« 2011年03月 | メイン | 2011年05月 »

2011年04月 アーカイブ

2011年04月01日

4月となりました

今日から4月。
まだ ガソリンスタンドの車の列は解消されない。
角田市がひどいようだ。
 田起こし作業を引き続きする。
それにしても、放射能という見えない敵に おびえている自分に気づく。
それに 風評害という これも得体の知れない敵におびえている。
 トラクター仕事をしながら 自然に涙が流れる。

2011年04月02日

遅すぎる対応

 相変わらず原発事故の目途が立たない。
菅総理が 震災現場を視察に来たという。
 夢を語り希望を与えたかったようだが、空回りのようだ。
いま必要なことは。いまの現実を共有することだ。
 人が生きるということが いかなるものか。生きるために必要なものは何か。
被災現場で 人は何を求めているか。 その現実の延長線にしか未来は 開けない。
ヘリコプターで飛んできて あっと言う間に帰ったのだろう。
震災直後にも いち早くヘリコプターで津波の現場を菅総理は空から見たはずだ。
それで、とった行動は福島原発事故対策だけ。
津波の被害で生死をさまよっていた 数十万人の痛み等 空からは感じなかったのだろう。 遅すぎる震災対応だ。

2011年04月03日

苗づくり作業始める

田んぼの育苗の本格的な準備を始める。
床土づくりだ。
例年よりも 一週間あまり遅れての作業だ。

とにかく前を向いて いま自分のやるべき仕事を確実にこなすだけだ。

2011年04月04日

寒さ続く

昨日に引き続き 床土づくりをする。
寒い一日だった。
暑さ寒さも 彼岸までというが 今年は彼岸過ぎてから寒さが続いている。
 例年よりも 寒いようだ。 気がつけば もうすぐ桜の季節だというのに・・・・。
季節は 自信とは関係なく確実に動き出してる。
いつまでの 心配ばかりしていられない。
確実に 農作業を進める。
いま求められている事は、自分に与えらて仕事を確実にすすめることだ。

それにしても、政府の関係者は 確実に未来に向けた国づくりを強力に進めて欲しい。
その場しのぎの 仕事ぶり 後手後手の仕事ぶりには 本当に心配になる。
国民と一緒に騒いでいるのでは 話にならない。

2011年04月05日

土地改良区の組織存続の危機

午前中 土地改良区理事会。災害復旧の今後の見通し等が話し合われる。
それにしても、津波の被害等 作付不可能となった地域では 土地改良区そのもも
の組織の存続さえ見通しがつかないという。
 土地改良区の運営は 組合員の賦課金を持って事業を行っている。
農地そのものが農地として使えない状態では 収入のあてが全くない。
当然 賦課金も収められない。
土地改良区の組織がなくなったら、 あらたな農地の復興を何処で担うのか。
あらたな組織等 作っている余裕などないはずだ。

これから、本当の意味で 震災の苦しみが待っている。
しっかりと前を見て、行動していかなければなるまい。

2011年04月06日

最高気温20度

最高気温が20度を超えた。
寒い日が続いていたので ホッとする。
 震災からもうすぐ1ヵ月が過ぎようとしている。
しかし、なんとなく落ち着かな日々だ。
気持ちを奮い立たせ、種まき作業の準備をする。
 月日は、あっと言う間に過ぎてゆく。
季節も待ってくれない。
農作物は、季節に合わせて進めなければ 満足な収穫は得られない。
そんなことは、百姓が一番知っている。
福島県の農家の皆さんの 思いを 思うとき行政の一律的 行政指導、
「田んぼ畑仕事は 休め」 という指導には怒りさえ感じる。
一刻も早く 原発事故を収めろ! 国家の総力を挙げて早く収めろ!

2011年04月07日

またもや 強い地震 震度6

種まき作業を始める。
例年よりも一週間程 遅い。
それでも季節は 待ってくれない。
 時間は あっと言う間に過ぎていく。

集落には、いつもの活気がない。 
互いに 震災の傷を背負っているのだろう。

夜 11時30分過ぎ。
もの凄い揺れ。
ただ事ではない。 寝ていたが飛び起きる。
ラジオをかける。
震度6強。 激しい強い揺れだ。ただちに停電。
朝早く 消防ポンプ車で地域内を見回りをしたが大きな被害はなかったようだ。
しかし、また断水となる。
足元が なかなか落ち着かない。
いつになった 落ち着けるのか。

2011年04月08日

またもや断水

またもや強い地震。
今回の 地震は 時間こそ短かったが大きく横に揺れたと思ったら 最後にドスンと
縦揺れ。 夜中だったせいもあるが、大きな揺れは11日よりも強く感じた。
朝 電気は復旧したものの、 またもや断水。
角田市の 殆どの水源は 蔵王山麓の七ヶ宿町の大きなダム。
その幹線パイプラインが 破損したという。
地下5メートルの深さに埋設してあるパイプラインが破損したという。
いつ復旧するか見通しがつかないという。
これには困った。
種まき作業が始まった。 水がなければ作業が出来ない。 しかも、育苗が始まれば
水が欠かせない。 一日も早い復旧が待たれる。
それにしても、少しは落ち着きが出たというのに、またもや 水が断たれた。
今年は、どうなるのだろうか。
夜 緊急消防団幹部会議。
明日から 2週間あまり。 隣町の山元町の津波被災地の道路の検問作業に行くことになる。 明日は、急遽だが出動することにした。
やじ馬も含めて、災害復旧の邪魔になる車が多くなったという。
その検問作業の手伝い。
山元町から福島にかけての海岸線は、いまだ救援の手が遅れているという。
もうすぐ一ヵ月になるというというのに、被災地によっては救援が遅れているところがある。 自衛隊の力を借りなければ 手がつけられない状態。
戦場そのものだ。
明日 そこに早朝から夕方まで行ってくる。

最高気温22度。暖かな一日。 大麦の追肥作業をする。

2011年04月09日

山元町応援出動

隣町の山元町から 消防団の応援要請があり急遽 出動する。
朝6時半出発。
山元町役場で 地元消防団と合流。
  今日から二週間余り角田市消防団が交代出動することになる。
山元町は、福島県との県境。
国道6号線が海岸付近を通っているところだ。
津波は国道6号線を乗り越え あぶくま山地の麓まで達している。
 被災地は 言葉では言い尽くせない。
今回の津波の被害は、東日本雄太平洋沿岸数百キロに及ぶ気の遠くなるような、想像を絶する被災現場だ。
地震後一ヵ月が過ぎようとしているのに、まだ救援の手が届かないところがある。
山元町も そのひとつだろう。
 被災現場は、正しく戦場。 無差別爆撃を受け何もかもが跡形もなくなった光景が広がる。 民間の手では、手に負えるさまではない。
自衛隊が特殊な車両を持ち込んで 被災地の片付けと 遺体の捜索にあたっていた。

 消防団の役割は、 被災現場への一般車両の立ち入り規制。
被災現場に通じる主要道路の入り口で 自衛隊車両や災害復旧車両以外の車両の立ち入りを厳しく規制する役割だ。 役場で発行した立ち入り許可書を持っている人以外は立ち入り禁止。 地元の被災者でさえ 車での立ち入りは出来ない。
被災現場は、テレビや新聞報道写真での比ではない。
 お世話になった地元消防団の幹部も娘さんを亡くしたという。 震災以後この一ヵ月
娘さんの葬儀の三日間だけ休んだだけで連日 消防団活動をしているという。
消防団活動が、娘さんの弔いだ と言っていた。

 私が担当した地区は、磯浜漁港に通じるところだ。
磯浜海岸は、有名な大ぶりなホッキ貝が採れるところだ。
その磯浜海岸は 堤防が破壊され70戸の集落があったというが、土台だけが残っていて地上部は何も残っていない。 こんなことが現実にあるのかという風景が広がっていた。 磯浜海岸から亘理町にかけて東北でも有数の園芸地帯。イチゴの大産地だった。
土台だけが残っていて荒涼とした風景がひろがっている。
常磐線山元駅の駅舎は 鉄骨部分だけを残し無残な姿だけが残っていた。
線路は飴のように曲がり 津波の威力の凄まじさを物語っていた。
 磯浜海岸の隣は 福島県新地町。 福島県へ通じる、海岸線を走っていた県道が、
新地町に入ってすぐのところで 道路が寸断されいた。
防波堤も無残にない。遠くに新地の火力発電所が見えた。 太平洋の荒波が押し寄せていた。新地浜も壊滅的状況だった。
今回の震災は、津波の被災地は一カ月過ぎても手がつけられない悲惨な状況が広がり
そうでない地域は日常の生活が戻ってきている。
津波は、元気でいきるか そうでなければ死ぬか その二つの選択肢しかなかったようだ。 重軽傷者は殆どいないようだ。 恐ろしい津波の威力だ。
それも あっと言う間の時間で 世界が大きく変わったのだ。
人は 何を求めて生きてきたのだろうか。
これから、何を求めて生きていくのだろうか。 考えさせられた一日だった。

2011年04月10日

断水続く。

大麦の追肥作業を完了。
東京では 桜が咲いたようだが まだ咲かない。
 一回目の種まきをした苗を 育苗ハウスに移す。
断水続く。

2011年04月11日

強い地震続く

震災から一か月が過ぎた。
夕方 強い地震。
きょうは、数回の地震が続いた。
落ち着かない 日々が続く。

田んぼの土壌改良剤散布。
午後から コメの発送作業。
夕方から 雨が降りだす。
断水で 種まき作業の計画が狂う。
またもや、夕方 強い地震がくる。

2011年04月12日

余震続く

仙台で桜の開花宣言がでたという。
平年並みの開花だというが、角田の桜の開花は平年よりも遅れているようだ。
 花見の気分ではない。
それでも 季節は確実にめぐってくる。
種まき作業とハウスへの緑化作業をする。
相変わらず余震が続く。

2011年04月13日

最悪の原発事故???

地震が続く。
落ち着かない日々だ。
福島原発事故は、最高レベル7  という最悪の事故になったという。
今頃何だ!!

事故対応が 全くでたらめではないか。
レベル4という 認識で事故処理に取り組み始めたではないか。
まったく 甘い。
政府も原発関係者も 自己保身だけを考えて今度の地震対策に取り組んでいる。
全く 話にならない、
いま 現地では どんな思いと 苦痛の中で日々を送っているのか分かっているのか。
 全く覇気の感じられない 間抜けズラをテレビで見るのは 苦痛だ。

こんな対応しかできないのなら 政権を早く変えるべきだ。

2011年04月14日

最高気温23度

今日の最高気温23.度。
風もなく一気に初夏の陽気に。
遅れていた早咲きの桜が一気に咲きだした。
ピンクの濃い花だ。
いつもは遅くとも4月はじめには咲きだすのだが 今年は遅い。
季節は 確実に動いている。

2011年04月15日

二度出動

 なんという一日。
一日に二度 火災発生。
昼に村内で火災発生。消防団で出動し鎮火させ やれやれと思ったら夕方 またもや火災発生。
一日に二度出動。 とにかく 疲れた。
異常乾燥が続いている。
各班に 地区内の巡回を強化するように指示を出す。

明日は、消防団で 隣町の津波被災地 山元町へ 応援出動。
農作業も忙しくなってきましたが ショウガナイです。

2011年04月16日

消防応援

隣町の山元町へ 消防団応援出動。
一週間前に行って二回目の出動。
地域の雰囲気が やや和らいだ感じがした。
常磐線の撤去作業や瓦礫の撤去作業が進む。
少しづつだが、片付け作業が目に見えるようになってきた。
午後から西風が強く吹く。
辺りがガランとなったこともあり、砂埃がもの凄く舞い上がる。
復旧の道のりは 長く厳しいものがあるだろう。
しかし、確実に前にむかって進んでいるようだ。
自衛隊の皆さんによる 行方不明者の捜索が続いている。
今日も三体の遺体が見つかったという。
一人は、幼稚園の幼いお子さんだという。

2011年04月17日

桜は満開

いつの間にか 佐倉は満開。
花見の気分ではない。
早朝から 集落全員による共同作業。
集落内清掃と田んぼの用水路の手入れ(江払い作業)
暖かな朝だった。
用水路の手入れも終わり、田んぼ作業も順調にすすむ。

2011年04月18日

せめて天気だけは

種まき作業5回目を行う。
このところの暖かさで 最初に播いた苗はハウスで順調に育っている。
明日は、雨の予報。
田んぼが乾いてきたので、客土作業をする。
地震以来  農作業が遅れている。
せめて天気だけは続いてほしいのだが・・・・・。

夕方 作家の 森まゆみ さんが来る。
津波の被災地に 支援物資を届けに来たという。
その帰りに寄ってくれた。
東京の人達も 今回の地震の影響を受けているようだ。
 これからをどう生きるか 日本全体で考え始めている。

2011年04月19日

みぞれ降る寒い一日

せめて天気だけは続いて欲しいと思ったが、朝3時半過ぎ 雨音がする。
客土の土だけは なんとしても終わられたいと思っていたが・・・・。
辺りがあかるくなってきたころ 雨脚が弱くなる。
作業が出来ると思いトラクターに飛びの入り田んぼへ直行。
少し作業を始めたところで、高圧ホースが破損。
これはヤバイ! 折角作業が出来るのに 故障とは。
こんなものだと思いながら 何としても応急処置で作業を再開しなければと思い修理をする。
なんとか間に合わせ 作業再開。
再び雨脚が強くなるなで 作業終了。
疲れた。
その後一日中 雨。
夕方には みぞれが降りだす寒い一日だった。

2011年04月20日

風評害を助長して何が楽しい

最後の種まき作業をする。
寒い一日だった。
放射能の風評被害も 一息 ついてきたかにみえた今日この頃。
朝 先輩宅を訪ねると 困った奴らがいるものだという。
今朝の地元河北新報の記事を広げて 怒りをぶちまける。

 その記事によると、県南の有機栽培農家や自然栽培農家、7人が 東京電力を訪ねて
宮城県南地域も 放射能に汚染されているに違いないから 放射能の測定をこまめにすべきだと要望書を提出したという。 明日21日には、県及び東北農政局にも 同じ
要望書を出すのだという。
 何たることか! 放射能の測定は 毎日 河北新報や他のマスコミでも報道されているではないか。 それで、十分ではないか。 それ以上の測定地を求めて何を目的としているのだろうか。 行政が発表するのは、信用ならない。 というのであれば 問題は別だ。 抗議手段も別にあるはずだ。 ましてや 原発問題は 別次元のもんだいだろう。  行政が信用ならないならば、自分で測定器を購入し、自らのお客様にその値を公表すればいいだけだ。 そんなことは、関東の生産者は やっていることだ。

風評害の 怖さを知っているのか。 一番の被害者は、現場で必死に生産している 生産者そのものだ。それも、物言わぬ真面目に田んぼや畑に通う 一番弱い百姓だ。 政府は、簡単に風評害も補償すると言っているが、事はそう簡単ではない。 結局は、一番末端で コツコツ働いている生産者が 泣き寝入りするだけだ。
 それを知っているのか。 何が有機栽培農家?自然栽培農家? 冗談じゃない。
 多少 人より知識をもっている????? かもしれないが なに様だと 思っているのか。
 これだけ日々 放射能の怖さを体験し、いまさら それを 煽る行為をたのしんでいるのか。 本当に 理解に苦しむ。
それも、農業で生きていこうとしている 農業者から こんな行為をする者が出るとは、本当に情けない。
 行政が発表する 放射能測定値が あきらかに人体に悪影響を及ぼすというのであれば 即、生産は中止する。 食と農に関して それくらいの責任とモラルをもって生産しているのだ。  それ以上 何をすればいいのか。 何を信じて 田んぼにでればいいのか。

 これ以上 世間を混乱させて なにが 楽しいのか。 残念だ。
夜 先輩は心配でなんとかならないのか とまた相談の電話をくれた。

2011年04月21日

天気が続かない

昨日のブログの件についていは、多分 いろんな意見が来るだろうという想いで書いた。

大阪の農民さんからの ご意見ありがとうございます。(出来れば実名でお願い)
 あくまでも、健康に害する放射能のレベルであれば もちろん食糧として供することは 犯罪といえます。
 その基準を 何処に求めるかです。
 私は、行政が定める 基準をもとに生産するだけです。
 行政が 発表する値が 正しいか正しくないかは また別問題です。
その件で、議論する考えはありません。
原発そのもの、行政の発表したのは 大いに嘘であり間違いですが。
その観点からいえば、今回の原発事故は、国家的犯罪といえます。

 そういう現実の中で、今の日本(生まれ育った角田)で生きてきたし、これからも生きていかなければならないということだけは、 馬鹿な俺でも 覚悟してます。
この件に関しては、それ以上の考えは ございません。 

天気が、続かない。 
田んぼ仕事を 急がねば。
 

2011年04月22日

元肥散布

天気予報では、明日にかけて大荒れの天気。
明るくなるのを待って 田んぼへ直行。
元肥散布。
霧雨が一日中降る 天気だったが、作業には支障のない程度。
朝飯抜き、昼 チョットだけ休み 夕方 暗くなるまで作業を続行。
さすがに 夜 疲れた。
三分の二の元肥散布をおえる。

放射能が降ろうが なにがこようが 俺の田んぼは 俺しか守ってくれない。
俺の仕事は、田んぼで 稲を作ってナンボの世界。
角田の 俺が作ったコメを食べたいという人がいる限り 田んぼ仕事はつづく。
放射能が怖くて 自ら田んぼ仕事を放棄するようなことは俺はしない。

 今日 政府発表で 福島の原発の周辺へ作付請願が出された。
同じ百姓として、その悔しさを思うと 原発への怒りが込み上げてくる。
簡単に補償というが、どのように補償するのか。
金だけでは 補償出来ない 大切なものはどうするのか。

2011年04月23日

一日 小雨

一日中 小雨が降る。
たまっていたデジカメ日記を整理し データアップを頼む。
地震以来 生活のリズムが狂っている。
仕事に追われ、また 考えることが多く 整理がつかなく時間だけがあっと言う間に
時間だけが過ぎていく。
 今年の 今の時間をな何としても記録に残さねばと思っていたが、その時間がなかなかとれない。 思い切って時間を取りパソコンにむかう。

 久しぶりにホームページの管理人さん宅で 話しする。
放射能の汚染に関して相当ビビっている。
精神的にもダメージを受けているようだ。
俺の様な無知に人間とは違って、放射能に関して相当知識を持っているようだ。
そもそもが、頭が良い人達だ。
その恐ろしさを こんこんと教えられる。
いくら 話を聞いても 俺には関係ない。 俺の結論は、この角田で生きていく。
これから、生きていくために 放射能とどう向き合って楽しく生きていくかだ。
放射能そのものがゼロでなければ許されない、 食べられない、生きていけないというのであれば、また 話は別だ。 いくら話ししても議論にならない。
 俺からすれば、頭が良い?割には頭が良くないと思うし、相手方からすれば、とんでもない無知で馬鹿な奴と思っているだろう。 馬鹿で無知だと思われてもそれで、大いに結構だと自信を持って受けてめられる。 所詮 百姓そのものはそんなものだから。

そもそも原発問題は、人間の欲望を象徴しているのだと思っている。
人の欲望の塊が 原発を生み出しのだろう。
頭が良いか 悪いかは別にして 人の欲望をどのようにコントロールするか、コントロール出来るかが 今後の原発問題を左右摺ると思っている。

 自分に与えられた日々の仕事を、必死にこなすことが俺に与えられた今の使命だ。

原発建設に関して俺の考えは、もちろん大反対。
理由は、あまりにもコストがかかり過ぎるから。 コスト重視の 経済界からも異論がないはずだと思うが。 そうならないのが、人の欲望のなせるところか。

 

2011年04月24日

原発は 反対です。

大阪のお百姓さん
コメントありがとうごいます。
 原発問題を真剣に考えている人は、私の仲間にも多くいますし、人の生き方を
極めて真面目に考え行動している人だと思います。
常にお世話になっておりますし、その生き方にたし尊敬もしています。
 有機農業であれ、自然農法であれ 農業のやり方はいろんな手段がありますし、
それを否定する気持ちはありませんし、それを認めています。
 同じ百姓として、議論することは多いに結構ですし、少なくとも対立する関係ではありません。もしそのようなことになった 本当に悲しいことです。

先ずは、田んぼ 畑で立派な作物を作りましょう。

2011年04月25日

大荒れの天気

昼から雨の予報。
午前中に 少しでも仕事を進めようと思い早朝から作業開始。
予報よりも早く雨が降りだす。
急に曇りだし雷雨となる。

大荒れの天気となる。
それでも 夕方には雨は止み、作業を再開する。
雑用も出てきて 慌ただしい一日だった。

2011年04月26日

雨の予報

明日は 雨の予報。
 元肥散布が残っていたので、必死に作業をする。
夕方まで、一部を残し終わる。

世の中、まだ 落ちつかない。
出来るだけ冷静に 生きていきたいものだ。
情報が 多く氾濫する世の中。
 如何に 自分の事は、 全て自分で責任を持つという気概で暮さないと
いつの間にか 常に他人に振り回された人生をおくりかねない。
そんなことを 強く感じる今日この頃だ。

2011年04月27日

天気が続く

雨の予想だだったが、天気がもつ。
遅れていた 田んぼ仕事をすすめる。
 忙しい日々がつづく。
明日には、田んぼに水が来る。
余震が続いているが、パイプラインが無事だと良いのだが。
 無事に用水が 来ることを祈るだけだ。

2011年04月28日

パイプライン破損・用水中断

大雨の予報だったが、昨夜の雨量は少なかった。
今日から本格的な用水を開始する。
心配していた パイプライン本管が3か所 破損していたことが判明。
予備通水で 破損個所を確認し修理したものの、その後の相次ぐ余震で破損したようだ。

 小さい機場は、無事運転を無事始めたが、これから数日は用水が遅れるだろう。
土地改良区の事務所と連絡を密にし 早期 復旧を確認する。

2011年04月29日

田んぼにミズがやってきた。

代掻き作業が ボチボチはじまる。
トラクターが数代 田んぼで作業を始める。
パイプラインの本管が 破損したため 本格的な代掻き作業はまだだが 今年も田んぼに水がやってきた。
 今年の田植えは、例年よりも長期戦になるだろう。
世の中 大型連休に入ったが例年とは雰囲気が違う。
活気がない。

2011年04月30日

代掻き始まる

本格的な代掻き作業を始める。
例年の活気は、ない。
夜 集落の会合があり 話題は地震と津波。
我が集落は、被害が少なかったとわいえ、今回の様な 広範囲の被害となると、集まった全ての人が 、親戚や知人が大きな被害を被っている。
皆 今回の震災や津波、原発事故の傷を背負って生きているのだ。

About 2011年04月

2011年04月にブログ「だだわらす子のひとり言」に投稿されたすべてのエントリーです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

前のアーカイブは2011年03月です。

次のアーカイブは2011年05月です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。