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2007年12月31日

おおみそか

今年も 残すところホンノ 僅か。
テレビから、除夜の鐘が響いてきます。
 外は、雪がぱらついているものの、 凍っていません。
気温は、0度。
比較的あたたかな 大晦日。
 この一年 田んぼに生きる 普通の百姓の心意気を伝えたい。
そんな想いで パソコンに向かってきました。

 目標は、ただひとつ「継続」 一日も休まず、365日 パソコンに向かい、想いをつづる事。
今年も なんとか目標をクリア。

もう直ぐ、新しい年。
2008年。
いま 新しい年が始まりました。
 あけまして おめでとうございます。
今年も よろしくです。

2007年12月30日

残すところ一日

今年も 残すところあと一日。
西日本の日本海側の各地は 雪模様。
しかし、東北 みやぎ角田は 暖かく時折 雨がパラツク程度。

 福岡から お米の注文の電話があり 東北は 雪でたいへんでしょう、という。
こっちは 年の瀬だというのに 暖かすぎ。まるで春のようだと話す。

 昼のニュースを見て 電話の内容を 理解する。 各地のニュースの話題は、雪、それも、西日本各地も雪、が降っている。
それにしても、何故か 東北みやぎ角田は 年の瀬としては暖かな一日でした。

2007年12月29日

最高気温14度。

最高気温 14度。
なんと今日のきおんです。
12月29日。 もう直ぐお正月です。
いまの気温も 8度。

 今年の冬は、寒くなると思っていましたが、今のところ 予想ハズレ。
昨夜 から降ったのは、雪ではなく 暖かな雨。
早春を思わせる 陽気です。
 明日からは、寒波がやって来るとか。
異常すぎます。

 冬は冬らしく雪も 適度に降って欲しいですし、適当に寒くもなって欲しい。
この適当というのが、本当に難しいです。
人間の思い通りにならないのが、おてんとうさま。
そんなこと 分かりきっていても、おてんとうさまに お願いする。
これ、百姓の気持ち・・・。

2007年12月28日

餅つき

今日 12月28日は 恒例の正月用の餅つきの日。
年に一回、 臼で餅をつきます。
 仙台から 二組のお客さん。 親戚、友人、三男の友達、、大勢が集まっての
賑やかな餅つきとなりました。

 今年は、3升づつ 11回の餅つきをしました。
朝10時から 午後3時まで。
終わった時は 体が キツ~~イ。
 参加した皆さん、それぞれ 正月用のお餅を お土産にそれぞれ家路に。

2007年12月27日

暖かな日和

今日も 早朝から快晴。
朝7時東のあぶくま山地から朝日が顔を出します。
 一瞬 蔵王の山々が うっすら赤味を帯びます。

 今日も日中 暖かな一日でした。
明日は、正月用の餅つきです。
仙台からも お客様が遊びに来ます。
 準備は完了。
子供達も たくさん集まります。 賑やかな餅つきになりそうです。
眠いので 今日は早めに寝ます。 

2007年12月26日

蔵王がきれいに見えました。

今朝起きると 霜で真っ白。
 12月下旬ですから 珍しくないのですが、霜に驚くのは、それほど
ここ数日 暖かい日が続いていた証拠でしょう。

 コンバインの掃除を完了。
朝は冷えたものの、日中は、 水仕事をしても 寒くはありません。
予定していた 仕事はこれで おおかた片付けました。
たまっていた 書類整理でも 始めようかとおもっています。

2007年12月25日

決算時期

作業場の片付けを兼ね 選別の終わった種子用大豆をJAライスセンターに運ぶ。
その帰り 友人の種苗店に回り 世間話。
 なかなか 農家の景気は悪い。
代金の回収が例年よりたいへんだという。

 年末になり 決算の時期。
一年の 結果が通帳に現れる。

 無事に正月を迎え、新たな一年をあゆみたい。
今年も 僅か。 まだ やることは残っている。

2007年12月24日

クリスマスイブ

クリスマスイブ というのに 暖かな朝。
早春を思わせる暖かな朝。
 今夜は 快晴。 きれいな、お月さまが顔を出しています。

クリスマスが過ぎると 今年も僅か。
 この冬は 寒くなると思っていたが 今のところ暖かな冬といった感じ。
 
寒いよりも 暖かな冬のほうが暮らしやすいが、 雪も欲しい。

2007年12月23日

小雨降る

一日 小雨ふる日となる。
 気温が高かったために 雨。
本来ならば 今は、雪の時期。
雪ならば ホワイトクリスマスだった。

 今年も クリスマスがやってくる。
この歳になると クリスマスといってもさほど 感慨はない。
 クリスマスが過ぎると 一気に年の瀬。
お正月は 、少しは雪があると 落ち着くのだが。
これも、贅沢のひとつか。
 

2007年12月22日

冬至

今日は、冬至。
比較的暖かな 冬至の一日。
恒例の 冬至かぼちゃを食べる。
田んぼの耕うん作業を完了。
 予定していた外の農作業を 無事完了。 天気が良かった為、例年よりも
早く完了できる。

 後は、コンバインの掃除を済ませ、種子用大豆の手選別作業を進めること。
夜 消防団の寄り合い。 新年の出初について相談。
いよいよ、新年に向けての話が出てくる時期になった。
ユズ湯に入って 寝ることにする。

2007年12月21日

コメ生産調整会議

平成20年度産生産調整に関する会議 がJAを会場に開かれる。
出席者は、国の出先・県の出先・仙南各市町の農政課長・生産調整方針作成者・JA関係者。
 昨日 県で来年度の生産調整配分があったの受けての 会議。
話題の中心は、隣の福島県が生産調整の達成率が 極端に少なかったのに、そのペナルティーがすくなく、真面目に?やった我が宮城県が 来年度の生産調整が福島よりも強化された。
何たる事か。 と 進行役のJA組合長が盛んに音頭をとる。
 しかも、ある街の農政課長が 減反のペナルティーを強化してもらわないと、 真面目?にやった
農家が馬鹿を見ると意気込む。

 この議論に サスガに頭にくる。 
なに考えているんだ。 10年以上も前の食管法時代の 意識で 未だに議論している。
冗談じゃない! 新食糧法施行以来 10年以上も過ぎている。
 今回の国の 各県に対する生産調整配分の意図は どこにあるのか資料を見れば分かるはず。
 売れない米・つまり在庫がある県は、 生産生産調整を強化してもらいます。とは、ここ数年 盛んに
国は説明していたはずだ。 それを、約束どおり国が実行しただけでないか。
それを、販売努力もろくにしないで、またもや その責任を国に押し付けるのは、無責任そのもの。
ここにいる、JA役職員および 県庁はじめ関係関係機関の職員の皆さんは、 時代の流れを 真正面から受け止めようとせず、全て 国に文句をいって それで済ますという事では無責任だ。
今回の措置で、一番の被害者は 農家だろう。 あなた達は、給料は少しも下がらない、困ったとは口先だろう。
 指導機関としての自覚を持って、時代の流れを的確につかんで 仕事をしてもらいたい。
そんな思いを込めて、 余計な事を言いたくなかったが意見を言わせて貰う。

 それにしても、みやぎのJAはじめ 県はじめ関係機関は、時代の流れを直視しようとせづ、
農家のためという 決まり文句を云ういさえすれば,責任が果せ、丸く収まると思っているふしがある。
今日も言わせて貰ったが、 こんなことで 本当に農家のためになるのか!!!
 農家の意識改革以前に 県庁はじめ関係機関の意識改革を 徹底的にやらないと 税金の無駄使い
は 延々と続く。

 地域農業振興部長兼 普及センター所長も出席していたので 思わず 名指しで県の考えを 聞いてしまった。

 その答弁の中に 正直者が 馬鹿を見ない政策を・・・・・。というのがあった。
そこで、 再度質問したかったが 止めた。

 それは、 新食糧法でいう 正直者とは 誰なんだ・・・と。

2007年12月20日

研修会

今夜は、角田市アグリパソコン研究会の研修会。その後 懇親会。
出席者の7割は、農家のお母さん。

 農家経営簿記記帳を中心活動とし、近年は 簿記を元に経営を学ぶ活動もしている。
農業を経営として 取り組む仲間が確実にふえてきた。
 それにしても、経営として成り立つ農業環境を早く確立して欲しいものだ。
日頃 お世話になっている 関係機関にお礼言うを。

2007年12月19日

税務署で会議。

午前中 大河原税務署で 農業所得者記帳指導協議会なる会議に出席。
 仙南各市町村税務課長および 仙南地区税理士会会長さんが主なメンバー。
農業者の 申告を適切に進めるために どのようにするかを 協議する会議。

 税務署の 思惑などを考え始めると きりがないし そもそも会議のメンバーになること事態に 疲れを
感じる。 
今日も 率直な意見をいわせてもらった。
 我が信念は、農業者の真の自立の為には しっかりとした経営簿記記帳が基本。
 被害者意識を前提とした農業環境からの脱皮。世間に馬鹿にされない 農業者になる。
その為の、ひとつの手法として 青色申告を実施する。 その結果として、税の申告も合理的な申告に
つながれば良い。
 各市町村の税務課長さん及び 税務署には JA農業申告会への事業運営に対し支援を要請する。

 今日の会議では、 税務署長さんの 最大の課題は イータックスの普及率の向上。
相当 上からのプレッシャーがあるようだ。 
あらゆる手段で、イータックスの普及をはかるだろう。

2007年12月18日

e タックスの時代

日中の会合が続いている。
午後から JA農業申告会役員会。
責任者を務めている関係で 休めない。

 税務署では、電子申告 eタックスの普及が最大の課題のようだ。
H22年までに 申告者の半分・50パーセントを eタックスにする。という財務省からの
強力な指導が来ているようだ。

 このことについては、国の思惑など いろいろ詮索すればでて来るが、 これも時代の流れ。
会としては 積極的に取り組むことを確認する。
そんな事 無理だという声が聞こえてくるが やれる者からどんどん進めていく。
ということで理解をえる。
どうも 協同組合なる組織では、 常にやれない人を 標準に物事を進めるのが 当たり前 という
雰囲気がある。 冗談じゃない。 時代は、そんなに待ってはいない。
 何事も やれる者から 行動を起す。 時代を先取りし、全体に刺激を与え、活性化を図り、結果として全体の利益を向上させる。 この行動が出来ない組織は、結果として存在意義がなくなり崩壊する。
 そんな事を 会議の中で話をする。
そんな事を 話す場ではなかったが、 どうも思いがつのると 話したくなる。
しょうがないと思いつつ 会議をおわる。

2007年12月17日

今日も過ぎていく。

お米の発送と、籾摺り作業等で 慌ただしく今日も過ぎていく。
気がつくと 今年も二週間余り。
 外の仕事は 順調に進んでいるので例年よりも 幾分 気が楽だ。
一気に、残っている田お越し作業を終わらせたい。

2007年12月16日

いわせてもらいました。

静岡から今帰る。
夕方、東京で少し時間があったので 浦和の息子のところに寄ってくる。 
富士宮市は、名前の如く 富士山麓の真っ只中。
 今朝起きると 見事な富士山の姿。
なかなか 富士山を観る機会がない 東北人にとっては 大きな富士山の姿を観るだけで
感激!!

 学会では、農水省農業技術会議会長の三輪先生、実践総合農学会会長・元大日本農会会長の
山極先生をはじめ 日本農学界重鎮の諸先生方を前に 農水省は解体して 日本の食糧を本気で
考える省庁に再編すべきだ 等と 生意気な事を言わせてもらう。
 これも、肩書き 「百姓」 であればこそ云いたい放題。
それにしても、新幹線ができて東京は近くなったことを実感する。

2007年12月15日

富士山の麓へ

今日はこれから 実践総合農学会第二回地方大会に出席する為に 静岡県富士宮市に
でかけます。
地域課題シンポジュウムで報告してきます。

朝から 快晴。静岡も快晴かな。
富士山が きれいに見えるだろうか。

2007年12月14日

忙しいものだ

昨日の天気と変わって 晴天。
しかし 気温は9度まで。
 心配した風も さほど強く吹かずまあまの天気となる。

 明日 出かけるので 仕事を片付けるため 目イッパイ働く。
 それにしても、忙しい日々がつづく。

 今日は、もう寝ることとする。

2007年12月13日

ボタ雪降る

寒い一日。
朝 ミゾレが降りだし 9時前後にボタ雪となる。
辺りが少し 白くなったが 直ぐに雨となる。

 米の発送と雑用、そして籾摺り準備で慌ただしく一日が過ぎた。
土日と学会で出かけるので、その分 農作業を進めておく必要あり。
なんとも、毎日があっという間に過ぎていく。

2007年12月12日

眠いです

今朝は 久しぶりに少し早く起きて パソコンに向かう。
締め切りが迫っている原稿と 田んぼ通信NO159の仕上げの為。
 気掛かりだった事が、無事終えたと思ったとたん、眠くなりました。
明日朝は、雪の予報です。
大降りにならないといいのですが。

2007年12月11日

土作り作業

来年の稲作に向けて 土作り作業が始まる。
土改剤の散布作業を始める。

 うまいおコメを育てる為には 欠かせない作業。
農業情勢が 如何に変わろうとも 美味しいおコメを作る基本は 土作りだ。
昨今の 厳しい農業情勢を 背景に ややもすると手抜きになりがちだが、ここが踏ん張りどころ。

 従来よりも 基本の土作りには 力を入れるつもりだ。

 晴れたものの 外の空気はヒンヤリと冬の空気。
なかなか、風邪声が抜けない。
今日は 早く寝ることにする。

2007年12月10日

腹をくくる

今日の一日は、これからの農業経営を続けるにあたって 精神的に大きな区切りになる
日だった。

 ひとつは、今年はじめに立ち上げた あぶくま農学校百姓せんせいコンパニーの 事業展開の再確認
が出来たこと。
二つ目は、 我が家のコメ販売戦略の腹のくくりが出来たこと。

 この二つに関しては、正月以来 紆余曲折してきたが 心の整理がついたことで 後はやるだけ。
行動で実績を如何に 積み重ねることが出来るか。
結果が 伴わなければ 力がない。実力がないだけだ。

 ここまでくるのには、時間がかかり過ぎ だ といわれれば そのとおりというだけ。
やれることはやる。やれないことは やれない。 問題は、やれることを何処に設定するかだろう。
それで、結果は大きく違ってくる。

2007年12月09日

一日が早い

今日も一日 家での仕事。
書類の整理とお米の発送。
 パソコンに向かい頭の整理をする。

 早く寝よと思ったが ついつい今の時間となる。
もう寝ることにする。

2007年12月08日

百姓は 外で仕事?

 今日は 久しぶりにトラクター等の作業をせず、家で書類の整理や午後からおコメの発送等で
一日過ごす。
天気が良くて 外で仕事をしないで家にいると お客さんに 今日は何かあったの?
な~~んて云われる。 百姓は、よほど デスクワークは似合わないのだろう。

 締め切りが今週末の 原稿依頼があり そろそろ書き上げようと思うが 頭の整理がつかず
本気でその気になれない。
どうも風邪のせいだろうか。 ペンを執る気になれない。

 今 外は思いがけず 雨が降り出す。にわか雨だろう。
雪ではなく 雨。 
雨音を聞きながら 寝るとしよう。

2007年12月07日

田んぼに立つ

田んぼの耕起作業も メドがついてきた。
冬らしい 寒い日がつづく。

 米政策をとりまく情勢は 混迷の一途をたどっている。
日本の食料の将来に対する何を 構築する為に多額の税金を投入しようとしているのだろうか。
無駄な巨額な税金が 無責任な政治家集団によってばら撒かれようとしている。
 虚しささえ 感じる今日この頃だ。

 やれることは、自分の作ったおコメを待っている人に対し 責任を持ってコメを作り続けることだけ。
そのためには、しっかりと田んぼに 向き合って生きることしかない。
明日も、朝がやってくる。

2007年12月06日

寒い風が吹きだす

昨夜から 寒い風が吹き出す。
 乾いた冷たい風が吹く。 久しぶり。
田んぼの耕起作業。 そして、コメの発送作業。で一日あっという間に過ぎていった。

夜 公社で、角田市農業振興公社10年の 記録 編集会議がある。
会議後、小松先生を囲んで いつものメンバーで飲む。
 風邪で 体調不良のため 早く帰ろうと思ったが 今の時間の帰りとなる。
 酒は 飲めなかったが ついつい話がはずむ。

2007年12月05日

上京する。

 あぶくま農学校ブランドの具体的な展開の確認の為に上京する。
 新しい事業の展開をする場合、一番怖いのが ボタンの掛け違い。
 このところの数ヶ月 思い悩む事が多々あったが  結論を出す。
 結論は、初心に戻っただけ。

後は 実行あるのみ。

 昨夜の 寒さが応えたのか 午後から体調が急に悪くなる。
予定の仕事を終えた夕方には、すこぶる体調不要。
帰りの新幹線では、辛いものがあった。
頭がボ―としている、
 
それにしても、関係機関の皆さんに応援していただける 今の体制は幸せものだとあらためて幸せな事だと感じる。

 夕飯も食べず 帰宅 もう寝ることにする。

2007年12月04日

本格的な寒さ。

午後から 久しぶりに会議で仙台へ。
今日は 寒い一日だった。
朝 雪がちらつき。 日中 青空が覘いたが 吹く風は冷たい。
 仙台の街を吹きぬける風も 肌を刺すような冷たさだった。

会議終了後 会費制の懇親会があり、久しぶりに事務当局と情報交換をする。
 コミニケーションは、やはり大切だ。
話してみれば 皆 まともに 真面目に今日の農政を考えている。
しかし、それが なかなか事業として目に見えてこない。
 今日の確信。
 多少のギクシャクはあるものの、時代は確実に動きだしている。
それぞれの 立場で行動を起す時期だ。

 それにしても、寒さが身に染みる夜だ。

2007年12月03日

勉強の毎日

午後から 同級生の告別式。
柴農時代の 同級生も多数かけつけてくれる。
「今度会うときは、 楽しい話題で会おう」という事でわかれる。

 天気は、下り坂。寒気がやってきたようだ。
明日から寒くなりそう。

 台湾対日本 の野球の試合。
日本が勝つ。 これで北京オリンピックへ。
勝つ事が 当たり前の試合に 勝つ事 難しさ。
 心意気の 大切さ。 勝ことへの 貪欲なまでの執念。
勉強させられた。

2007年12月02日

真剣勝負

久しぶりに しびれる野球の試合を見る。
オリンピックアジア予選 日本対韓国。
宿命の対決。

 国を背負って戦う。
正に 真剣勝負。 しびれる試合を見た。
 勝負の分かれ目は、勝負に対する執念の差。

 人間 気持ちの動物なのだろう。
しびれた。

2007年12月01日

師走となりました。

今日の最高気温13度。
暖かさを感じる一日だった。
 今日から師走。 今年も残すところ1ヶ月。
早いものだ。
来春 育苗に使う床土の確保作業をはじめる。
例年よりも 早めだが来年の稲作への準備は 早めに確実にしておこうと思う。

 夕方 地元同級生の訃報。
クモマッカ出血だという。
体調をくづしてからは、健康には 十二分に注意していたはずなのに。
あまりの急な知らせに 驚くばかり。