今日は、一日雨。
田んぼは、一面水浸しになりました。
この時期としては、大雨です。
雨の日ぐらいは、のんびりと、一日過ごしたかったのですが、なかなかそうはいきません。
「角田市アグリパソコン研究会」
と言う組織を立ち上げ、その世話役をやっている関係で「農業経営」という言葉について、あらためて考えさせられた一日でした。
角田市では、毎週、農業公社でパソコンによる簿記記帳の講習会をやっています。 公社のスタッフはもちろんの事、普及センターの職員をはじめ指導体制はかなり充実しています。
しからば、当事者の農業者の「経営」に対する意識はどうかというと、まだまだのかんがあります。
農業近代化と共に農業者の「経営感覚」の必要性は 農業関係機関で唱えてきたものの、当事者の農家にとって「経営」という感覚は殆ど浸透してこなかったいえます。
これは、戦後のコメ政策に 起因するものと思っています。 戦時立法の「食管制度」がつい最近のH7年まで存在してきたことが大きく影響していると思われます。
食管制度は、言うまでもなく、農家にとって主体的に農業経営を営む事を法律で規制していたのです。
国家管理ですので、日本の稲作経営の経営主は 「国」だったのです。
「経営」等という言葉は、農学者にとっては商売道具として存在したものの 農家にとっては、必要どころか 日本の稲作にとって「経営」を農家がやる事は、法律違反だったのです。
つい最近まで「経営」をして 捕まった人もいました。
いうなれば、農業者のみならず農業関係機関にとって「農業を経営する」と言う事は必要なかったといえます。
行政機関は、農家に「経営」という言葉の必要性を唱えながら、その一方で 農家に「経営」をさせない・やらせないという大きな矛盾を抱えながら 戦後の日本の農政を展開してきたと言えます。
また、農業・農村の大切さを訴える手法として、「農村社会の相互扶助を美化する」言葉は、農村社会学者や 自称農村民族研究家なる人々によってよく使われます。
しかし、これは本来の民主主義的手法によって住民自治が創りあげられたものかというと決してそうではないと思えるのです。
浅野知事がよく言っている「オマカセ民主主義」は、農村社会では、行政が仕事として組織的に創り上げてきたといえます。
それが、若い農業担い手にとっては、「農村社会生活」そもものが息苦しく感じて いつしか離れてしまう。という姿を創り上げてきたといえます。
そこのところの、総括は全然 なされていません。
タテマエとしての農政論がまかり通ってきた根源に目を向けようとせず再び同じ「罪」を繰り返そうとしていると思えてなりません。
今、農水省は来年度からのコメ改革に向けて「コメ改革ビジョン」作成を全国の市町村に対して呼びかけています。
しかしながら、ソフトランディングという手法を使っているため 基本的農政推進システムの大転換を目指しているにもかかわらず、その意図が生産現場に上手く伝わっていないのです。
そんな事は、百姓自身が肌身で感じ取ってきたのでしょう。
「必要ない」ものを やらない。 アタリマエノコトです。
JAはじめ、農業関係機関も、「本気で」 コメビジョンを考えようとしない。従来の 社会主義を前提とした農業経済学者の書いた 作文を鵜呑みにして会議で棒読みするだけ。
「何とかなるだろう・・・・」
これまでは、それで良かった・・・・のです。
問題は、これからも それで良いのか という事です。
結論からいえば、「経営感覚」なくして百姓は 勤まらない。
時代は、急激に変わろうとしています。
今こそ、簿記記帳を基にした農業経営感覚を身に付けた農業者
の育成が急務だといえます。
これまでの日本の指導機関は、立派な作物を作り上げるたの技術指導に力を注いできたといえますが、これからは、経営を成立させるための技術指導、つまり経営と技術を一体化した新しい指導体制が求められる時代といえます。
来年度から 普及センターをはじめとする 農政推進システム
が大きく変わるようですが、行政の責任は今まで以上に重くなると考えます。
戦後50数年間、日本の農民に「経営」をさせなかった。
ここに来て、「経営」をやれといっているのです。
方向転換をするのですから、これから農業経営をやろうという担い手には、方向性が定まるまでシッカリと指導体制を充実する事は 政治の役割であり責任だ・・・・。
そんなことを、普及センターの経営担当職員と議論したいちにちでした。