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農政説明会

午後から 仙台で東北農政局主催の 今年度から始まる 新しい農政の説明・意見交換会に出席。
農水本省から 経営局長がやってくるということで 出席する事にした。

新しい経営所得安定対策の推進方策については、 最高責任者の 農水省経営局長から 直接説明
があった。
さすがわ 今回の政策にかける意気込みがヒシヒシと伝わってきた。
意見交換の場で 岩手県花巻市からやってきたと言う 農業者から 東北農政局長に対し陳情が出された。
 生産調整作成者に3年前に認められたが 市の生産調整協議会に出席の要請をしたにもかかわらず
市当局から無視され 今年も出席を拒まれた。 国の言ってる事と 生産現場の関係機関の意識は
相当のずれがある。 調査の上 指導の程を宜しくお願いしたい。

発言者の思いがヒシヒシと伝わり、思わず エールの拍手を思いきっリしてしまった。
我が角田市では、 遅ればせながら今年度から協議会に出席させていただいたが、 東北各地の
末端 農政関係者の殆どが 生産者主体の生産調整へと政策転換する事 の意味を理解しようとしないと思われる。 集落農業についても 単なる一時的な 補助金の受け皿程度に考え、 もらえるうちは
もらった方がいい と言う程度の農政関係者が結構いるのが現状だ。
この点いついても、経営局長みずからの説明の中で、一時しのぎの集落農業については 厳しく対処
する旨の説明があった と理解した。
あくまでも、経営体の育成を目的とした政策の一つとして 集落農業経営体があるのだと言う認識
をあらためて強調したといえる。 

今回は 発言は控えたが 集落農業が またもや巨額な税金の無駄使いの温床になることだけは 絶対に許してはならない。とあらためて 思った次第だ。

今日の 説明会のもう一つの 大きな柱は現在進められている日本とオーストラリアのEPA(経済連携
協定)交渉に対する経過説明。

 今回の交渉は 日本の農業にとって たいへん重要な意味を持つとう事だ。

オーストラリアと言えば 昨年末に突然 約40年ぶりに知人が 我が家を訪れた。
しかも、現在 オーストラリアに住んで 現地の大学で日本語を教えていると言うのだ。
数日前に メールをいただいたので その一部を 紹介します。

>>>特に気候に関しては北半球ばかりではなく南半球、特にオーストラリアの温暖化は絶望的な現象で今更革新的な政策を打ち出てもどうしようもないでしょう。気温は上がり続け38度~41度などというのは珍しくありません。私がこちらに来た1979年には35度にもなるとぐったりしたものですが、鍛えられて33度まで何とか我慢できます。湿気が全くなく北の方から熱風が吹き荒れオーブンの中、さながらの熱気です。

もう異常とはいえない異常気象が次々と現れ、メルボルンでは何ヶ月も雨が降っておらず、山火事の災害は悲しいことに毎年の夏の風物のひとつ?になってしまったようです。逃げ場を失った野生の動物のニュースを聞くたび絶望的な気持ちに追い込まれます。

オーストラリアはアメリカにならって「京都プロトコール」(日本語でなんと言うか度忘れしました)に調印していないのにも国民が猛反対していますが、経済成長だけを狙った政策をたてている国に対し自然は全く無関心です。もともと自然は我々には別に関心を示したことはないのですが。

仕事で去年の12月からオーストラリア内陸部を旅行してきました。多くの内陸部の町をまわってきましたが、その中でも地平線の彼方まで米を作っているリートンという所を見てきました。リートンは米作りで有名な所です。

ここは日本人によって1800年代の後半に稲作が紹介され今日に至っておりますが、気候条件に反した農作物ということで現在大きな問題になっております。灌漑用水をオーストラリア最大のマレー川からひいているのです。しかし、乾燥しきった内陸部でも白人が入植する前の200年前までこの川はゆったりと水をたたえ流れていたのです。

現在は川底が見えるほどにまで干上がってしまいました。そこで米や綿花に関しては降雨量の多い北部で営まれるべきだとの意見が強く、近い将来はダーウィンの辺りで米作りが行われるようになるかもしれません。

今我々に何ができるでしょうか。どんなことをすればいい方向に向かうでしょうか。日本はやはり自然条件にかなった稲作に戻るのがいいのでは、などと去年四国を旅したとき思いました。・・・・・・・・


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