□ 日本経済調査協議会 講演メモ 平成16・2/9
日本経済調査協議会

2月9日は、東京・南麻布にある日本経済調査協議会に行ってきました。
たいへん良い経験をさせていただきました。しかも、瀬戸委員長さんには 身にあまるもてなしをいただき 恐縮しました。

日経調は、財界4団体の協賛で設立された調査研究機関です。

今回は「国際化の下での日本の食料、農業のあり方」をテーマにアサヒビール相談役・瀬戸雄三さんを委員長とする 瀬戸委員会のお招きでの上京です。

瀬戸委員長は、現役時代より徹底した現場主義で有名な方です。
最近、著書も出版されました。
今回も、委員長 自ら直接、全国の生産現場に出向いて調査研究しています。

日本の将来に責任の持てる農業・食料のあり方提言をする事を目的に活動しています。今月は、岩手県の増田知事を訪れ、岩手の農業をつぶさに検証するとか。

これまで、昨年の3月以来、11回の審議を重ね、12回目の審議会講師として三重大学教授 石田先生と共に百姓の現場の話をしてくれということでの参加です。

メンバーは、主査に東大教授・生源寺先生。 農林漁業金融公庫総裁・高木先生他 
日本の財界を代表する一流企業のトップ、合わせて21名で構成されています。

当日も殆どの先生方が出席。お一人お一人の肩書きを見ると圧倒されますので、角田の田んぼを思い浮かべて話す事にしました。

テーマは「田んぼに立って30年。今の農政について思うこと」。

昨年12月に 中間報告書が発表されました。

http://www.nikkeicho.or.jp/Chosa/new_report/seto/seto_top.htm

そのなかで、 1 はじめに の一文は 瀬戸委員長 自ら執筆したとか。
最初に、この文章を 読んだ時 感動したのを 覚えています。
瀬戸委員長は、今回の報告書を作るにあたって、並々ならぬ情熱をかけていることを あらためて知りました。

マスコミが いかに食料問題に関心ないか 思い知った。
もっともっと、財界も含めて 関心を持たないといけない。
農協のあり方を、シッカリと検証しないといけない。

これまで、政府の関係大臣とも直接会って 話を伝えているが、小泉首相ともコンタクトをとっていて、 最終報告書を出すまでは直接 会って話をするつもりだと言ってました。

また、生源寺先生からも メールをいただき

>>>政策には厳しく、農業と農村にはある種のエールを送るような最終報告に仕上げてまいりたいと思います。
という、お言葉をいただいております。

また、元農水事務次官の高木総裁は、今回の米改革にしても、国で考えている 改革の趣旨が必ずしも 末端まで伝わっているか 大いに疑問を感じている。 中間の関係機関などで改革趣旨が 勝手に履き違えて伝えられているフシがあるようだ。

今後は、政策推進システムを 検討することも必要かもしれないと心配してました。

= = = = = = = = = =

日頃 ズウズウシイ奴だとは思っていましたが この日は、サスガにズウズウシイと
あらためて思った次第です。

それでも、話す事は日頃の「田んぼの思い」。角田の心意気は、少しは伝わったよう
ですので 安心 安心。
帰りは、瀬戸委員長自ら東京駅まで送っていただきました。


「田んぼに立って30年 今の農政に思うこと」


私只今、紹介がありました 宮城県南部 角田市から参りました面川です。
コメ作りをはじめて 30年。
私の百姓人生は、コメの生産調整の歴史と共に 歩んできた。
地元の農業高校を卒業後、千葉県立の農業者養成所で2年間学びその後、今日まで専業農家として暮らしてきた。
家族は、8人。自作地 約9ヘクタール、借地・転作田も含めて約14ヘクタール 合計23ヘクタールの耕地でコメと麦、大豆などを作っている。

今回の中間報告書を読ませていただき、 心が熱くなるのを感じた。
このレポートが一日も早く実現する事を期待したいというのが率直な感想である。

しかしながら、これまで多くの農業構造改革が叫ばれてきのにもかかわらず、掛け声ばかりで少しも構造改革は進まなかった。
「産業としての農業」という 基本的な捉え方が定まっていなかったことが ひとつの大きな原因だと思っている。

私も、30年前に農業の担い手と呼ばれて就農以来この30年間、同じような議論を延々としてきた。
しかも、H7年からのガットウルグアイラウンド国内対策費6兆百億円の巨額をとうじたにもかかわらず、担い手が育つどころか益々いなくなるという現実を目のあたりにして、農政への強い不信感と、今後益々厳しくなる貿易自由化に伴う 農業経営環境の悪化を思う時、苛立ちにも似た不安が増幅するだけの日々が続いている。

今年から始まるコメ改革ビジョンに 最後の期待を込めてこの間の農政改革の議論を固唾を飲んで現場で見守ってきた。
それらの動きをふまえ、東北の片田舎の田んぼで時代の流れをどのように感じ、これからいかに対応していこうとしているのか。そして、今回のレポートをはじめ今年から始まるコメ改革を実現させる為の問題点と課題は何かを率直に話したい。

農政改革の基本は、 命にかかわる食べ物を 「誰」が責任を持って生産し供給しつづけるのかを明らかにすることである。
コメの生産調整以降の農政は、この誰がやる という「主語」を明確にしてこなかった事が大きな問題だった。

生産現場で、農業問題を議論する時にでる言葉は、次の二つだ。

ひとつは、
「自分だけ良ければいいのか、自分勝手な奴だ、小農零細農家はどうでもいいのか」
二つ目は
「東京で議論する時は、元気がいいが地元に帰ると、声が小さくなる、こんな農村社会環境をいつまで続けていいのか」

最初の言葉は、農業の担い手問題を議論する時や、コメの販売を自己責任でやる自立した稲作経営者に発せられる人権まで否定するような言葉であり、「小規模零細農家をどうするのか!」という農協などが農政論を展開する時に基軸となってきた言葉である。

果たして現代農村社会にあって小規模零細農家イコール生活に困っている農家なのか。
農政機関やJAをはじめとする農業関係機関につとめている、多くの小規模零細農家と言われる兼業農家の人たちが 零細 なのか。何をもってレイサイなのか甚だ疑問だ。

二つ目の言葉は、昭和36年の農業基本法の中で謳っていた、「農業の近代化」が政治的駆け引きに翻弄され、農業技術の農業近代化は進んだものの、肝心の農業者・農業関係団体の精神構造の近代化を図ろうとせず、結果としてモノイワヌ農民を温存してきた、この30年来の農政手法にたいする行政不信の声である。と同時に、農林予算獲得を名目として、時には農業を守る為の大義名分として使われてきた「担い手育成策」がいつの間にかバラマキ農政に捻じ曲げられ農業構造改革が進まない現実に対する、「担い手」といわれてきた生産者から出る言葉である。

これからの農政改革を実現する為には、この二つの言葉が生産現場からなくなる為の議論が出来る、農業・農村環境を創るための具体策を検討する事である。

それでは、どうするかである。
誰に、命にかかわる食料生産を担って貰うのかを、国民に明らかにし それらを実現する為の具体策を示すのが農政だろう。
私は、自己責任に基づく農業経営者を育て、それらの人たちにこれからの食料生産の多くを担なわせる事が必要だと思っている。

それらの課題を実現する為には、次の二つの問題を具体的に解決する事が必要である。

ひとつは、
これまで、農村振興策の殆どを農協組織に任せてきた 農政推進システムを改め あらたな農政推進システムを構築する事。

二つ目は
農業者・農業関係者 特に農政担当者の意識改革をいかに進めるか。具体的に行動計画を明らかにすること。

これまで農政推進システムは、ご存知のように農水省と農協が表裏一体となって推進してきた。
しかも、県・市町村・生産者にいたるまで、全く同じ構図である。

今後、活力ある農業・農村社会を取り戻すに、これまで通り農協を中心とした農政展開でいいのかという思いを強くしている。
現在、農協は建前ばかりの議論しかできない 極めて硬直した組織となっている。組織維持だけが目的化され 内部改革への活力が極端にうしなわれ、その結果生産活動に基づいた農業振興策につながる、本来の事業展開が出来なくなっている。

特に、東北地方のコメ地帯の農協は、旧食管法時代の意識からなかなか脱却できず、そのことに起因する事業停滞による弊害は、想像以上に広がっている。私が見る限りであるが、最近の急激な農協経営収支の悪化に伴い これまで通り農村振興の拠点として、役割を果たす事が出来るか疑問である。
農協広域合併の弊害が 予想以上に大きかったといえる。

このような中にあって、農産物の急激な貿易自由化の動きもあいまって、特に担い手と言われる専業農家の間には、これまでの農協を中心とした対応で乗り切れるのかという 苛立ちにも似た不安が急速に高まっている。

それでは、これからどのように対応していくか。
特に、東北地方等の稲作地帯にあっては、従来の農政推進システムのすべてが農協を中心に展開してきた事や、最近まで稲作農家・農民から「考える農業者および経営者になる事」を政策的に否定してきた旧食管法の影響で、農協に代わる組織を育てようとしなかったこともあり、それに代わる組織が殆どないといえる。

そのようなことから、研究者の間には農協を改革して新しい農政の受け皿として再度活用すべきとの考え方が出てきているが、農業を活性化するためにはこれまでのように農協組織だけに頼ることは疑問に思っている。

現在の農協は、内部改革へのエネルギーが極端に衰え、組合員の意識改革への認識の甘さが加わり改革のスピードが遅々として進んでいない。しかも、今日の危機的状況ともいえる日本農業を活性化させるための時間的余裕は残っていない。

今日の農村社会にあって、最も孤立し弱い立場は、稲作の担い手といわれる人達である。
私は、担い手を中心とした 新たな組織を創り、農協事業とパートナーシップの基にそれらの組織を積極的に支援するNPOを創ることが必要だと考える。

新しい時代の農業には、新しい農政推進システムの構築なくして実現不可能である。

そのひとつの試みが、角田市農業振興公社の取り組みだ。
時間の関係で、詳しく話せないが角田市農業振興公社は まさにNPOである。
過去に、農水省の政策的措置もあって全国的に農業公社が設立された経過もあったが、その殆どはハード事業が主である。
角田の公社は、ソフト事業つまり地域農業振興のためのシンクタンク機能が中心であり、特に地域の担い手層の受け皿として 設立以来数年を経て地域農業振興の核として認知されつつある。
運営は、農業関係団体代表と実際の農業経営者が半々で全ての会議が成り立っている。
生産現場の声を常に事業に反映する為に 政策決定時において農業経営者の参加は不可欠である。

二つ目の問題
特に、東北地方等の稲作地帯にあって、旧食管法時代に培われた意識改革をいかに進めるかである。
特に、行政側の農業担当者の意識改革をいかに進めるか、これが意外と困難であり改革推進の大きな障害となっている。

戦後の食管制度体制の中で、最近まで自ら販売する等、産業として農業経営することを政策的に
禁じてきた弊害は 想像以上に大きく農業者のみならず、特に農業関係機関の自立までも極度に妨げてきたといえる。
常に 農家・農業者は弱い立場と位置付けられ、それが為に「農業・農村を守る、守ってあげる。」
という「受身の姿勢」を求められてきた。

行政関係者も、常に政策を与え続ける存在であり、農家と対等な立場で新しい事業を起こすという真のパートナーシップに基づく、農村開発をするという意識は殆ど芽生えなかったといえる。
現在進められている、コメ改革の手法は 地域で考え自らビジョンを描かせようとしているが、これまで、民主的な議論手法を経験していない殆どのムラ社会にそれを期待することは無理なことである。
これまで、農政推進するうえで巧みにムラ社会の構図を利用してきたが、この構図を改める事も必要である。

農村地域が自らの問題としてビジョンを描く事は、極めて理想的なことであるが、その手法が定着するまでは、生産現場に改革への強い熱意が伝わる行政(国及び県)による強力な指導が必要である。
現在のコメ改革ビジョンにおける、ソフトランディング的農政手法では、本来残すべき担い手経営体が真っ先に弱体化するのではないか心配である。責任ある農政とは思えないのである。

農水省は、改革に向け動き出した市町村及び経営体に積極的に働きかけ、コメ改革のあるべき姿の成功事例を創りだすべきである。
また、意識改革を促す為には、積極的に競争原理を導入すべきだ。
これまで、農業界にあっては極力 競争原理を排除しようとする動きが強かったが、守るべきルールを明確にした上で適度な競争原理が働く政策も必要である。

また、意識改革を進める上で、従来の国・県・市町村・農業者・JA等という構図から、必要に応じ国から生産現場、現場から国へという 働きかけが出来る仕組みの導入を検討すべきである。

ところで、今後 新たな農地改革も大きな議論となる事だろうが、これを考える上で基本となるのは それぞれの地域の農地は、そこで生まれ育った農業者が核となって 耕作する事を基本にすべきである。
農地は 生き物であり代々そこに住んでいた農家の先人達が守り育ててきたものであり、地域社会の大きな財産である。 農地への思いがあってこそ健全な農地が育ち消費者に喜ばれる食べ物が育つものである。

農業の活性化のためには、新規参入者も積極的に受け入れる環境整備も必要だが、核となる農業者は、その地域で生まれ育った農業者が最も適していると思われる。

そのためにも、今のうちに 担い手の育成を急がなければならないのである。
今が最後のチャンスだと 思っている。

最後に、財界も 国内農業にこれまで以上に関心を持っていただき、国内農業のあり方を積極的に提言していただきたい。
これまで、財界と農業者・農業関係団体は、常に対立構図のもとに位置付けられた経過がある。

農村社会には、企業・財界に対し 「特に日本人の命の源であるコメ」を生産する農村を任せていいのかという 企業社会への強い不信感が根強く残っている。
これらを払拭するだけの、責任ある日本農業へのメッセージを期待するものである。