Sさん おばんです。
我がHPのお付き合いの程 ありがとうございます。
今日は 暑かったです。
最高気温 32度。アメダスデータ。
>>>経営として農業を拝見すると生産物の価格からとても成り立たないのではと感じます。
御察しの通り。
今、殆どの百姓は 農産物価格の超低迷、 海外との農産物との競争、そして 日本国内に 溢れる食べ物の山々。
農産物の 過剰の中の大競争時代。
今まで経験した事がない、とんでもない環境で農業生産活動を続けています。
しかも、地球上を見れば、食べ物がなく栄養失調で亡くなる子供達が たくさんいる。 ・・・・・と言うのにです。
これに関しては、ジックリ時間があるときに見解をまとめたいと思います。
今夜は、昨夜も話題になった 経営としての農業です。
今は亡き 守田志郎先生の名著に「農業は農業である」があります。 30年も前に 先生の講義を何度か聴く機会がありました。その講義は、今でも私の 脳裏に焼きついています。
また、その当時 その教育機関で学んだ事は、
食べ物は、車などの工業製品とは 明らかに違う。
食料を商品として 扱ってはいけないのだ。
その時代にたたきこまれた精神は、今もって 私の百姓を続けていくうえでの根幹を成すものです。
昨夜 議論した先輩は、極めて優秀な農業経営者です。
常に 互いにいいたい放題の話をしてきます。
先輩は、たぶん農業以外の会社経営をさせても立派な 経営者になったはずです。
その先輩曰く、俺は農業をする為に農業をしているのだ。会社を創るために 百姓をしているのではないのだ。
たぶん、企業経営を目指して 百姓を続けていたら 今頃 倒産していたかも・・・。
(そうは いうものの 先輩は強かに 経営者として最高の判断をしています。ただ、企業経営とは 明らかに一線を隔しています。そこのところの微妙な判断・行動。決して ある一線を越えた 農業経営を望まない。
このところの判断が、なかなか 難しいところ。
生き方としての農業。農業経営者としての資質が問われるところだと思ってます)
百姓仕事していて 常に思うこと。
百姓は、 何百年にわたって 続いている家が結構あります。
これってなんでだろう・・・。
私なりの 答え。
それは、百姓は百姓であり、農業を「経営(企業)」とする
生き方を求めなかったから。 百姓は 生業であり、生業であるかぎり その家がいき続けるかぎり 農業は続いてきた。 生業という生き方には たぶん 「倒産」 という言葉は存在しなかった ハズ。
「倒産」という言葉がないのだから 倒産しようがない。
そういう 俺が、 ここ10年来 盛んに 農業も「経営」をしなければならない。 農業経営者として意識改革をしようじゃないか。 なんて 仲間の先頭に立って 言っている。 お前 なに言ってんだ とお叱りを受けそうです。
私の気持ち。
農業者も 大企業の経営者と同じ経営感覚を持とうといっている のであって 百姓やめて企業家になろうジャナイカ な~~~ンて思って「経営」という言葉を使っているのではないんです。
この点は、常に 我が先輩と 意見が一致するところ。
ホント、これから経営感覚を身に着けないと 「百姓」 としても生きていけない たいへんな時代を迎えようとしています。
百姓として 生き残るために!! 「経営」 しなければならない。
Sさん この気持ち 分かりますか。
>>>1000万もする機械でなぜペイするのか不思議です。機械なしではやれない状況の中、設備投資を低くする方策がないかぎり成立しないのではと心配しています。
ホント 不思議ですよね。
それでも、農業をや~~~めたなんて 悠長な事言ってられません。 生き続けなければならないのです。
日本で これから農業が成立する為の 最大の要因は、
国民・消費者の皆さんの 農業・農業者への理解をいかに 求めるか。 しかも、自立した農業経営者が 自己責任のもとに のびのびと農業に携わることが出来る 農業環境を政策の中で創りだせるか。
そのためには、これまでの生業での農業を強調しただけで良いのか。JAを中心とした被害者意識に立脚した これまでの農政の展開で ホントに理解が得られるのか?
この点に関しては、はっきり NOと自信を持って応えます。
農業を 命を支える産業として また 日本人の食糧の安定供給を可能とする産業として いかに農政を展開すべきかと言う視点が今後益々 必要だと 思うんですが。
そこで、我が恩師が 最近盛んに ほざいていること。
「農業は 資本主義だ!!」
「カンパニーをつくろう!!」
言っている事 チョットだけ見えてきました。
戦後 日本の農政の 悲劇は
農業を 「経営」として捉える事 イコール 農業を「企業・会社」にする事だと 学者先生方 及び 特に農業関係機関で働く労働者が勝手に 思い込んだ事から 始まったのではないかと思うのであります。
それは な~~~んでか。
百姓は、あくまで 田んぼや畑で もくもくと働いて貰わなくて こまるんです。
物云わぬ農民 ではなく、 物をいってもらっては、困るんです。
そりゃ そうでしょう 受験戦争に勝ち抜く為に 一生懸命に勉強し それなりに大学を出て・さらに就職競争にも勝ち抜いた 自称? エリートです。
農業指導機関なるものに ヤットの思いで就職したからには
たんなる百姓に もっともな話をしてもらっては 困りますよね。
そんな事は、どうでも良いのだ!!
百姓として 生き残るために 本気で「経営」しなければ。