)という一文が目に留まりました。私もシンポジウムの発言者として参加させてもらい、「農村社会は、資本主義と社会主義の良いとこを取り入れた理想の社会を作れ」といわれているようで苦悩しているという主旨の発言をさせていただきました。あれから、10数年が過ぎても答えが出ません。 その模索の中での具体的行動が、日本型株式会社(勝手に言ってます)による農業経営の実践です。今年で法人設立して5年目です。世の中は、まさに大混乱。我が社の使命は、国民の食糧生産基盤の田んぼや畑を安定的かつ継続的に守り育てる。そのために、種を蒔き、蒔いた種はしっかり育てる。今年も例年どおりコメ作りがはじまりました。  日々、八百万の神々にお祈りしながら無事にお米を届けられるよう田んぼに通います。


NO,306  田んぼ通信 令和2・3・16

 皆様 お元気ですか。 世の中 新型コロナウイルスで大混乱です。中国で発生以来1カ月以上が経つというのに、未だ解決の兆しがみえません。 先月28日夜、行政区長に対し角田市緊急連絡用ファックスが送信されてきました。 学校などに対し新型コロナウイルスに関連した各種感染症対策について書かれている文書の最後に「その他新型コロナウイルスに関連した感染症対策について。行政区の総会等については、令和2年3月31日までは原則中止または延期について検討するように要請します」。とあります。 文書を見た当初はさほど、気にしませんでした。しかし改めてよく文書を読み返すと、行政区長に対し原則中止または延期について検討するように要請します。とあるではありませんか。 行政区長の立場からすれば検討するまでもなく、原則とあるものの中止あるいは延期の二つしか選択肢はありません。 責任者の立場からすれば、「総会などを中止または延期を要請します」というのであれば悩みませんが、どちらかをケントウするよう要請します。この言い回しでは、結論に対しての責任は役所にはありませんと言っているようなものです。これでは、万が一のことを考えると実施するという選択肢はよほどのことがなければできません。役所の文書とは、どこまでも自分たちの責任逃れられのために都合よく考えているものだと感心するものです。 ということで、我が行政区は総会等は当面延期することにしました。 延期はしたものの、年度末を控え決算と予算の承認をもらわないと新年度からの事業が出来ません。行政区の総会などは、委任状などによる書面決議と必要最小限の参加者による総会等を開くことによって実施することにしました。 今回の新型コロナウイルスの影響は、身近な会合ひとつとってもとんでもない影響が出ています。それどころか、日々のニュースは世界的大恐慌を予感させるものばかりです。これからいったいどうなるものか。結論は、考えてもしょうがない。いまやるべきことは、如何にして生き延びていくか。役所であれ何処であれ、当てにしてもしょうがない。自分のことに対し責任をもてるのは、自分しかありません。先ずは、手の届く身近なところの日々の暮らしを確実に積み上げる。株などの資産運用等を考えるほどの資産余裕もありませんので、株価の動きも正直あまり気になりません。昨今の資産バブル経済を当てにした暮らしをしてきたわけでもありませんので慌てることはありません。そういうものの、世の中お金で繋がっているが現実。トランプ大統領ではありませんが、世の中の動きは、全ては株価?無視はできません。日々の株価の動きには、これまでになく大いに関心があります。人は何を求めどのように行動するのか。悠長なことは、いっていられませんが生き残るために今何が必要か。混乱が続く今だからこそ、少しは余裕をもって将来を見据えた暮らしを模索します。  さて、世の中も混乱していますが、お天気さまも混乱しています。今年の冬は、雪もほとんど積もらず春を迎えました。誰しもが今年の天気が心配になります。経済の動きも心配ですが、最も心配なのは今年の天気です。 お天気だけは正直、心配してもどうにもならないことです。経済情勢よりも、最も人間の力が及ばないことです。ただただお天気様の神様に、お祈りするだけですが、備えあれば患いなし、これまでの経験を活かし準備には最善をつくします。
ところで、生業の田んぼを耕すことで暮らしてきた我が家です。暦は、いつしか3月も半ば。育苗の準備も始まりました。毎年3月11日は、種籾の塩水選作業をしています。3月11日は、東日本大震災がありました。あれから9年が過ぎます。午後2時46分。今年も、塩水選の手を休め皆でラジオの合図に合わせて黙祷しました。例年と違い、新型コロナウイルス感染拡大の影響で、あらゆる分野で集会などは自粛です。大震災の慰霊際も相次ぐ中止。それでも、大震災の記憶を風化させてはならないと、被災地ではそれぞれの想いで11日を過ごしました。 それにしても頻繁に全国規模で大災害が起きるようになりました。天候異変と経済異変、何らかの関係があるのでしょうか。難しいことは分かりませんが、世の中の流れが、大きくかわりはじめたと感じています。世の中がどうであれ、 来月初めには、種まきが始まります。今年も暦と共に我が家のコメ作りは始まりました。種を蒔かなければお米は出来ません。豊穣の秋を信じて。


NO,305  田んぼ通信 令和2・2・16

 先日、雪が降ったものの直ぐに消えてしまいました。相変わらず暖かな日が続いています。 暦は、立春を過ぎ陽射しは日増しに明るく、陽が暮れるのがだいぶ遅くなりました。例年ですと 北向きの斜面には雪が残っているのですが、全く雪もなくしかも凍みてもいません。こんなに暖かな冬は経験ありません。お天気相手の仕事です。夏の天気が心配になります。先日、今年の作付けの目安としているお諏訪神社の筒粥目録をいただいてきました。
それによると、今年の作柄は、全般的にあまりよくありません。しかも、冷夏を予想しています。また、民間の農事気象学会の予測でも、春の訪れは早いが冷夏となる。とあります。お天気様を心配してもどうにもなりません。先ずは、土の力と稲の力を信じ天照大神様に手を合わし田んぼや畑に真面目に通うだけです。 ところで 昨年10月の台風19号の被害で、5年前に建てた部落の公民館の北側斜面が大きくがけ崩れました。高さが5メートルほどの高台に公民館はあります。昨年の台風の大洪水の時には、避難所になった大切な施設です。 公民館も新しくなり、行政区長として大きな役割を果たせたと思い、来年で区長を交代させてもらおうかと思っていた矢先にまたもや大きな仕事が出来ました。 まともに土木業者に相談すれば400万円以上の工事費が見込まれます。市役所と相談しましたが、最高で50万円の補助しか出してもらえません。 しかも、昨年の台風被害で業者も忙しく工事の時期もいつになるか分からないといいます。建物の土台部分は、地質調査もしてあり、岩盤でしっかりしていますのでこれ以上の被害の心配ありませんが、このまま放置しておけません。 元日の部落の新年会で、工事に関する一切のことは行政区の役員に一任するということを承認していただきました。なんとしても今年度中に工事を終わらせなければなりません。 資金の工面。業者の選定など工事まで段取りが大変です。区民の皆さんに 新たに資金提供をお願いするのは、時節柄面倒になります。 行政区の特別会計には、ある程度の資金は貯めておいたものの、それでは足りません。あとは借金をして賄うほかないと腹をくくったものの、来年までに他にもやりたい事業があります。間違いない工事を出来るだけ借金をしないでやる。そのためには、如何に工事費を安くするか。大型建設機械等を保有して大規模な畜産業などを手掛けている友人に頼むしかない。 我が家にも2トンダンプもあり、ほかにもダンプを持っている仲間も数人います。出来るだけ区民にも手伝いをもらい、また土台になる大きな石や山砂利などは、こちらで準備するという条件で格安で工事を請け負ってもらうことにしました。 例年ですと北側の斜面は雪があり、地盤も軟弱になり余分な時間もかかり工事も大変になります。 幸い今年は、極端に暖かく雪もなくしかも今月に入ってから天気が続いています。今月の7日から工事が始まり14日に無事に工事が終わりました。 どうなることかと心配しましたが先ずはひと安心しました。 工事は、5メートルの崖に土台に1.5メートル程の石垣をつくりそこから粘土の山土でのり面をつくります。 土台となる石は、地元の解体業などを営む先輩に提供していただきました。ひとつ1トン以上もある石を積み上げ土台を作ります。先輩の話では、最近は家の解体のついでに庭も整理してほしいという依頼があるといいます。そこで出てきた庭石を使ってもらってもいいというのです。いまから20年前、庭を作るブームの時期がありました。せっせと働いて、庭を眺めて暮らしたい。そんな思いで競って庭を作ったものです。それが、時代が大きく変わり、世代交代の時期になり大きな家は掃除や手入れが大変、小さな家で十分。ましてや庭にかける手間や維持する費用が大変。ということで、家も解体そのついでに庭も整理してほしいという依頼があるというのです。大金をつぎ込んで作った庭や家を 今度はお金をかけて始末する時代になりました。 お蔭さまで、庭石を使った立派な石垣を土台とした法面工事が出来上がりました。世の中なんと申しましょうか、余裕がなくなったというか価値観が変わったというのか。購入当時は、一個数万円もしたであろう石を積み上げながら、何のために働きお金を貯めたのか。お金の価値観も大きく変わってきました。複雑な思いです。


NO,304  田んぼ通信 令和2・1・15

 寒中お見舞い申し上げます。 これまで経験したことのない、暖かすぎる新年を過ごしています。 外の水道は、凍っていません。また、北向きの斜面も全く凍っていません。
  正月 11日は、恒例の 農のはじめ、 日の出を待って田んぼにオガン松を飾ります。これを境に我が家の本格的な農作業が始まります。 田んぼに向かう途中も全く凍みていません。薄っすらと、霜が降っているだけです。 この時期に、これほどまでに 暖かな新年を迎えたことはありません。 日頃の会話の中にも、地球温暖化を実感する話が多くなりました。誰しもが、昨年の大型台風の直撃が、特別なことではなくいつまた何処にでもやって来るという心配を口にします。備えあれば、憂いなし。とはいいますが、自然相手の農業です。無駄な抵抗は避け、人の力を過信することなく、自然の巨大な力を素直に受け入れる事が、先ずはやるべきことです。そのうえで、常に最悪の事態を想定し、自らの足元を見据えいま自分がやるべき事を確実にやる。先ずは、自分の命を守る。基本中の基本。そのうえで各々が、それぞれの置かれている環境で やれることを確実に行動に移す。日頃のその積み重ねでしか、災害から身を守ることは出来ません。
 8年前の東日本大震災や今回の台風による大洪水による大災害を経験して、巷にはその対策が盛んに論じられています。災害のメカニズムや地球温暖化による気候変動予測等が、マスコミを通じて接する機会が多くなりました。その分、災害に対する知識は、格段と増えました。 心配なことは、その知識が増えた分、そく行動に移すかというと、評論家的人間が多くなっただけではないか。 そんな疑問があります。 最近、知識をヒケラカスクイズ番組をおおく見かけます。番組の制作費が安く上がるという背景が透けて見えます。 それでも、たまに観る事があり、出演者の知識量の凄さに感心させられます。 いつも思うこと。 そんなの何に役に立つの・・・。必要な知識は、自分で調べる気になれば昔と比較して容易に手に入れることができます。(その情報や知識が 本当に役に立つ正しい情報なのかを見極めるのが、これまた昔よりも難しくなったこともありますが)その手段と時間さえあれば、生まれ持った能力の差によって行動の時間的差異はあるが誰しも生きていくうえでの知識を得ることができるのではないか。問題は、その知識をもとに如何に知恵を備えるか。 人が行動するのは、自らの経験や身近な現象をもとにした繰り返しの学習でしか行動に移さないということ。また、人は組織や集団で群がって行動することに安心感を覚え、常に群れをつくりたがる。単なる知識では、行動に移さないのではないか。そんな疑問もあります。 昨年の台風19号の大洪水の災害経験をして言えることは 、防災に関する啓蒙活動や訓練を呼びかける立場にある、役所や地方議員や関係諸機関の役・職員が知識だけ(知識も足りないのでは。)で行動が伴っていない。行政による訓練などが各地で行われているが、単なるイベント的要素が強いものが多く見受けられます。よその市町村のことは分かりませんが、少なくとも地元の対応はそんな愚痴を言いたくなるものでした。 先日の地元の区長会の席上「昨年9月に阿武隈川が決壊したことを前提に、角田市の総合避難訓練をしたが、その時、指摘した、避難所をはじめ避難行動に対し、具体的行動を提案した。それが、今回の水害で生かされたかというと疑問だ。市民の防災訓練をするまえに、市長はじめ市役所職員や議員が 常に避難訓練を念頭に置きながら働くべきではないか。今回の水害の対応は、あまりにもお粗末。  一般市民は、役人や組織で決められたことに対しほとんどが信頼し群がり行動する。特に 指導的立場にある行政関係者は、現場の生きた声に耳を傾けるべきではないか。先ずは、自らの行動に常に責任をもってほしい」と言いたくもない意見を言わせてもらいました。それでは、70戸余りの集落を預かっている行政区長としてどのような行動をとったかは、以前に報告したとおりです。 角田市で一番低地に住んでいる集落ですが、今回は、区民の皆様の素早い行動により、床上や床下浸水した人はあったものの、ほかの地域で車の水没や保管しているお米がダメになったという話を聞きますが、我が集落ではありませんでした。今年もよろしくお願い致します。