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一日 雨でした。

朝から 一日中雨。
日中の最高気温18.5度。
思いがけず大量の雨がふる。
しかも、肌寒いくらいの気温。

今日は 午前中仕事はせず この春からの思いを整理する。
農作業日記の コメントをコピーする。


「あぶくま農学校百姓先生」は 今後の角田農業の生き残りを賭けた
地域の農業戦略の核となる 地域ブランドだ。

 地域ブランドというと 地域の特産品を指すのが一般的だが、
「あぶくま農学校ブランド」は、 きれいな田園風景を有する角田の生活
空間全体を校舎と位置づけ、そこで 安全な食べ物を生産・供給するプロの
農業者(百姓先生)そのものをブランドとして認証するものだ。
 つまり、あぶくま農学校ブランドは、
物ではなく 人間(かくだの百姓)そのものをブランドにするということだ。
 今回はその 第一回目の交付だ。 
会議には、経営塾の塾長をお願いしている 宮城大の大泉先生にも出席いただき
講義をしていただいた。
その中で、今回交付された百姓先生の皆さんは、
これまでにない大きな責任を背負った、という意味の話をいただいた。

 言葉で言う事は簡単な事だが、戦後
農政における農業者の概念を 根底から変える活動を角田から実践するということを
 宣言したといえる。 その認識は、今回交付を受けた仲間にはまだ少ないかもしれない。
たいへん困難な課題を背負って船出だ。 
 
 大泉先生の講義は、8月28日付け 日本経済新聞に寄稿した先生の記事も資料として
用意された。 私たちが今後進むべき道を 端的に示している。

先生が指摘しているように、戦後の農政の 根幹を成してきたのは集団的対応だ。
この呪縛から、農業者自身が如何に脱却するか。
「あぶくま農学校ブランド」が成功するか否かは、ブランド使用承認された
百姓先生 一人一人が 「真」の経営者として自立できるかにかかっているといえる。

 同じ28日付け日本農業新聞に 国際交流基金理事長・小倉さんが農政への注文
ということで寄稿していた。
 日頃 同じような思いをしていたので興味を持って読んだ。
国民に 命の糧である「食糧」を安定的に供給する社会的使命を担うのが農業という産業であり
農業という産業を 産業として真正面から捉えことをことを 避けてきた農政。

小倉さんが 指摘しているように
 {農業政策と社会政策は切り離す事が大切だ。
所得格差是正問題は、 農業とは直接関係のない。所得格差がすぐ問題となるのも、農業
は犠牲を払っている、といった今や過去のものになりつつある心理と連動していないか。
都会に住むしがないニートやフリーター達から見れば、いまや農村はむしろ豊かな所に
変わっていないか。
何かといえば、国際的動向を「圧力」ととらえ、日本農業が犠牲にされると叫び、
除外や是正ばかり強調する・・・・・・・。
加えて、社会政策を農林水産省が行うべきかの問題もある。行政の対象が農業なのか
、農村地帯の住民なのか明確でないのは問題だ。
むしろ食料省と名前をかえて、国民の食料の確保と安全性の維持を中心課題とする方向
にかじを切れないだろうか。・・・・。}
 全くの同感だ。
そういえば、数年前に省庁再編が実施された際、 農水省がそのまま残ることになった
直後に、私の知人で将来 農水省を背負って立つであろう現本省中枢幹部職員が言った
言葉を思い出す。
「農水省が そのまま残った事で勝ち組だと思っている人がいるが、他の省庁が再編によって
未来を見据えて行動を起し活気づいている。農水省も、この際 思い切って
他の省庁と再編したほうが良かったかもしれない・・・・」

29日のあぶくま農学校経営実践塾での 大泉先生による塾長講話メモ。

 大泉先生のブログから

その後の塾長講話
そのレジメ

1,東北楽天方式
ファンを作って支援を受けている間に実力を付ける

2,実力を付けると言うことは
生産者 何となくのっかっと萌芽と区という姿勢も見える。
消費者 あぶくまブランドだと何が良いのかよく見えない。

どういう良さがあるのか?何がメリットか?
それが明確になる用にすることが実力。
あぶくまブランドを確実に信頼材に育てていく、ぴかぴかのものにするのは、16人の人々。
あぶくまブランドが欲しいといわれるようになる。その人々はどこにいるか?ターゲットセグメントする必要がある。


3,地域ブランドの課題
必要性
①地方分権化の流れの中で地域の自立が求められている。
②儲けは常に差から出る。地理的さから、生産性と賃金率の差へ、その後持ってる価値、ブランドの差へ。

ブランドの管理主体
官・公社で良いが、注意が必要。
統制型とネットワーク型
統制的になる。お上と使用者というピラミッド型になる。→長野ブランド、青森ブランド
ネットワーク型には参加者の競い合いがある。→湯布院ブランド、仙台牛タンブランド

4,コメの販売について
本日認証交付式をやるのは、コメ販売に間に合わせるため。
コメの販売に関しては皆プロだから、あえて言うことはない。
今日は、国際的なコメ事情を話す。
USAライス連合会の話し。野菜のような食感を作るなど、御飯と競合するものではない。全く別物として市場進出。
米で新規市場創造という意欲的なマーケテイングを仕掛け来た。

日本の米、関税774%堅持ばかりを言ってるが、本当に774%関税をかけなければならないのか?アメリカ産米の卸購入価格は、140円ぐらい。国産米の縫う冊価格は240円ぐらい。
2倍の価格差がない状況。100%関税でも充分にやっていける。
どこかの国のとてつもなく安い米と比較して774%とはじき出してるのだろうが、日本お米はビジネスとしては100%関税でも充分にやっていけるのに、やれないと政府や農業団体は言い続ける不幸。
774%関税を主張することによって、関税割当量が増えることの方がもっと日本お米ビジネスには不幸になることを交渉当事者は知ってるはずだが。何故それを主張できないのか?

それよりも、国内市場で、新規市場を新製品(カルローズ)で開拓しようとする「USAライス連合」を迎え撃たなければならないのが農業団体の本来の役割ではないのか?


5,販売組織ができれば生産が変わる
これまでの農業経営は、販売を前提としない経営だったある意味工場のようなもの。
販売に見合った農業経営を構築する必要がある。
人々が話し合って、集落座談会ではそれは作れない。
販売の成功によって現実に必要性を皆が目で見て納得すれば、作りやすくなる。
内圃と外圃の話をしたい。
集約+α
コア+α
ユンカー経営、テーア。ゴルツ、エレボー
規模、面積がないと農業経営はできない。
コアは販売でも良い。となると21世紀の農業経営は、業種で考えてきたドイツ経営学を業態得考えることによっても可能となる。

6,やるき創造性の創出
販売によってやる気もデルしリスクも伴う。
豊室の藤野実さんは、御料畑を亜塚っていた。「財貨を得るまでを農業という」
明治大正期の精農、老農の力は偉大。
老農、石川理紀之助は秋田種苗交換会をのこす。「俺は農民だ農民が農民を助けないで誰が助ける」
明治14年(1881)3月に全国農談会は労農の集まり。
「老」は、熟練熟達という意味。別にじいさんだったわけではない。福岡の林遠里(勧農社)は近世のイノベーター、関東の船津伝次平は人徳者。

あぶくま農学校の皆さん平成のイノベーターたれ

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