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やっと電気が来た。

昨日 朝 電気がつながり 家族で 久しぶりにテレビをみた。
 電気が来るまで ラジオで情報を得ていたが 原発の政府発表ばかり。
たしかに原発は、 大問題だが いくら情報を出してもらっても我々 素人はどうにもならない。 単に不安だけが膨らむだけだ。 原発の対策は、国家の威信をかけた専門家に委ねるしかない。 個人で出来る事は 非難することだけ。
しかし、非難するといっても、国土の狭い日本 何処に逃げればいいのか。
私のところは 福島原発まで70キロ余り。 最悪の場合 避難地域になるだろう。
 しかし、いまは あえて逃げずここの田んぼにとどまる覚悟だ。
狭い日本 どこに逃げても 殆ど同じ。
それよりも、来年の食糧確保をするため 田んぼ 稲を守る。
 汚染された コメを誰も食べないと言われるかもしれない。
原発が最悪の事態になっても、 この角田のたんぼは 人の食糧に供することが可能な
範囲に収まることを信じ祈るだけだ。
食糧基地の東北。太平洋沿岸の広い田んぼ、畑が壊滅状態になった。
 東京の人達が 食べるコメは 日本の何処で生産するのか。できるのか。
今は、だた一刻も早く福島原発が収まる事を祈るだけだ。
命がけで 原発の現場で処理作業をしている人に感謝するだけだ。たいへんなことですが頑張ってほしい。 

 政府にお願いしたい。 宮城県はじめ太平洋沿岸各地を襲った大津波の被害は想像を絶する事態になっている。 被害の少なかった角田さえ、情報を発信できたのは 昨日
から。 津波の被害を受けた地域は いまだに情報を発信できずに 困っている小さな非難所がたくさんあるはずだ。
 原発問題と同じくらい 一刻もはやい対応を待っている人がたくさんいる。
とにかく ガソリンはじめ軽油など 燃料の確保を急いで欲しい。
農作業をする 軽油の確保も早くしてほしい。 
稲が作付できなければ 来年の食べ物がなくなる。 稲は 一年に一度しか作れない。
今も大切だが 来年も生きなければならない。 食糧確保も忘れないでほしい。
稲作は すでに始まっているのだから。

11日午後3時少し前 今年の稲作の準備作業 種籾の塩水選を東京から帰ってきた長男等 家族でしていた。 ラジオを聞いていた。 緊急地震情報が流れる。
一瞬 試験放送か と思う。 その直後 大きな揺れ。 強い揺れだと感じたが
時間とともに揺れが収まるどころか 益々強くなる。
 今年84歳になる親父さんも 一緒に作業をしていたが気丈に振舞っていたが
危ないので長男に 親父さんを支えろ!と声を発する。
ラジオでは 大津波の警報を叫んでいる。
 直ぐに消防ポンプ小屋へ直行。
小型ポンプ車に乗り 警鐘を鳴らしながら地域内を巡回する。
方々も屋根瓦が落ちている。 主要道路は 道路が一部陥没しているだけで 大きな揺れのわりには 被害が少ないようだ。
ただ、阿武隈川から田んぼに水を引いているパイプラインが大きく破損している個所を
発見。 一瞬 これはヤバイと思う。 今年は 田んぼは作れないかもしれないとの不安もよぎる。 巡回しているあいだ いつの間にか辺りは暗くなっていた。
 暗い中 土地改良区の理事長宅を訪問し いち早い対応をお願いする。
理事長宅の 入口も大きく陥没していた。

昨日のブログに 次のようなメールをいただきました。

石原知事の一連の話を聞いていました。「天罰」という意味はこういう犠牲者を伴うことになってしまった、どこか堕落した政治やその上に胡坐を書いている人に対しての厳しい自戒の念をこめた発言ととりました。因みに私は彼のことを支持しているわけではありません。言いたかったのは皆誰もが被災している方と一緒に涙を流し、一様に大変なショックを受けているということです。

私も、発言の前後の脈絡かすれば当然なことだと思っています。 日本のこれからは、 もう少し落ち着いた時に、国の在り方も含めて 考えたいものです。
 
ただ、首都移転に対し 真っ向から反対したのは 石原知事だったはず。
いつも 東京に行くと感じることは 全ては東京。 
私たちの住んでいる角田も日本。 原発の災害で避難している福島も日本。
 東京だけが日本じゃない。 原発の電気は 誰が使っているのか。
これまで、田舎を犠牲にしてまで 文明の利便性をムサボッテきた東京。
そんなにまでして、何してんの? いつも思ってきた百姓でした。

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2011年03月18日 06:23に投稿されたエントリーのページです。

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