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山元町応援出動

隣町の山元町から 消防団の応援要請があり急遽 出動する。
朝6時半出発。
山元町役場で 地元消防団と合流。
  今日から二週間余り角田市消防団が交代出動することになる。
山元町は、福島県との県境。
国道6号線が海岸付近を通っているところだ。
津波は国道6号線を乗り越え あぶくま山地の麓まで達している。
 被災地は 言葉では言い尽くせない。
今回の津波の被害は、東日本雄太平洋沿岸数百キロに及ぶ気の遠くなるような、想像を絶する被災現場だ。
地震後一ヵ月が過ぎようとしているのに、まだ救援の手が届かないところがある。
山元町も そのひとつだろう。
 被災現場は、正しく戦場。 無差別爆撃を受け何もかもが跡形もなくなった光景が広がる。 民間の手では、手に負えるさまではない。
自衛隊が特殊な車両を持ち込んで 被災地の片付けと 遺体の捜索にあたっていた。

 消防団の役割は、 被災現場への一般車両の立ち入り規制。
被災現場に通じる主要道路の入り口で 自衛隊車両や災害復旧車両以外の車両の立ち入りを厳しく規制する役割だ。 役場で発行した立ち入り許可書を持っている人以外は立ち入り禁止。 地元の被災者でさえ 車での立ち入りは出来ない。
被災現場は、テレビや新聞報道写真での比ではない。
 お世話になった地元消防団の幹部も娘さんを亡くしたという。 震災以後この一ヵ月
娘さんの葬儀の三日間だけ休んだだけで連日 消防団活動をしているという。
消防団活動が、娘さんの弔いだ と言っていた。

 私が担当した地区は、磯浜漁港に通じるところだ。
磯浜海岸は、有名な大ぶりなホッキ貝が採れるところだ。
その磯浜海岸は 堤防が破壊され70戸の集落があったというが、土台だけが残っていて地上部は何も残っていない。 こんなことが現実にあるのかという風景が広がっていた。 磯浜海岸から亘理町にかけて東北でも有数の園芸地帯。イチゴの大産地だった。
土台だけが残っていて荒涼とした風景がひろがっている。
常磐線山元駅の駅舎は 鉄骨部分だけを残し無残な姿だけが残っていた。
線路は飴のように曲がり 津波の威力の凄まじさを物語っていた。
 磯浜海岸の隣は 福島県新地町。 福島県へ通じる、海岸線を走っていた県道が、
新地町に入ってすぐのところで 道路が寸断されいた。
防波堤も無残にない。遠くに新地の火力発電所が見えた。 太平洋の荒波が押し寄せていた。新地浜も壊滅的状況だった。
今回の震災は、津波の被災地は一カ月過ぎても手がつけられない悲惨な状況が広がり
そうでない地域は日常の生活が戻ってきている。
津波は、元気でいきるか そうでなければ死ぬか その二つの選択肢しかなかったようだ。 重軽傷者は殆どいないようだ。 恐ろしい津波の威力だ。
それも あっと言う間の時間で 世界が大きく変わったのだ。
人は 何を求めて生きてきたのだろうか。
これから、何を求めて生きていくのだろうか。 考えさせられた一日だった。

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2011年04月09日 23:55に投稿されたエントリーのページです。

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