NO,318  田んぼ通信 令和3・3・14

三月の声を聞いたのも束の間、半月が過ぎようとしています。 西日本各地から桜の便りが届くようになりました。例年よりも開花が早いといいます。 三月に入り本格的な農作業も始まりました。10日には、種籾の塩水選作業を開始。充実した種籾を選ぶ大切な作業です。米作りの基本の言葉。「苗づくり半作」。 米作りは苗で決まるといわれ、そのためには充実した良い種を蒔くこと、といわれてきました。それがいま、塩水選作業をしない農家が多くなったといいます。塩水選という言葉すら忘れられるのではと思う昨今です。この背景には、以前は種籾のほとんどが自家採取だったのが、最近は購入種籾が多くなり塩水選の必要がなくなったと勘違いしている農家が多くなったのではないかと思われます。 我が家でも購入種籾の比率が多くなってきましたが、購入種籾を塩水選してみると未充実の籾が多く入っています。種籾として販売しているからには充実したものを販売してほしいと思うのですが、現実は県など関係機関の指導が入っているにもかかわらず、種籾としてよくぞ販売したものだと思われるものがあります。文句のひとつも言いたいのですが、そんな時間は無駄。プライドをもって稲作指導をする関係職員が激減。お勤めさんに文句を言う前に、自分のことです。しかも一年に一回しか作付けできないお米です。 自分の責任で納得したお米作りのための基本中の基本。納得した種を蒔くことから米作りをはじめるだけです。 今年も本格的な米作りがはじまりました。 昨年からコロナ禍の影響等で、インターネットなどIT技術を駆使した情報交換や情報収集がより身近なものとなってきました。なるほど、スマホ等を駆使し日々の暮らしを楽しいでいる若者世代に接するとその利便性に驚きます。農業技術に関する情報も瞬時に手に入れることができます。 そこで、気になることは気軽にたくさんの情報を通して知識は豊富になりますが、それでは、知識が豊富であればいいものを創り出す技術力が身につくかと言えばそう簡単ではありません。ましてや、生き物相手、人がコントロールできないお天気様相手の農業は、うわべの知識は邪魔になることがよくあります。それが証拠に豊富な知識を持ったものが、継続的に農業で暮らしているかというと、知る限りではほんの僅か。スマホ時代で育った世代が額に汗することなく情報過多で生産現場から数年で撤退しないか心配になります。 さて、よく農業は経験がものをいう世界だといわれます。それでは、経験さえ多く積めば技術が身につくかというとこれまた簡単ではありません。私は、米作りをはじめて47回目を迎えるというのに人様に言えるほどの稲作技術はありません。毎年一年生。という言葉を繰り返し47年が過ぎました。よくぞ他の仕事にもつかず、ひたすら田んぼでお米や麦・大豆を育てその収入だけで家族と共に暮らしてきたものだと感心します。確かに人様に誇れるような栽培技術はありません。あるのは47年間、 田んぼに通い続けたという時間の経過です。それが経験的技術というものになったかというと自信ありません。経験が確かな技術の向上に繋がるという確信はまだありませんが、「継続は力なり」という言葉もあります。「思い」をもって経験を積み重ねるという行為こそ、間違いなく技術を身につけるために最も大切なことだということを理解できるようになりました。凡人の私には、理解するだけでも40年もかかりました。まだまだ、これからです。 自分なりの「思い」をもって「継続する」こと それがまた簡単で難しい。 ところで、今年も3月11日がやってきました。東日本大震災から10年の歳月が過ぎ ました。今年も種籾の塩水選作業がはじまりました。私は、田んぼの排水路の整備。2トンダンプで山土運搬作業。 仕事の手を休めて東の空に向かって黙祷。あっと言う間に過ぎた10年でした。時間は間違いなく確実に過ぎていきます。 僅かな土台だけを残しすべてが破壊され流された津波現場。この世にこんなことが本当に起きるのだ。日々人が追い求めてきた物質的欲望は、一瞬の出来事で全て消え去るのだという事実に衝撃を受けたことを鮮明に覚えています。 東日本大震災は、私の人生観をおおきく変えたことは確かです。


NO,317  田んぼ通信 令和3・2・15

 一昨日深夜(13日 23時10分頃)、またまた大きな地震がやってきました。震度6を超す大きな地震です。最近は、夜9時前には床に就きます。 突然の地震の揺れに目を覚ましました。最初は、少し強めの地震かなと思っていたところ、急に激しい揺れに。我が家は、木造二階建て。二階に寝ています。激しい揺れに見舞われたときは、建物が倒れてしまうのかと思うほどの恐怖感を覚えました。すぐさまテレビをつけ、震度を確認。なんと震度6強。十年前の東日本大震災の時は、震度5弱。とんでもない大地震の再来かと心配になります。幸い我が家は、地盤が固い岩盤の上にあります。過去の大地震に見舞われた際も大きな被害はありませんでした。揺れが収まってから下に降り被害状況を確認。台所の食器棚から数枚の皿が落ち割れて散乱していた他には目立った被害はないよう。辺りは深夜、真っ暗です。しかし、電気はつきます。外に出て作業場などの様子を点検。一人暮らしの家庭を中心に集落の様子も見回りましたが、震度が大きかった割には、被害はすくなそうです。 角田の町で一人暮らしをしている90歳になる叔母がいます。心配になり様子を見に行くことにしました。 途中道路や町の被害状況を確認しながら行きましたが、一部水道管が破裂し水浸しになっているところもありましたが、道路や家屋はさほど傷んでいません。先ずは、叔母さんの様子を確認し、明るくなるのを待って改めて集落内の被害状況を確認しましたが目立った被害はありませんでした。 東日本大震災からちょうど10年目を迎えます。あの時は午後3時。農作業をしていました。激しい揺れの中、外から母屋を眺めていましたが、今回は母屋の中しかも深夜の激しい揺れ。 一瞬の恐怖感は、思い出すとゾッとします。震度6を超す大地震のわりには、被害が少なく安心しましたが、地震の恐ろしさを改めて感じた一日でした。 さて、この冬は、日本海側を中心に大雪となりました。宮城県も仙台から北の地域は年末から大雪になり東北自動車道でも猛吹雪による大きな交通事故が起きました。 同じ宮城県でも角田は仙台から南に位置し、太平洋まで車で30分。雪の降り方は県北と全く違います。天気予報は福島県浜通りの予報を参考にして農作業をしています。この冬も雪が降ったものの、根雪になるほどの雪は降りませんでした。今の時期、田んぼが乾かず外の仕事は出来ませんが、昨年末からまとまった雪が降らず、田んぼはこれまでになく乾いています。田んぼでトラクター作業などをしている様子を多く見かけます。 昨日は、最高気温17度。春の陽気となりました。気温の変化が大きいのも最近の傾向です。ここ数年極端な天気が続いています。あまりの乾燥した晴天が続くので、これから本格的な農作業を控え、こんどは雨が続くのではないかと心配になります。天気が続くのはありがたいのですが、今の時期は、雪が積もり外の仕事を諦め、ゆっくり体を休めたいと思うのですが・・・。それでもお天気相手の田んぼ仕事です。同じ農作業も条件次第で何倍も苦労と時間をかけた挙句、満足な作業に繋がらないということは これまでもイヤというほど経験してきました。やれるときに早め早めに作業を進めておく。これが百姓仕事の基本と心得ています。   ところで、お天気様のご機嫌も激動していますが、世の中の動きも激変の真っただ中。 コロナ禍の影響もあり、時代の急激な変化を身近に感じる機会が多くなりました。 米を取り巻く環境も、ここ数年顕著になってきたことですが、これまでJAと農水省が一体となって進めてきた日本の米作りが激変しようとしています。 JAが弱体化したことにより、総兼業体制による米作りが音を立てて崩れはじめました。世の中どんなに変わろうとも、経営の基本は、お客様の顔を常に意識して田んぼに通うこと。我が家の田んぼは、食べていただけるお客様に出来るだけ近い存在でありたい。 最近は、インターネットなど情報発信の手段が格段にすすみ、 田んぼの様子を容易に見てもらえることも可能になりました。AI 機能を駆使した農機具も登場。 生産現場も大きく変わりはじめました。 唯一、田んぼに対する百姓の思いだけは変わらずに伝え続けたいと思うこの頃です。


NO,316  田んぼ通信 令和3・1・17

 寒中お見舞い申し上げます。 今年もよろしくお願いします。
年明け早々、新型コロナウイルスの猛威が収まるどころか、爆発的感染拡大の危機と言われる昨今の状況です。世の中これからどうなるのか。不安の中で新しい年がスタートしました。 我が社の仕事始めは、農の初め1月11日。ここ数年、暖かな正月を過ごしてきましたが、今年は違います。 日の出前、気温マイナス7度、雪を踏みしめながらいつものように種籾に飾ったオガン松様をたずさえ、田んぼに向いました。曽祖父時代から使っていた田おこし鍬で田起こし、オガン松様を祭り今年の豊作と平穏無事を祈願しました。世の中は、コロナ禍の影響で自粛ムード。元日恒例、部落の新年会は中止。二日、村の消防団出初め式も延期。親戚の正月挨拶も自粛。異例の静かなお正月を過ごしました。それでも、我が家で続けてきた年末の正月様を迎えるための準備や正月行事は、欠かさずいつものようにやりました。 年末の12月28日は、正月を迎えるための餅つきの日です。年に一回、臼と杵で餅を搗きます。今年は、知人・親戚の分も含めて12臼餅を搗きました。部落内でも臼で餅を搗く家は、本当に少なくなりました。我が家は、会社になりましたが稲作農家としての証として12月28日の餅つきはこれからも重要な行事として続けていきます。餅つきが終われば、会社としての仕事納めですが、正月を迎えるにあたり注連飾りの準備がまっています。祖父が元気なときは立派な玄関飾りを作っていましたが、体が思うように動かなくなった数年前より正月準備は私の役目。日頃 昔の伝統を絶やさず続けていきたいなどと口では言いうもののこれには正直困りました。しめ縄づくりは、藁で縄(なわ)をなうことが出来なければ話になりません。以前は、縄は、農作業の必需品でした。最近は、殆んどの農作業は機械化され、またヒモなども化学繊維で作られた市販のものを利用するため縄をみる機会も稀になりました。 満足に縄をなうことができないのです。縄をなうことができないで注連縄など作れるわけがありません。幸い家内が親父さんが注連飾りを作っている時に指導を受けていたので、私よりも上手に縄をなうことができます。それでも、年に一回の注連縄づくりです。いざとなると半信半疑。正月飾りを専門に作っている知人に二人で習いに行き、最初の年は家内に頑張ってもらい何とか正月を迎えることができました。来年こそはと思っているうちに数年が過ぎました。 しめ縄は藁で作ります。その藁もコンバインで収穫するようになってから細かく刻んで田んぼで処理する時代です。しめ縄の準備は、稲刈りの時から稲わらの準備しておく必要があります。当たり前とおもっていたことが難しい時代になりました。いざわら細工に使える藁を探すとなると苦労します。今年こそは、早めに正月様を迎えようと準備に掛かりましたがしめ縄を飾り終えて家族そろって神棚を拝んでお酒を飲み食事が終わった時は、紅白歌合戦がはじまっていました。来年こそは余裕をもって早めの準備したいものだと思うのですが。 1月7日は七草粥を食べ、14日は、どんと祭。正月が終わり、小正月が始まります。部屋には小正月の行事、団子差しが飾ってあります。団子差し飾りは20日の風に当てるなと言われています。20日の前には飾りを下ろし、本格的な春を待ちます。 ところで、先月の通信の最後に「アメリカは、バナナ共和国」と書いたところ、新年早々、東京で暮らしている娘からお父さんアメリカではなく日本の間違いではないのと電話がありました。一人娘は、昨年の正月帰ってきてから コロナ禍の影響で帰ってきません。正月こそは実家で過ごしたいと家内と相談していたようですが、泣く泣く帰郷を断念。正月は、東京で過ごしました。 私の答えは、「なに言ってるんだ、もう少し勉強しろ! アメリカこそがバナナ共和国だ。」そんなやり取りがあって間もなく、トランプ大統領の連邦議会襲撃事件の衝撃の映像。トランプ氏を責める事は簡単です。しかし、トランプ氏をアメリカ大統領として支持したのはアメリカ国民。その国民の半分がトランプ氏を支持したのもの現実のアメリカです。そんなアメリカを心の片隅で羨望のまなざしで暮らし続けてきた自分もいることも確かです。日頃、「八百万の神々に手を合わすことを百姓仕事の基本」と話している自分です。いろんな考え立場の人が寄り集まって世の中が出来ているということがなんとなくわかるような年になりました。常に素直な気持ちで現実を直視し、答えは現場から自分で出すしかありません。面白い時代になりました。あらたな気持ちでスタートです。