シンポジウム
「食糧の安全保障と日本農業の活性化を考える」
H21・12・04

丸ビルホール   主催 東京農業大学・毎日新聞。

報告 
「都市生活者は 農業の現場にもっと目をむけよ」
 自己紹介
我が家は、代々続く米農家です。その長男として生まれ、小学生時代から 将来は 農業を継ぐものと決意し、何の迷いもなく地元の農業高校に入学。その後千葉県の農業後継者養成所で二年間学び 卒業後20歳で農業に就き、これまで35年あまり米作りに励んで きました。 
現在83歳で今もなお 現役で頑張っている 親父さん共々、家族一丸となって 専業農家として生き残るべく農業一筋に生きて来たものです。
 私の住んでいる宮城県南部かくだしは、今年の秋は、これまでになく暖かく、小春日和が続いています。
今年の稲刈りの様子から話をします。
生産現場からの報告
今年の秋、我が家で 間違って稲を刈られたという事件がありました。
稲刈りももう少しで 終わりだという9月末のことです。
我が家から3K程離れたところにある、20アール程の田んぼです。
 広い耕土の中にある 田んぼです。
稲刈りしようと思い朝、田んぼの様子を見に行ったら 田んぼに稲がないのです。そんなハズがナイ。 アレ 俺いつ刈ったっけ?一瞬 我が目を疑いました。  何度も確認しても、自分の田んぼです。 
そんな馬鹿な! 間違って刈って行ったのだろうとは、思ってみても モシカシタラ・・・・。という 複雑な思いも一瞬脳裏をよぎります。
先ずは、村の駐在所のお巡りさんに相談。 
お巡りさんと二人で パトカーに乗って、 米の行方を捜すこと3時間余り。たどりついた家から出て来たのが 今年82歳になるお爺さんとお婆さんの老夫婦。 
お爺さんに、「あそごの田んぼ稲刈ったがいん」 と訊ねると。
 その田んぼ 二日前に 2条刈りのコンバインを持っていきお婆さんと二人で刈って来きたというのです。
自分で刈って来たので間違いないというので。
それでは、 先ずは、田んぼに行って現場で相談という事で、
再びお巡りさんのパトカーで 今度は三人で田んぼへ。
田んぼについても、そのお爺さん ここは俺の田んぼだというのです。
あたりは、すでに稲刈りは終わっている状態。残っているのは、数か所だけ。
 我が家の田んぼから100メートルほどの田んぼに まだ 稲が残っているのでお爺さんの田んぼは その田んぼなハズ。 
それを確認して 初めて間違いに気付き納得。
お婆さんに、よれば 嫁に来る時 持参金代わりに 実家から貰った田んぼだというのです。 
お婆さんも田んぼにきて、なんで間違ったんだべや。
狐にでも 騙されたようだ。
というのです。 納得してもらい、まだ籾すりが終わったばかりで、 そのまま米があるというというので、その米を返してもらう事で 事件は解決。
 お爺さんの話によれば、家から4K程離れた遠くのたんぼ。 
軽トラック等はないので、耕運機に小さい籾運搬コンテナをつけて数回に分けて半日以上かけて刈って来たというので。
その話、聞き。 妻が、またあの 老夫婦に稲刈りさせるのは 気の毒だ。
我が家の5条刈コンバインで刈れば、30分もあれば刈りとりが終わる。
刈ってあげれば。 ということになりその日の午後に 稲刈りし籾を家まで運んであげました。
  自分で田植えをして、水管理にも何日も通った田んぼ。
 それを、刈りとり直前になって 間違うとは。
それも夫婦揃って間違うとは。
その日は、なんとも複雑な思いをした 一日でした。
 この秋、我が家の他にも、間違って稲が刈られたという話が数件あり村の話題になりました。 これまで、こんなことは 聞かなかったことです。
確かに、同じような形の田んぼが連なる広い田んぼです。  
間違えても不思議ではないと思いますが、  マサカ よそ様の田んぼを間違えて刈ってしまうという事は考えられない事でした。
自分の手で 田植えし春から秋まで 田んぼに通えば自分の田んぼは間違えるハズがないのです。  
今、米作りの現場では、急激な世代交代の時期に差し掛かって来たのだ、ということを実感する日々です。
 その世代交代が上手く行われていない。
 担い手が育っていないという事実が 現実のこととなって  今年の秋の稲刈り事件に現れて来たのだと思う。
確かに、今の米作りは機械化され、 米作りはたいへん楽になりました。 
最近の農機具は、マイコンが装備され女性でも少し慣れると 直ぐに運転操作できます。性能も驚くほど、向上しあっという間に 田植え作業や稲刈り作業は 終わってしまいます。
しかし、米作りは 田んぼに稲を植えれば米になる というものではないのです。 田植えしてから 毎日の水管理や畔草刈り作業等の管理作業はお爺さん・お婆さん任せという農家がほとんどです。 
日本の米作りは、小規模の兼業農家で成り立っているといわれています。  私も、それを否定しません。 
しかし、それを可能にし、支えてきたのが、戦後の食糧難を経験し、ひたすらコメ増産をするため、朝から晩まで田んぼに通い 米作りに励んできた今 80歳前後にならんとする親父さん、お婆さん世代の存在があったればこそ。
 私が、米作りを始めた35年前。 今 80歳の先輩たちは、45歳。 当時バリバリの現役で 田んぼに通っていたはずです。 そして、35年経っても 田んぼの担い手として頑張っている。  
それが、もう限界に来たということです。
米の生産調整が 始まって以来30数年間。稲作の 担い手は殆ど育たなかった。 私から言わせてもらえば、この数十年来、問題を先送りにして 担い手が育つ環境づくりに、真剣に取り組んでこなかった。といえます。 
その間、多額の税金をつぎ込んだにも 拘らず。
 いま、米作りの現場に、若者の姿は殆ど見られなくなりました。
異常です。
田んぼからの提言
 これから、ますます自由貿易が進む世界にあって、昨今、自給率向上が叫ばれています。
しかし、それどころか、この日本で「農業」そのものが 存続できないのではという危機感があります。
村の中で、時代の流れを真正面から受け止め、百姓専業で生き来た 私なりのコメ農政への提案。
二つあります。
一つは、 「農業」を 日本の産業構造を根本から支える大切な「産業」と位置付ける。
     ビジネスとして成り立つ 農業政策に早急に転換する事。
     それなくして、 農業の将来はない。
二つ目は、 「自己責任」が問われる時代。
農業者にも「自己決定権」を与える農政に転換すること。
「自己責任」と「自己決定権」は 常に表裏一体です。
     これまでの、村の論理等の全体主義による コメ農政推進システムを転換する事。 
 米作り35年の中で、これまでの農政で一番欠けていたことは、 「食糧供給産業」としての視点にたった「産業政策としての農政」なかった事だ。    農業 特に 米作りを論ずる時   常に「農業者および農村」は 社会的弱者であり福祉政策の対象であったように思える。 本来の「産業政策として農政」を 真正面に据えることなく、 農業を守るという 受身の立場での政策展開が殆どであった。
そこに求められたのは、 常に「守り」 「守られる」 農村であり農業者像でありました。
これでは、 自主・自立の精神に満ちた農業者 農村が育つわけはない。
あえて 言わせていただきます。
私は、環境を守る為や国土保全のために 農業をしているのではない。
 ここ10年来農業を守る論法として、 農業は、 田んぼのダム機能等・水資源の保全や、環境保全に果たす多面的機能がある。 農業の多面的機能を評価し農業を守ろうという動きは、農業者の一人としてたいへん嬉しいことだと思います。
しかし、正直 どこか 違うのではないかと思っている。
  本来、「農業という産業」の存在意義は、 命を育む根本の 「食べ物」を 「安定的」かつ「継続」して国民の皆さんに供給することだ。
決して、環境保護や国土保全を目的に 農業・田んぼを耕作しているのではない。   更にいわせてもらえば、農業経営者としての社会的責任を果たす為の事業展開の過程で、経営者の「社会的責任」において、「国土」や、「環境」が守られるのだと考えます。 
しかも、食べ物ですから 安全な食べ物を供給するのは 当然のことです。
今日ここにお集まりの皆さん。これからも国産の農畜産物で 暮らしていきたいということであれば、日本国内の農業の現場を見てほしい。 
国内農業を維持するためのコストを 誰が支払うのか。 消費者の皆さんが 払うのか、国の責任で維持するのか 真正面から議論してほしい。
都会で暮らす人にとって、食べ物を 「どこの国」に委ねるのか。
もっと言わせてもらえれば、 どこの国の「誰」に委ねるのか。
 その答えの延長線上にしか、日本農業の将来はないと考える。
農業者は、単なる生活者・労働者ではない。
日本の産業構造の大きな一角を占める 「食糧供給産業」を担う、経営者として「誇り」を持って 農業に取組む日が来る事を願って私からの 報告とさせていだだきます。