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2007年01月31日

記録的暖冬

今日で 一月も終わり。
今日も4月上旬並の暖かさ。
夕方のニュースでは、今年一月の暖冬は数字的にみても
記録的だという。
一月の積雪 ゼロ、観測史上初めて。
一月平均気温 おそらく観測史上 最高を記録するだろう。
など。

このまま、春を迎えるのだろうか。

明日は、朝早く出発。
 角田市農業経営者会議の研修旅行で 千葉県内の二つの農業法人を視察する事になっている。
一つの法人は、今 日本でも注目されている農業法人だが、 今回の視察で 期待しているのは
私が学んだ 養成所の先輩が経営する法人だ。

我が農業人生の原点は、千葉県舘山にある。
先輩の話で どんな話が聞けるか楽しみだ。

2007年01月30日

ポカポカ陽気の日々

今日は 一日 昨年度の決算処理。
帳簿の整理で 一日パソコンに向かっていたら 意外と疲れる。

今月も30日。
あっという間に一ヶ月が過ぎようとしている。
 お日様は 確実に高くなってきました。

 今日も 暖かな一日。
 オオイヌノフグリの花が お日様に向かって 目一杯気持ち良さそうに背伸びしていました。

小雨が降る一日

朝から小雨が降る。
雪ではなく 雨。
 午後には、雨が上がり、雨量もさほどでなく 安心する。

昨年度の決算の仕上げに取り掛かる。

2007年01月28日

天気が話題に

午後から、角田市消防団第六分団幹部 新年会。
夜は、この春の県議選の後援会役員会。

忙しい一日となる。
 話題は、異常すぎるこの冬の暖冬。
今日も 3月下旬の陽気。
サスガに ここまで暖冬が続くと 話題は自ずと 天気。
この夏の天気が 心配になります。
 それにしても、この冬の異常なまでの 暖冬。
古老に聞いても 経験がないという。

2007年01月27日

研修会兼 飲み会

なかいくん コメントありがとう。

そのうち ご挨拶に伺います。
ほんと 時代は、確実に動き出しました。
 農業分野だけでなく、世の中のあらゆる分野で 新しい時代に対応すべく多様な動きが芽生えてきました。

 いずれにしても、自分の生き様が勝負となるでしょう。
夜、飯坂温泉で 集落内転作組合の久しぶりの研修会参加。
一泊 研修。
この場でも、時代の流れを実感させられる。
 このような、補助金を溜めての 研修会兼 飲み会は これが最後になるでしょう。

2007年01月26日

農政説明会

午後から 仙台で東北農政局主催の 今年度から始まる 新しい農政の説明・意見交換会に出席。
農水本省から 経営局長がやってくるということで 出席する事にした。

新しい経営所得安定対策の推進方策については、 最高責任者の 農水省経営局長から 直接説明
があった。
さすがわ 今回の政策にかける意気込みがヒシヒシと伝わってきた。
意見交換の場で 岩手県花巻市からやってきたと言う 農業者から 東北農政局長に対し陳情が出された。
 生産調整作成者に3年前に認められたが 市の生産調整協議会に出席の要請をしたにもかかわらず
市当局から無視され 今年も出席を拒まれた。 国の言ってる事と 生産現場の関係機関の意識は
相当のずれがある。 調査の上 指導の程を宜しくお願いしたい。

発言者の思いがヒシヒシと伝わり、思わず エールの拍手を思いきっリしてしまった。
我が角田市では、 遅ればせながら今年度から協議会に出席させていただいたが、 東北各地の
末端 農政関係者の殆どが 生産者主体の生産調整へと政策転換する事 の意味を理解しようとしないと思われる。 集落農業についても 単なる一時的な 補助金の受け皿程度に考え、 もらえるうちは
もらった方がいい と言う程度の農政関係者が結構いるのが現状だ。
この点いついても、経営局長みずからの説明の中で、一時しのぎの集落農業については 厳しく対処
する旨の説明があった と理解した。
あくまでも、経営体の育成を目的とした政策の一つとして 集落農業経営体があるのだと言う認識
をあらためて強調したといえる。 

今回は 発言は控えたが 集落農業が またもや巨額な税金の無駄使いの温床になることだけは 絶対に許してはならない。とあらためて 思った次第だ。

今日の 説明会のもう一つの 大きな柱は現在進められている日本とオーストラリアのEPA(経済連携
協定)交渉に対する経過説明。

 今回の交渉は 日本の農業にとって たいへん重要な意味を持つとう事だ。

オーストラリアと言えば 昨年末に突然 約40年ぶりに知人が 我が家を訪れた。
しかも、現在 オーストラリアに住んで 現地の大学で日本語を教えていると言うのだ。
数日前に メールをいただいたので その一部を 紹介します。

>>>特に気候に関しては北半球ばかりではなく南半球、特にオーストラリアの温暖化は絶望的な現象で今更革新的な政策を打ち出てもどうしようもないでしょう。気温は上がり続け38度~41度などというのは珍しくありません。私がこちらに来た1979年には35度にもなるとぐったりしたものですが、鍛えられて33度まで何とか我慢できます。湿気が全くなく北の方から熱風が吹き荒れオーブンの中、さながらの熱気です。

もう異常とはいえない異常気象が次々と現れ、メルボルンでは何ヶ月も雨が降っておらず、山火事の災害は悲しいことに毎年の夏の風物のひとつ?になってしまったようです。逃げ場を失った野生の動物のニュースを聞くたび絶望的な気持ちに追い込まれます。

オーストラリアはアメリカにならって「京都プロトコール」(日本語でなんと言うか度忘れしました)に調印していないのにも国民が猛反対していますが、経済成長だけを狙った政策をたてている国に対し自然は全く無関心です。もともと自然は我々には別に関心を示したことはないのですが。

仕事で去年の12月からオーストラリア内陸部を旅行してきました。多くの内陸部の町をまわってきましたが、その中でも地平線の彼方まで米を作っているリートンという所を見てきました。リートンは米作りで有名な所です。

ここは日本人によって1800年代の後半に稲作が紹介され今日に至っておりますが、気候条件に反した農作物ということで現在大きな問題になっております。灌漑用水をオーストラリア最大のマレー川からひいているのです。しかし、乾燥しきった内陸部でも白人が入植する前の200年前までこの川はゆったりと水をたたえ流れていたのです。

現在は川底が見えるほどにまで干上がってしまいました。そこで米や綿花に関しては降雨量の多い北部で営まれるべきだとの意見が強く、近い将来はダーウィンの辺りで米作りが行われるようになるかもしれません。

今我々に何ができるでしょうか。どんなことをすればいい方向に向かうでしょうか。日本はやはり自然条件にかなった稲作に戻るのがいいのでは、などと去年四国を旅したとき思いました。・・・・・・・・


2007年01月25日

ジックリいきましょう 確実に。

東京から 夕方かえる。
今後の方向性の確認ができた。

それにしても、米の流通の世界は また 新たな世界に入ったようだ。
必死に時代の流れを読み、それに対応すべく それぞれの世界で懸命に生き抜く姿に接する事が
できた。

 時代は 確実に動いている。
その流れに どのようなスタンスを取るか。
あせらずジックリ見定める事も必要かも。

2007年01月24日

創立記念日

今日は これから東京。
朝 8時から 桜の諏訪神社にて 会社創立祈願祭。

H19年1月24日

新しい会社 「あぶくま農学校百姓先生コンパニー有限責任事業組合」 の設立記念記念日。

3人での 船出です。
ゆっくり行きましょうか。

2007年01月23日

あっという間に過ぎていきます。

今日も アットいうまに 一日が過ぎました。
田んぼの耕うん、お米の発送、市役所で書類審査、夜は逮夜。
そんなこんなで、一日が過ぎていきます。
きょうは、もう23日ですね。
新しい年も、23日過ぎたと言う事です。

2007年01月22日

最高気温9度

日中の気温 9度。
暖かな午前中です。
日中 田んぼの方々で トラクターの姿が見えます。
例年 考えられない光景です。

今日も 朝仕事で田んぼの耕うん作業。
このまま 天気が続くといいのですが。

2007年01月21日

昼間の時間が 長くなりました。

昨日は大寒。
と言うのに 暖かな冬が続いています。
 これからは 日一日と 昼の長さが長くなってきます。
夜明けは さほど早くなったと思いませんが、夕方 5時頃まで明るくなりました。

田んぼは 相変わらず乾きませんが 少しでも条件が良い所から
耕うん作業を始めました。
それにしても、暖かすぎます。

このままの状態で 春を迎えるのかと思うと 少し焦ってきます。

2007年01月20日

契約会

今日は 集落内 契約内の葬儀。
昨年 11月末まで 畑に出ていた 家の親父と同じ歳の 同級生の親父さん。

つい最近まで 田畑で 話ししていた間柄。
近しい人が いなくなる事は寂しいものだ。

最近は、自宅での告別式はこの辺でも 少なくなった。
町の会館での 告別式が多くなった。
それでも、契約会で出来るだけ 手分けして準備をする事にしている。

時代と共に 仕来たりは変わってくるが 人を喪う悲しさは 時代が変わっても変わらないであろう。

2007年01月19日

国際交流協会が会社経営。

夕方 青森県 田子町視察研修から帰ってくる。
 たいへん有意義な研修だった。
田子町は 日本一の にんにくの町として有名だ。

 一番興味ぶかかったのは、 本来の主たる研修目的ではなかった、田子町ガーリックセンターの
運営。 残念ながら今回の主たる研修としていなかったため、責任者の話が聞けなかったが たいへん
気になる運営と直感する。
ここの運営は、 財団法人 田子町国際交流協会が運しているという。
これには、一瞬びっくり。

 ガーリックセンターは 全国どこにでもあるような 地域振興の拠点として町がつくったもののようだ。
 その運営は、全国の 同様な施設と同じように 町で運営で運営したが 赤字。
そこで、町が手を引き12年前から 田子町国際交流協会が施設の運営を委託。
経営にのりだしたのだという。
経営スタイルは、正しく 民間会社そのもの。

現在は 6億ほどの年間売り上げで、もちろん黒字。 
その収益金を 町の国際交流事業に 寄付するまでになっているという。
 これには、一瞬衝撃をうける。
情報不足で、視察項目には入れていなかったので 責任者の話は聞けなかったが、想像するに
交流協会の理事長さんは、立派な会社の社長さんだろう。

もうじき立ち上がる 私達の会社の 運営の目標にすべきものだ直感すた。
 後で、機会があれば 是非とも 田子町国際交流協会の理事長さんの話を伺いたいものだ。

2007年01月18日

これから青森

今日は これから 青森県八戸へ。
今度 立ち上げるLLPの勉強をする為。

他所の空気をすって 世の中の流れを肌で感じることは 最大の勉強だ。

2007年01月17日

角田市水田農業推進協議会

今日 午前中 市役所で会議。
角田市水田農業推進協議会臨時総会。
なんとも 長ったらしい名前の会議。

H19年からの 米の生産調整は 生産調整作成者の自己責任で実施することになる。
3年前に 国の米政策が変わる。 行政が生産調整から手を引く。
という触れ込みで生産調整作成者が 自らの責任の下に減反政策を実施するはず・・・・。
そこで、3年前に農業関係団体に いつまでも自らの生産基盤を委ねる事に忍びなく感じ
農水省に生産調整作成者と申請したのが3年前。
それが、3年を経て 漸く生産現場に 国の趣旨が下りてきたといえる。

しかし、しかしで そうならないのが 日本の農政。 
 イザ実施となると、 米にまつわり付く 巨大な無言の姿なき 無責任なソシキが突如として出現。
殆どの この存在 なかなか 手ごわい。 ほとんどの肩書き依存症の百姓は、右にならい。
 しかも、いつしかその ご主人になったつもりに なり、 主語のない 挨拶をして満足の世界へ。
 これが、ごく普通の立派な百姓だから、なにも 驚く事はない。

 農政とは いつもの事ながら 無責任な行動の下に成り立っている。
あきれる事に 慣れっこになってしまって 意見する事さえ 時間の無駄に思える今日この頃だ。

今日の会議。 この現状を、一番理解していたのは 会長の佐藤市長さん。 さすがだ。
結論からいえば、 生産調整の実施主体を 生産調整作成者に今後 委ねるのだという。
今日の会議の趣旨から言えば 当然の事。でごく当たり前の結論だ。 しかし、当たり前の事を
やってこなかった・やろうとしなかった?のが米の生産調整農政の 歴史。

角田市の 生産調整作成者は 4者。 最大はもちろん JA。
ところが、このJAさん 歴史の歯車が確実に動いたのに 今になっても現実を直視せず、歴史の歯車を
逆に戻そうとするふしがある。 ここまで来ると なんとも哀れにさえ思えるから不思議だ。

期待していた 前向きの発言はJAの幹部から一言も発言がなかった。
 生産調整作成者のひとりとして、JAには 角田市水田農業推進協議会の まとめ役(会長)は
俺達 生産者 しかも 最大のJAに任せてくれという 発言ぐらい飛び出すだろうと期待していたが 最後までそんな雰囲気が
微塵も感じられなかった。 悲しい事かな 残念でならない。

それに比べ、佐藤市長さんは 立派だ。
いつでも JAに協議会の会長の座を 譲りたいのもだ。という気迫と今後の角田市農政の新たな展開
を予期させる力強い 発言であった。

JA幹部には、主語を持って発言してもらい。


2007年01月16日

地獄の釜の蓋もあく?

今日は、大賽(さい)日。
地獄の釜の蓋もあく日と言われ、仕事を休む日です。

時代が如何に変わろうとも、世間がどうであれ、 我が家では 野良仕事は休みます。
特に 機械仕事は絶対にしません。(米の発送の仕事はしました)

迷信だ と言われようと 私はソウ信じて 毎年過ごしています。
それが、私の 我が家の暮らしです。

2007年01月15日

ヤーホイホイと叫びましょう

今日は 今年はじめての ラジオ深夜便の担当。
今さっき 無事に終わりました。

私のリポーター役も 今年3月まで。今日の 放送を入れて残すところ3回。
一昨年4月から2年間。月一回と言う事は 特集番組を含めると、25回放送です。
あと2回。ヤレヤレというところが正直な気持ち。
と言う事で へたくそは へたくそなりに 精一杯やろうと言う事で今日の 放送に臨みました。

今日は 思うことがあって 必ず ヤーホイホイ ホイー~~~~を放送でやろうと決めていました。
 世の中 あまりにも 変な事が ありすぎ。
新年早々 日本から 厄病神を 追い払うという 自分勝手な思いをこめて ヤーホイホイを
2回程 やらせていただきました。

ホントに 先人の知恵。 今年がいい年になりますようにという願いを込めて「ヤーホイホイ~~~」と 大きな声で厄病神を 追い払いましょう。
ホントは、今日の午前零時にやるんですが 今からでも構いません ヤーホイホイ!!!!

2007年01月14日

小正月

今日は 小正月を迎える 年とりの夜。
小正月の行事 オドスナやしめ縄等の 正月飾りを下ろし 団子さしを飾ります。
夜は、 正月飾りを 暁かゆ 小豆粥を炊き ヤーホイホイという 掛け声をかけ 正月様を
送ります。

また、14日の夜は かせどり といって 子供たちが 厄年の家に いき 紅白の餅と みかんやの お菓子等をもらってきます。 地域によって違いますが 私の地方では 「こんこん もつ(餅)ケンチョン」といって集落内の厄年の家々を回って もちなどをもらいに 子供たちが回って行きます。

これが 結構 今でも子供たちが楽しみしている 行事です。

2007年01月13日

もう直ぐ小正月

多少の雪を期待していたが、夜中には星空。
きょうも 寒の最中と言うわりには 暖かな一日でした。

HPの写真。
農のはじめ の様子。
凛とたった オガンマツをながめて、 撮った我が身も背骨がシャキットしてきます。
心から、勇気がわいてきました。
今年も ヤルゾ!!!

2007年01月12日

そろそろ雪が積もるのでしょうか

農のはじめ も過ぎ本格的な農作業開始。
と思っておりましたが、 先日の雨でまたもや 田んぼは水浸し。
ここ暫らく 田んぼには 入れそうもありません。

作業場内での仕事が中心になります。
農機具の整備を はじめようと思います。
午後から、曇り 気温が下がってきました。
雪になるのでしょうか。

2007年01月11日

農のはだず

今日は 農のはだず(はじめ)。

土蔵から 昔つかっていた 鍬を持ち出し 今年使う 種籾に飾っていた オガンマツを外し、
稲束をイッパもって 昔 苗代に使っていたたんぼへ。

暦は 鏡開き。

毎年 日の出前に 田んぼに向かうのですが、今年はあったか。
例年 いくら暖冬といっても 少しは雪が積もって、しかも 田んぼの土が凍みている中で儀式を行うのですか。 今年は 全く雪はなし。 しかも、全然 たんぼの土が凍みていません。

三本鍬で 数回 田んぼを起し そこに わら束をイッパ横にし その上に オガンマツを立て。
今年の豊作と家族の安全を祈って 手を合わせます。

ささやかな 儀式です。
我が家にとっては、正しく 今年の本格的な 農作業の開始を自覚する 大切な儀式です。
昔 田んぼを耕していた鍬の感触は、 なんともいえません。

これで、今年も本格的な農作業が始まります。
自然と背筋がピンとするから不思議です。

2007年01月10日

10日が過ぎました。

正月も10日となりました。
あっという間に10日が過ぎていきます。

年末以来 慌ただし毎日を過ごしていましたが、 ここにきて 漸くゆったりした
時間を過ごす事ができました。
昨年度の決算を そろそろ始めようかと思っています。

明日は、農の初めです。
今日は もう寝ますか。

2007年01月09日

薄っすらと雪化粧

今朝起きると 薄っすらと雪化粧。
蔵王山麓の うしかいさんのコメントによれば、 蔵王山麓はもっさりと雪が積もったとの事。

今朝は、少し積もった程度ですが 早朝 急激に気温が低下。
おかげで、道路面は アイスバーン。
久しぶりの タッペになり 方々で交通事故が起きたようです。

午前中 福祉法人の臥牛三敬会 虹の園の 成人式に出席。
新に5人の皆様だ 晴れて成人なされました。
おめでとうございます。
夜 角田市農業経営者会議の役員会。
先輩方が よく集まってくれます。
新年会を兼ね 酒を飲んでの情報交換会で今のお帰りです。
夜空は、きれいな星空が広がっていました。

2007年01月08日

雪が降りましたが・・・

暖かいと思っていたら 夕方から雪がちらついてきました。
薄っすらと雪化粧しています。

銀世界になると 少しは正月気分になるのですが、それまでにはなりそうもありません。
新年の挨拶をかねて 友人宅を訪問 つい昼を過ぎてしまいました。

そらには、きれいな星空が広がっています。

今夜の雪も 日の出と共に一気に消えそうです。

コドス(今年)の天気は ホント オガすいないん。
・・・がご挨拶になってきました。

2007年01月07日

七草かゆ

今日は 七草。
早いものです。

七草粥を食べると 正月もそろそろ終わりかな と思います。

それにしては、爆弾低気圧とか。
急激に発達した低気圧の影響で もの凄い風が吹きました。
雪が降るかと思いましたが、雪は降らずに相変わらず 気温は高めです。
凍みないどころか、気温は5度以上です。

こうも暖かいと 夏の天気が心配になってきます。
マジで!

2007年01月06日

寒の雨

昨日のあの晴天が 天気が うそのようです。
朝から雨が降りだしました。

小寒だ言うのにと 雨です。
驚いた事に 朝方 雨が降り出す前は氷点下の気温だったのに、
雨が降り出し しかも、夕方にかけ気温は一気に上昇モードに。

夜 8時までに ナント7度に。
今が 一年で最も寒い 寒の時期です。

明らかに 異常な天気。
心して、今年の稲作に取り組まなければと思う 正月です。

2007年01月05日

スッゴク良い天気

正月に入ってから、早春を思わせる 穏やかな天気が続いています。
蔵王の山々がきれいに見えます。

地元紙 河北新報には、感謝。感謝です。

明日から明後日にかけて またまた天気が崩れる予報。
出来る事なら このまま晴天が続く事を願いたいのですがね。

少し遅れましたが 年賀状を 午後から一気に仕上げました。

2007年01月04日

引き際

今日は 仕事始め。
午前 11時から 角田市民センターで 恒例の年始交歓会があった。
恒例とは いうものの 今年の年始会は 大切な日となった。

我が大先輩の 角田市長 佐藤清吉先輩の 政界引退発表の日である。
今期限りで 政界を引退するという。
任期は、来年7月まであるので 残すところ1年半以上ある。
進退については、 憶測が囁かれ始めたが 常識的にはその時期には まだ早い。

通常 首長の進退は、議会で明らかにするようだが 市長は市民を前に発表したいと言っていた。 
私が百姓始めたのが20歳。 その時 市長は 県会議員に立候補し初当選。
それ以来、今日まで33年間。 政治の裏舞台をはじめ 多くの貴重な体験をさせていただき また、多くの事を学ばさせていただいた。 感謝である。

今期限りの 政界引退は3期当選した時から決意していたといえる。
それを いつ明らかにするかの判断は 政治の流れと政治家本人の基本姿勢で決まる。
 「自分の意思で政治家になった のだから 辞める時も 自分の意思で公表したい。」
誰かに いつ辞めるのかと言われて 進退を明らかにすることはしたくない。という市長の考えを受けて
 年始会での、今期限りの引退宣言となったものだ。 
これは、すでに1ヵ月以上前に決まっていた事だ。
このことは、数人しか知らなかったハズだ。

 市長の年頭挨拶の最後に引退宣言となって 会場は一瞬どよめいた。  どんな空気が会場内に
漂うか心配でもあり、興味もあったので年始会に出席させてもらったのだが 会場の雰囲気は極めて
好意的な空気が漂い 結果的には最高の引退宣言となった。 安心した。

市長の任期は、まだ1年半以上残っている。
政治家として、締めくくりの仕事を これまで以上に精力的にするだろう。

 角田の政治の流れを よりよい方向に導くためのにも、 後継者の問題が一気に表面化するだろう。
今日の年始会での引退宣言。
「角田の将来は 市長も考えるが市民皆で 考えて欲しい」という 大先輩 佐藤市長の心からのメッセージと受け止めたい。 

2007年01月03日

正月3日

今日も 穏やかな一日でした。
正月3日にして ようやくゆったり気分で一日を過ごす事が出来ました。

世間では あすから仕事始め。
世の中が 動き出します。

2007年01月02日

消防出初式

正月2日。
恒例の角田市消防団第6分団3部の 消防出初式。

正月は、元旦、そして2日と 恒例の行事がありゆっくり出来ません。

消防団暦 約30年あまり。 こんなに暖かな出初式は 初めて。
地区内の 防火水槽等の 要所で放水を実施。
いつもは、放水直後にみるみる凍みてくる事が 当たり前の正月。
それが、放水をしていても ぜんぜん寒くないのです。

あまりの暖かな正月。
今年の天気が心配になります。

穏やかに過ぎた 正月2日でした。

2007年01月01日

同級会

新年おめでとうございます。
素晴らしい 朝日とともに 新しい年がはじまりました。

恒例の元朝参りを午前中に済ませ、午後から集落の新年会。
今年は、新しい消防ポンプが交付されましたので、ご披露を兼ねて実地放水をしました。

その後、午後3時から小学校の同級会。
それで、今のお帰りです。

同級会は 実に楽しい。80人あまりの同級生ですが、30人出席。
わが同級生、地元に残っている人が 結構います。
今回は、電話連絡での会合。地元の連中が中心の集まりでした。

嬉しい事がありました。
先日、会社の出張で 東京に行く機会があり夜中 同僚とタクシーに乗ったところ ラジオ深夜便を
放送していたというのです。
そのタクシーの運転手さん 丁度宮城県出身だったとか。 
同郷ということでタクシーのなかで話が弾み、ラジオ深夜便の話に。
 わが同級生、まさか オモカワが話をしているとは つい知らず。
運転手さんから 面川さんの話を聞くと ふるさとの宮城を思いだすんだよね。 という事を話出したというのです。 毎回楽しみに ラジオを聴いているというのです。

同級生 まさか東京の見知らない運転手さんの口から オモカワの名前が出て ビックリしたという。
オモカワは 俺の同級生だ。ということで話がまたまた弾み 自分も気分が最高だったというのです。

毎回 放送が終わる度に、反省しきり。 それなりに精一杯努めているものの、どの程度お役にたっているのか毎回不安。 
ふるさとを遠くはなれ、宮城出身でしかも、夜中働いている人が、私の つたない話を 楽しみにしているというのです。 宮城ふるさとを 思い出すというのです。

これまでの 努力?が 一気に報われた気分。 これ以上に 嬉しい言葉は ありませんでした。
深夜便も2年間の お勤めも3月まで。
残る 3回を精一杯頑張ろうと 決意を新にした元日でした。