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2004年01月31日

アクセス 40000!!

おかげさまで、40000アクセス。
2月22日で丸2年を迎えます。2年を待たずに達成できました。

多くの皆様の御協力をいただき、今日を迎えることが出来ました。
だだヒタスラ、 宮城角田の百姓の心意気を伝えたい。その一心でパソコンに毎日向かってきました。

田んぼへの情熱がある限り 田んぼへの思いを 発信し続けたいと
思っています。
バカな奴も いるもんだと笑いながら お付き合いお願いします。

ありがとうございます

今帰ってきました。
今夜は、角田市農業経営者会議・角田市農業公社共催の20004年冬季セミナーの第一回。
講師として、宮城県産業経済部 食産業振興専門監 三輪宏子さま。昨年7月から民間から採用された「食産業マーケティング」のプロ。

流通業界で今何が おきているのか、凄まじいまでの改革の現実
を 知らされ 唖然としました。
この、現実は無視する事は出来ないでしょう。
そして、いかに生き残るか・・。

民間から公務員ということで 本当にご苦労様です。
ナルホドナルホド 大変勉強になりました。

今日は午後から 久しぶりの県庁の会議。
局長さま はじめ・・・・課長さま。お仕事ご苦労様でした。
久しぶりにお顔を拝見いたしまして、日夜 宮城県民の幸せに対し
ご苦労なさっていること、あらためて伝わってきました。

このHPもチェックしているとのこと 恐縮いたしました。これから
も、田んぼのひとり言 勝手に言わせてもらいます。
それにしても、県庁の皆様 お仕事ご苦労様です。

ところで、パソコン開いたらカウント40037。
お陰様で、40000アクセス 2年を待たずに達成いたしました。
本当にありがとう ございました。

40000ゲットの方 お約束のおコメお届けします。
メールを下さい。 眠いので今日はこれまで・・。

2004年01月29日

農業もいいよ 

先日の 朝日新聞の声の欄。
またまた、反響がありました。今日の朝日新聞に投書がありました。
そうですよね。
「つらい農業を私は敬遠する」(25日付け)仙台の女子高生で終わってしまったら 日本農業 オワッちゃいますよね。

ワザワザ 朝日はタイトルまでつけました。

「農業もいいよ」

そして、岩手県の女子高生・千葉さんから
「重労働だけど私は志します」
さすがわ生活賭けて農家をしている家庭の子です。

「・・・・・楽な仕事ならやる ということですが、人が成長するための肥料は苦労や努力です。それを嫌がる社会のほうが、農業の将来よりも危ないかもしれません。」

全く 頭が下がります。

そして、長野県の村松さん。
「収入減っても子育てに最適」
公務員をやめてUターンして農業はじめて22年とか。

「・・・・楽ではありませんが、努力すれば結果が出る農業も捨てたものではないと思います」

そうです、農業で食っている人の言葉は違いますね。
私は、これからの農業は、農業を好きな人が 自分の生き方の証しとして取り組むべきだと思っていましたから、共感、共感です。

ところで、村松さんも30歳で公務員辞めて 百姓はじめたんですね。私も、脱サラ農業を志す人のお手伝いを させてもらったことあるんですが、そういえば皆さん、30歳でした。

30歳が 人生の大きな転換期なのでしょうか。

60歳から退職農業? それは個人的な趣味。体を壊さない程度に勝手にやればいいのです。それこそ、そこまで国家が心配する事ないと思うのですが。

25日の「つらい農業・・・」の女子高生は ご両親が地方公務員で お父さんが農家の長男で60歳定年後に農業をするという。
田植えと稲刈りに、連休を利用して一家総出で実家に手伝いにいっているという。
「つらい農業・・・」当然かな・・・。と 一人で納得した次第でした。

世の中、完全に変わってきましたよね。
東京には農業をやりたい人が、イッパイいるといいます。
21世紀は やっぱり農業の時代でしょう。
我が家には、子供は4人。 
「農業をやりたい者にしか やらせない!」といってます。
後継者は、農家にいなくても 世の中 イッパイいますよね。

2004年01月27日

これから研修

今日は、これから 一泊どまりの研修会。
県指導農業士会の研修。
県内の百姓仲間と情報交換してきますか。

2004年01月26日

農産物の輸出!! 

今日は、午後から宮城県自治会館で行なわれた、「農水産物や食品の輸出を考えるセミナー」に参加、その後 折角の機会だったので 県庁OBを訪ね農政について雑談してきました。

八方ふさがりの状況の中で、攻めの農政を展開しないと 気持ちまでも荒んでしまうと思い、出かけた次第です。
さすがに、農業者は私ぐらいで県庁職員はじめ農業関係機関の職員が殆どでしたが 何かを求めて参加したのであろうという 雰囲気だけは感じ取れました。

農産物の輸出は、そう簡単ではありませんが 動き出す価値はあると感じました。

農政雑談では、OBさんも心配するほど農政担当職員の農政改革への気概が特に 感じられなくなってきた。
今年から コメの大改革が始まろうとしているのに、宮城県としての改革の意気込みが 生産現場に殆ど伝わってきませんでしたね。

角田市のビジョン委員会に もっとも生産現場に近いはずの普及センター職員が来てましたが、こちらから問い掛けても、殆ど ご意見はなし。
責任ある 職員の派遣は出来なかったんですかね。
それとも、県としての ビジョンはなかったんでしょうか?

既存の農政関係機関を解体し、新しい農政推進システムを創り出し あらたな発想で宮城の農政を展開しないと駄目だと感じているが どうかと言うので、 全く同感で~~~す。と言ってきました。
宮城県の農政担当職員は、どこかで、萎縮しながら仕事しているように見えるんですよね。夢がないンですかね。それとも、産業経済部にしたものの、組織システムそのものが、欠陥システムであり機能不全になっているんですかね。
そうだとすると、これは大問題。 管理者の責任ですよね。

中途半端はいけません。思い切って 企業的感覚を積極的に農政推進システムに組み入れる時代になったと 強く感じているのは 私だけではないようです。
時代感覚にそぐわない 給料取りはゆっくり 休んでもらうほかないでしょう。

そんな事を 思った一日でした。

つらい農業? 

1月14日付け朝日新聞 声の欄の投書「農家の先行き、元気が出ない」に始まり、それを受けて22日付けの同じ欄に「農業の活性化 今こそ若者が」という千葉県の40歳の女性の投書がありました。
それを受けて、またまた、きょう25日付けで「つらい農業を私は敬遠する」という仙台市の18歳の女子高校生の投書がたまたま 目にとまりました。
農業という職業に携わっているせいで、新聞を読んでいると「農業」「食料」と言う文字が自然に飛び込んできます。

千葉県の40歳の女性は、地方公共団体等が協力して、農業における新システムを確立して、安定した雇用条件と収入を約束できる「事業としての農業」を創りだし、働く情熱のある若い人の活躍の場として生かしてはどうかというご意見でした。そして、最後に現場を知らぬ者の甘い考えと笑われるかも知れませんが・・・・。

農業を活性化するには新しいシステムの確立(従来の自作農主義等再考)を真剣に考える時期に来たとのでは思っていましたので、ナルホドナルホドと思っていたら

今日の女子高校生さん投書。
「まさにご本人のおしゃる通り 「現場を知らない」考えだ。
そして、自分は長女だが農業をやる気も「農家の嫁」になる気はないという。 農家の嫌なところは、ただ単位に農業という仕事が重労働だから・・・。」
というものです。

女子高校生にここまで言わせるのは、ナンナンダと思いつつ

どんな農家の子かと思いきや、 

父方の実家が農家で,長男であり田植えや稲刈り時期には休日 家族総出で手伝いに行くことがあるというのです。父は定年後は実家に戻り農業をやると言う。
しかも、ご両親さんは、共に地方公務員 サラリーマン家庭。
日本農業の理想的超安定兼業農家の担い手。
これを読んで、なぜか納得 納得、そして妙に安心したのでした。

2004年01月24日

凧揚げ大会

今日は、小学校の凧揚げ大会。
小さいときは、盛んに凧揚げで遊んだ記憶がありますが、最近の子供達は 殆ど見かけなくないなした。

年に一回、子供達が小学校に通っている間だけでも 凧揚げを楽しめそうです。
しかし、小学校4年の娘はオヤジと一緒は 駄目と言うのです。
お母さんがいいということで、凧だけ作ってあげて やむなく
一番下の息子と 田んぼで凧揚げを楽しみました。

白く雪の積もった 田んぼに 久しぶりに凧あげをたのしみました。

小さいときに、盛んに凧揚げで遊んだ記憶がよみがえります。
夢が広がりますよね。

2004年01月23日

大雪でした。

朝起きると 大雪です。
今回の雪は、先日の雪とは違い さらさらした雪です。
通学路の除雪作業のボランティアをするのですが、あいにくトラクターが故障。
早速 整備に取り掛かり、午後からの除雪作業となりました。

本格的なゆきです。
予報では、今回の寒気が過ぎると、一時 暖かくなり春めいた陽気になるとか、 どうなることやら。

2004年01月22日

自由な時間

考えてみたら、今が一年で 一番自由な時間が持てる時期です。
仕事があるといえば、きりがないのですが 情報交換の時間をとろうとすれば、直ぐに取れるのは 今 この時期です。

常にあっている人でも、話し込む時間は なかなか取れません。
これから、一月余りが 情報収集の時期となるでしょう。
今日も結局、 数箇所のご訪問と相成りました。

2004年01月21日

新しい職場を探しては?

今日は、米の発送と簿記の整理等で一日過ぎてしまいました。
簿記の記帳は、現在ではパソコンで処理しますので、昔に比べて格段に楽になりました。

しかも、角田市では農業振興公社を中心に 普及センターをはじめ関係機関の協力を得て記帳指導体制が整備されていますので 農家の立場から言えば 大変ありがたいことです。
今日も、帳簿の整理をしていて どうに理解できない点があり普及センターに電話をしたところ 担当職員が即 対応してくれましたので大変助かりました、ありがとうございました。 

少々パソコン簿記の理屈さえわかれば、わざわざ普及センターに行かなくても電話で解決できますので 大変便利な時代になったといえます。

数日前の最終角田市コメビジョン会議が終わって以来、「なんでだろ~~~」という疑問が頭にこびりついて 離れない事があります。

日本の農政には、「経営」と言う言葉が存在しなかったのではないか。と言う疑問です。
特に コメ政策においては はなはだしく「経営」という言葉から
かけ離れた世界で しかも 意識して「経営」をさせなかったという歴史的経過の影響は コメ作りにおけるあらゆる日常生活にも及んでいるといえます。

それは、農業関係者以外の人には、想像できない位に巧妙にシステム化されてきたといえます。

それを、これからは「経営」するコメ農業を展開させらるのですから、大変な時代を迎えるといえます。

せめて農業関係機関の職員に、多少なりとも危機感があればいいのですが、頭は殆ど異常なしと言ったところでしょうか。
今、宮城県では職員給与3.2パーセント削減で職員労組や県議会までもが 大騒ぎしていますが 幸せですよね。
「経営」しなくとも お給料もらえる職種が、あるんですから。

農業指導機関なるものが盛んに 「経営」を口にするような
時代になりましたが、その観点からいえば宮城の稲作は昨年、大冷害。 稲作農民の多くは、大幅な経営収支のダウンでした。

お給料貰いながら、稲作及び農業指導に携わった農業関係機関の職員の給与は 少しは下がったよですが それは世の流れ。人事院勧告に沿っただけ。
稲作経営の指導結果とは、関係なくお給料は、お手当ても含めて出たようですね。
よかったよかった。
百姓にとっては、同じ農業指導・関係機関で仕事内容も殆ど同じ、我がJAみやぎ仙南の職員の年末ボーナスは、零点2パーセント。
マトモに冷害の影響を受けました。 スズメの涙どころか・・・。
百姓からみれば、同じ仕事をしていて何で これほどまでに違うんでしょうかね・・・・。
やっぱり「経営」とは、無関係な仕事はいいんでしょうね。

そう~~か。やっぱり「経営」なんて本気で思っていないのは、納得納得です。

食管法時代の コメ作りに戻して欲し~~いで~~~す。


しばらく前になりますが、将来は幹部職員候補?と思しき中堅の職員が立派な事をいってましたよ。

われわれの、給与を5パーセントカットして 県の産業振興策に当てるなんて、とんでもない!!
宮城県は、会社で言えば倒産寸前。
そんな会社に、いまさら 資金を投入してもドブに金を捨てるようなもの。何考えているんだ!! はんた~~~い。

それを聞いて 私は一言。
「あんたは、一流と言われる大学で学んで、そのくらい分かっているんだったら、世間の常識からすれば 倒産する会社とわかった時点で新しい職場を探すもの、さっさと新しい職場に移ったらいいのに・・・・。」

それでも、今でも倒産する会社に 通っているのでした。

ご苦労様です。 まさか 今でもはんた~~~いなんていってませんよね。 
宮城県庁の職員の皆様、つぶれるような株式会社「宮城県」に早く見切りをつけて新しい会社を見つけたほうがいいですよ。

ところがところが、県庁をヤ~~~メタという職員の、話は聞いたことありませんね。(退職金を計算して早く辞めるという人はいるようですが)
それどころか、一人の職員を採用するのに、200人位の応募があったという 話は盛んに聞きますが・・・。
世の中、どうなっているんでしょうか。

・・・・と言うくらい、「経営」とはかけ離れた世界で、つい最近まで日本のコメ作りは行政丸抱えで 行なわれてきました。
コメビジョン改革と口ではいうものの、結局のところは、基本的考えは 旧食管制度の延長。
このまま行けば、新しい時代に奔流されるのは、農家・農民と言う事になります。
そして、誰も農を継がないという事態が 直ぐそこにやってくるのでしょう。

今の時期は 比較的時間がありますので余計な一文にもならない事を考えちゃいます。
世の中がどのように進もうとも、私には、おコメを食べていただいている 皆様に おコメを届けるという仕事と責任があります。
前だけを見て 進む事にしましょうか。

「経営」なんてしたくないけど 生きるために明日も時間を見つけて、「経営」の基礎となる帳簿の整理でもやりますか。

2004年01月20日

悟りの境地に10年デスカ。

先日JICAの「国際協力のつどい」の時 久しぶりにあった JICA職員OBの方に言われましたよ。
その方は、40年以上にわたり 主に中南米諸国をまたにかけ 開発援助の仕事に携わった人です。

日本では、企業的農業は成り立たないのではないか。
その大きな要因は、安い労働力を容易に確保できないから、というのです。
自給生活を楽しむという事を基本に据えないと日本では 農業で暮らしていけないのではないか。 ドイツ人の農業のやり方・暮らしぶりから多くの生活の知恵を学んだというのです。

また、今日は 久しぶりに私の信頼している先輩と数時間にわたり情報交換を兼ねて意見交換をしました。
農業は家族経営を前提とした経営を基本に据えることが、生き残りのための大切な戦略ではないか。ということで双方で納得。

企業が直接農業に手を出すのは、いかがなものか。さればとて現在のJAにこれからの農業振興を任せるのも いかがなものか。
組織維持を前提とした事業展開しかできないJAの時代は終わったのではないか。
農業、農業者もこれから 大きく二極化せざるをえない。
それに対応すべく生産現場組織も おのおのに対応する組織として
改編および 新しい組織の立ち上げが必要になるのでは・・・。

いずれにしても これからの10年間は苦難の時代が続くのではという話になりました。
それを、どう乗り切るか!!
そのためには、いかにすべての面で二極化するであろう局面において 「腹をくくることができるか」 にかかっているのでは・・・。
ということでも 二人で納得、納得の世間話となりました。

2004年01月19日

眠くなりました。

今夜は、角田市米改革ビジョンの最後の会議でした。
終わって、出席者から出た感想。
これでは、なんにも変わんない!

ますます、稲作を担う 担い手は育つどころか いなくなる。
でした。
疲れたので、今日は寝ますは。

墨絵の世界

今朝は、快晴。
霜で一面 真っ白になりました。
朝靄が遠くの集落に たなびく風景は 墨絵の世界のようです。

明日から天気が下りざかとの予報。
田んぼの耕うん作業の残りを片付けました。

これからは、簿記の整理と 機械の修理など 今まで出来なかった
仕事をじっくりしようと考えています。

2004年01月17日

国際協力の時代 

今日は、仙台アエルでJICA東北支部等の主催で行なわれた「国際協力の集い」に参加してきました。

代表的な県内NGO団体として「角田市アジアの農民と手をつなぐ会」のコーナーを設けていただきましたので、これまでの活動の様子をパネルなどを利用して活動の一端を紹介させていただきました。
活動を始めて、十数年余り。
この10年の活動を通して、いろんな分野で国際交流している人たちと顔なじみになりました。

よくぞ、続いてきたとあらためて 思います。
その秘訣は、やれる事だけやる。 自分達で楽しい事だけをやる。
やれない事は、やらない。 義務感でやるような事は所詮 長続きはしません。
それにもまして、大きな事は私の住んでいる角田市には、世界に目を向ける百姓仲間がたくさんいる。そして、交流そのものを楽しんジャウ 仲間がたくさんいるということでしょう。

国際交流・支援活動は、広いようでまだまだ狭い世界です。

しかし、時代と共に世界に目を向け 活動の領域を世界各国に広げようと飛び出していく若い人たちが多くなってきました。
今日も、多くの学生さん達も参加してくれました。

また、今日 角田の担い手の人たちが フランス農業視察に出発しました。
帰国後の報告会が楽しみです。
どんどん、世界各国を自分の目で見、肌で感じてくればいいのです。

国際交流には、理屈はいりません。 長いお付き合いが出来る関係をどのように 作るかです。
飾らず、本音で付き合う事が益々 大切な時代になってきたと言えます。

2004年01月15日

経営する農業。

今日は、普及センターと認定農家ネットワーク共催の 経営セミナーが行なわれました。
100名程の参加者があり、時代の流れを感じさせられました。

これまで、日本の農政では 昭和36年の農業基本法施行以来 農業の近代化の掛け声と共に産業としての農業を目指したものの、実際の生産現場おこなわれたものは、経営指導とは名ばかりで 技術一辺倒の指導だけがつい最近まで行なわれてきたと言えます。

H7年の新食糧法施行いらい、はじめて本気で経営指導体制がスタートしたといえます。
農政史上、農業経営指導の歴史はまだまだ浅いといえます。
経営に関する認識は、ビックリするほど低く、指導体制を含めてヨチヨチあるきだといえます。
これまでも、農業経営担当の指導部署はあったものの、今まで何やってたのと思えるくらい 農業経営に対するケイエイ意識は低いといえます。
給料もらって指導していた農業関係機関でさえ、このありようですから、そのご指導なるモノを受けていた農家・農民の意識は当然・・・・ということです。

考え様では、これまでの日本の農民は幸せだったと言えます。
経営を意識しなくても 百姓の生活をまっとう出来たんですから。
本当は、経営なんかしたくない・・・・のだ!!
生業としての農業が追求できればいいんです。

しかし、時代が許してくれそうもありません。
現実を無視して業を続けていけないのであれば、それを後追いするのではなく 迎え撃ったほうがいいのだと思っています。
経営をするからには、利益を上げることも考えられますが、それと同じくらい 今までなかった倒産の事態もありうるということです。

また、これまでの農業関係の指導体制も それぞれの農業経営の目標 実現のための手段としての 技術開発そして技術指導が求められます。
そんなことを、あらためて考えさせられたセミナーでした。

2004年01月13日

もう ふきのとう!!

今度の国のコメ改革が実現できるかは、 これまでの農政推進システムを大胆に変えるぐらいの決断が出来るかどうかの問題にかかっていると思えます。
つまり、国の政策が JA等の組織を通さずにストレートに 生産者現場に反映させるシステムの構築なくして、コメ改革は実現できないかもしれませんね。

私達が思っている以上のスピードで、コメ改革・農業構造改革が進むような気がしてなりません。
これまで、農政推進システムのカナメであったJA等の意識改革を待っていたのでは、JAが盛んに口にする 小規模イコール零細農家?すら守れないという最悪の事態が考えられます。

日本の農政は、農水省とJAが表裏一体となって推進してきた事を考えると、最も意識改革が必要なのは農水省ともいえますが・・。

いずれにしても、本気で国民の食料問題を考えるのであれば、これまでのJAを中心とする従来の組織を利用する農政推進システムを本気で方向転換することも 視野に入れて今後の農政を考える事も必要でしょう。

意識が環境を変えるんですかね? 環境(政策)が意識を変えるでは・・・。

どちらにしても、国民の食料の根幹をあづかる 国の(本気さ)が 農政担当者・農業関係機関の意識を変えるんではないですかね。


このことは、県独自の農政を推進する計画があれば、同じような事がいえると思うんですがね・・・。

2004年01月12日

雪が降るんですか?

昨日の風も おさまり一日中 蔵王の山々がきれいに見えました。
こんなに、天気がいいのに明日の予報は あさから雪混じりの雨とか。 しかも、夜にかけて 大荒れの天気になるとか。

今日は、朝から田んぼの耕うん作業です。折角 乾いてきた田んぼです。今のうちに作業を進めなければなりません。

午後、トラクターを運転しながら、ラジオをかけたら 丁度NHK
青春メッセージ。 今時の若い人はどんな事 考えているのかなと
興味津々聴きならら仕事してました。

テレビを見ながらメセージを聞くよりは、ラジオで青春メッセージを聞くほうが 心に深く響いてきます。 不思議です。
この子が一番かなと思った 高校生の女の子がメッセージ大賞になり、自分でも納得しながらのトラクター作業でした。

2004年01月11日

農の初め

今日は、「農の初め」。
今年使う 種モミにお飾りしていたオガンマツを下し、昔 苗代に使っていた田んぼに持っていき 鍬で少し耕すまねをして、ワラを1把横にし、その上からオガンマツをさします。

今年は、雪はないものの、風が強く寒い朝でしたが日の出前に
田んぼに行き 儀式を行ないました。

農の初めの行事は、この辺でも いまでもやっている家は少なくなりました。
我が家は、田んぼ専業農家。農のはじめの行事は、百姓を続ける限り 欠かせません。
オガンマツを田んぼにさしてから、朝日に向かって手を合わせました。

今日から、本格的な 農作業の開始です。
農機具店の初売りに顔を出し、新しいアゼ塗り機の購入を決め
早速 トラクターで田んぼの耕起作業を始めました。
異常気象対策は、土作り等春先から始まるのです。

例年、今の時期は田んぼの土が凍りつき、耕うん作業は出来ないのですが、今年は全く凍っていません。
こんな事は、私が百姓はじめてから記憶にないことです。
田んぼも ようやく乾いてきましたので 一気に耕うん作業を
決めようと思っています。

2004年01月10日

火の用心 

早朝、消防ポンプ車のサイレンの音。
起きて直後の事でした。
隣の集落の民家で火災が発生。

消防団として直行。
あいにく水利の便が悪く、小型ポンプ2台をつないでの 消火作業でした。 坂道を数回走っての消火作業。
類焼はなかったものの、全焼でした。

足の筋肉が、イタ~~~イ。
あらためて、年齢を感じた 朝でした。

2004年01月09日

バカな人生

今日、ついにADSLがツナガリマシタ。
世の中、光・・・というのに笑われるかもしれませんが、日本にはまだまだ 情報に関して不公平がたくさん存在しています。

情報手段は、田舎ほど充実させるべきでしょう。

ところで、今日は娘(小4年)に怒られました。
正月早々、電話で 怒るな!というのです。
そういえば、一昨日 ある所に電話をしていた時の話を聞いて
いたのでしょう。

そうですよね、文句言っても 結末は互いに気まずくなるだけですよね。

それでもそれでも、 口に出さないと 自分の人生が 自分自身で気まずくなる そんな人生もありなのだ!・・。
と娘に言いましたが どの程度 理解したのか、分かりませんが。・・・。

結構 俺は、幸せな人生を歩んでいるのだ。
言い方をかえれば、バカ の一言ですむだけですが。
なんて勝手に思って今日も一日が 過ぎようとしています。

2004年01月08日

ことしも?

今日は、市内で種苗店を営んでいる友人と、今年の天気について雑談してきました。
 彼は、なかなかの気象博士です。当てにならない近代気象予報士よりも 古来の天文学に基づいた気象予報は、なかなか説得力があり、なかなかの的中率です。
野菜や果樹などの園芸作物で生計立てているプロ百姓の中にも、多くのファンがいます。 天気を読む事は、天気相手の百姓にとって これからは、必須情報といえます。

詳しくは、省きますが 今年も備えあれば憂いナシ。・・・の
ようです。 但し低温の時期が、今年よりも少し後にずれる可能性ありとのこと・・。 一ヶ月程 ずれるかも・・・。

昨年の冷害で、宮城県は遅植えを奨励するとの事です。
それも、ひとつの方法でしょう。が全てではありません。

早植えにするか、遅植えにするかは おのおの百姓が 経営的
判断で決めるべきです。
行政当局がやるべき事は、自らの経営的判断のもとに栽培方法を決め その農産物に対して自らが責任をとることの出来る、 百姓の育成とそれ等を可能とする農政の整備と環境を創ることです。

田んぼの植える時期まで、ご指定してまで おコメを作ってもらわないと コメ作り出来ないような生産県では 今年からのコメ改革の荒波は 乗り越えられるのでしょうか・・・ね?
農政担当機関は、販売に関する情報収集に努め、 的確な情報に基づいたコメ戦略を現場に一刻も早く流すべきです。
それを百姓は、待っているのです。

遅植えシロ? そんな事 余計なお世話です。

今年のコメ情勢からすれば、一日も早く植えて 一日も早く消費者の皆さんに 美味しい新米を届けることが百姓の努めでしょう。

 販売戦略とは、皆さん口では言ってますが分かってんですかね。 
 販売戦略から言えば、今年は、一刻も早く 田植えする事がマトモでしょうが・・・。 
美味いコメがないんですよ。 東京の人たちは5年も6年も
前の「古」が たくさんついたコメを食べさせられているのですよ。
お客さんは、東北の美味いコメを待っているはずです。

それに答えられない 販売戦略・・・?

 早植えにに伴う 栽培管理リスクは、百姓が取るべきでしょう。 今年のように 一番低温に弱い時期にものすごい低温に
マトモに遭遇した4月下旬に植えた当地区の稲でも、水管理が徹底して実施された田んぼの稲は、うまいコメが出来たんです。

困難な目的を達成するために、技術革新はあったはずです。
冷害対策がタダたんに 遅植えシロ! (生産現場に伝わってきているのは この情報だけです)だけでは、試験研究機関の職員は 税金で何の仕事をしてるんですかね。
 自分達の趣味の為に、試験場で働いているんですかね?

早く植えるか、遅く植えるかは、百姓自身が経営判断として決めればいいのです。

それらの経営を、技術的にサポートするために 試験場などの公的機関が存在しているはずでは・・・。
生産現場とはなれた、県庁等農業関係機関の仕事ぶりが気になる今日この頃です。

2004年01月07日

冬は冬らしく! 

早いですね。
今日は、七草。
いつものように、七草粥を食べました。

例年、七草粥を食べる頃は寒さも厳しく 七草粥イコール サム~~イというイメージが頭をよぎります。

それがそれが、今年は雪もなく 田んぼの土も まったく凍みることなく 心配になるほどの陽気です。

正月に新潟に行ってきたという 知人の話では、途中の山々も
例年の半分以下の 雪の量だったとか。 
そういえば、遊びに行ってきたところも雪が少なかったです。
全国的に 暖かな天候のようです。

夕方、会ったしいたけを栽培している友人の話では 正月休どころか しいたけがこの暖冬で大きくなりすぎて 2日から 仕事をしていたとか。

暖冬の影響は、いろんなところに出ています。

2004年01月06日

遊んできました。

皆様 おばんでございます。
3日間ほど 家を空けてしまいました。
家族サービスを兼ねて チョット遊びに行ってきました。
インターネットカフェなんて縁のないところに 行ってましたので カキコも昨日は、オヤスミでした。

今が、百姓にとって一年中で一番 のんびりできるときです。
コメの発送は、 随時 注文があり次第 仕事をしますが、外の仕事は11日の「農のはじめ」までお休みです。

明日は、七草 早いものですね。
一月は、一年で一番自由に すごす事のできる時期です。
昨年の帳簿の整理や ゆっくり話す事が出来なかった人達と世界情勢などおしゃべりに行こうかと思っています。

アジア方面に遊びに行くのも何時もこの時期ですが、 ここ数年はオアズケカモしれません。

2004年01月04日

明日から 仕事ですね。

明日から 仕事ですね。 投稿者:百姓 投稿日:2004/01/04(Sun) 06:38 No.1270
暖かな 朝です。
2~3日遊びに行ってきます。

明日は、御用はじめ。
今年いちねん、お仕事ご苦労様です。

どんな仕事でも、一生懸命やって何とか 食える状態とか。
それぞれ、与えられた仕事で精一杯 働きましょう!!

2004年01月03日

暖かですね。 

明日から 家庭サービスで遊びに行ってきます。
年に一回位は、お勤めでしょう。

出初め式

正月2日。
恒例の角田市消防団第6分団3部の出初め式。
正月の挨拶と 新築の家庭への火伏を兼ねての放水。
今年は、暖かでしたので 集落内をじっくり放水して回りました。
若い消防団員に対し、ポンプ操作の訓練指導もやりました。
消防団暦26年、実際の消火に何度 駆けつけた事か。
本番では、日頃の訓練がモノをいいます。
備えあれば憂いナシ。

それにしても、暖かすぎる正月です。外は 雨が降っています。 

いま、年賀状の作成中です。
正月にならないと 年賀状もゆっくり書けません。

2004年01月01日

穏やかな 元日でした。

朝7時過ぎ。
東の阿武隈山系から初日の出が昇ってきました。
雲ひとつない空。
蔵王の山々もきれいに見えました。

 暖かで穏やかな元日の朝。
おもわず お日様に向かって手を合わせてしまいました。

新しいデジカメで 気持ちも新たに今年初めての撮影です。
初日の出を写真に収め 子供達と一緒に日本三大稲荷のひとつ 竹駒神社に初詣に行ってきました。
「今年の豊作と家族の健康を祈願」

皆さん 今年もよろしく御願いします。

新年おめでとうございます

新年 おめでとうございます。

今年も たんぼつうしん よろしくおねがいします。