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2011年05月 アーカイブ

2011年05月01日

今日から5月

いろんなことが あるが 目の前の仕事に集中する。
代掻きを早朝からする。

今日から5月。
胸躍る季節だが、一人でトラクター仕事をしていると ときたま涙がこぼれる。
 涙もろい今日この頃だ。

2011年05月02日

余震続く

トラクターで代掻き作業。
仕事しながラジオを聴いているが、昨日から地震の報道が多い。
一日に何回も 地震。
余震が相変わらず多い。
 トラクターに乗っていると 地震は感じないが、たび重なる地震速報を聞くにつけ、
不安になる。
また、いつ大きな地震がやってくるのかと思うと、不安が大きくなる。
なんとも落ち着かない、今年の田植え作業だ。
 崩壊していた パイプラインに再び通水開始する。

2011年05月03日

良い天気

代掻き作業をする。
夜 東京農大の門間先生等と懇親会をする。
今回の震災で 福島県相馬市と連携して農業復興プロジェクトを計画しているという。
 1日から相馬市に来ているという。学長以下多数の教授陣が現地調査して今後の
復興支援に取り組むというのだ。
 
 情報交換の良い機会だった。

2011年05月04日

初田植え

初田植え
午後から 少し風が吹いたが 絶好の田植え日和。
今年も 無事 初田植えを迎えることが出来た。

2011年05月05日

田植え二日目

今日も 田植え。
晴れたものの、東風が吹き午後から ヒンヤリする陽気。
田植え時期は、超忙しい。
今は 目の前の仕事を精一杯 こなすだけ。
大型連休も 今日で終わり。
地域の田植え作業は、例年よりも 大分 遅れているようだ。
 山形庄内の 高橋さんからコメントいただいた。
ありがとう。 お元気ですか!

2011年05月06日

一日曇り 肌寒い一日

順調に田植え作業をすすめる。
夕方 携帯に電話があり 山田屋本店の秋沢社長さんが 福島県会津に来ているという。
明日 角田にも来たいという。
もちろOK.

 今回の震災の様子や生産現場の様子を 確認に来たという。

2011年05月07日

田植え日和

風が少し吹いたものの 暖かな陽気。田植え日和だ。
さすがに 夕方 疲れを感じる。
昼前、東京 やまだや本店の秋沢社長が来てくれる。
ありがたいことだ。
今夜は 本当に眠い。
もうねる。

2011年05月08日

大荒れの天気

今日は 大荒れの天気。
雷雨が来たと思ったら、午後から強風。
それでも、気温は暖かく、地域の田植え作業は真っ盛り。
今年の田植え作業のピークを迎えたようだ。

2011年05月09日

田植え日和

暖かな絶好の 田植え日和となる。
最高気温も23度を超える。

地域内の田植えも 昨日の休日でほぼ完了。
本来であれば 風薫る五月。
一年で最も 生命の躍動感を感じる時だ。
それが今年は、それを感じる余裕がない。
 それでも、季節は確実に動いている。

百姓仕事も、季節と共に生きている。
世の中 如何に変わろうとも その現実は変わらない。

2011年05月10日

パイプライン漏水

最高気温が23.6度。
それでも、午前中は 強い風が吹く大荒れの天気。

パイプラインが、またもや漏水。
今度は、場所と時期がわるい。
幹線市道の真下を通っている、パイプラインだ。
通水は ストップ。
地震の 後遺症はいつまで続くのか。

2011年05月11日

震災から2カ月

用水パイプラインの漏水個所は、本管ではなく空気を抜く弁に通じる鉄管の腐食によるものと判明。
 なんたることだ。 工事の際に なんらなの不手際があったものと思われる。
バブル最盛期の時の工事。 施工業者が どんな工事 資材を使ったのか 疑われる。
その業者は、すでに倒産。社長もいまはいないうという。
 土の中の工事。 すべては、信用問題。 実績があり 信用できる業者に依頼するしかない。

 震災から今日で2カ月。
避難所生活を続けている 多くの人がたくさんいる。
政府は、一日も早く 助けて欲しいものだ。

2011年05月12日

田植え無事おわる

田植えが 終わった。
予定していた 18ヘクタールの田植えを無事 終えることが出来た。
今年の田植えは、これまで田植えと違って 気合がはいった。
天気にも恵まれ、例年になく はかどった。
田んぼに 稲を植えなければ お米は出来ない。
先ずは、一安心。
今年84歳になった 親父さんが代掻き作業を頑張ってくれた。
長男も休みをとって 田植えしてくれた。
家族総出の 田植えが無事に終わった。

今年は、田んぼを持っていても 稲を作れない多くの百姓仲間がいる。
同じ百姓として、その 悔しさ  は痛いほどわかる。
秋の収穫に向け これまで以上に田んぼに通い良いお米を作りたい。

2011年05月13日

雨は降らず

昨夜から午前中のかけて 雨の予報。

田植えも終わり 雨が降れば本当に久しぶりにゆっくり寝てようかと思ったが。
朝起きると 雨は止んでいる。
それでも、いつもよりは朝はゆっくりすることが出来た。
午後から 強い風が吹き荒れる。
それでも、気温は高く 田植えをしている光景をおおくみかける。
 少々の風を気にしていたら、天候相手の百姓仕事は進まない。
机上論だけでは、百姓仕事はできない。
いかに、人の力の及ばない自然の力を素直に受け入れられるか。
そのうえで、どのように自然と折り合いをつけるかだ。

それにしても、福島原発。どうなっているんだ。
一号機は、メルトダウンをおこしていたという。
世間では、多少 頭が良いといわれる連中が原発にかかわっているのはずだ。
それが、どうなっているのだろう。
理屈などどうでもいい。
世界の知恵を 総動員そいても はやく収めて欲しい。
なにやっているんだ、政府は!!

2011年05月14日

ホッと一息

田んぼの見回りを早朝からする。
はじめに植え付けた苗は無事に活着し 新葉の伸び始めた。
生育促進と、田んぼが 荒れないようにこれからは こまめな水管理が求められる。
午後から 強風がふく。

3月の種籾準備以来 忙しい日々を送ってきたが 漸くホッと一息つける。
 秋の収穫に向け もう一度 全てを点検する。

2011年05月15日

夏日

最高気温が25.1度。
夏日を記録する。
日中風が吹いたものの、暖かな一日となる。
 日曜日で休日ということもあり、遅めの田植えを予定していた人が田植えする
姿を多く見かけた。
 今日で この近辺の田植えは殆ど終わった。

大地震やその後の余震が続く中で落ち着かない日々が続き しかも コメをめぐる情勢は極めて悪い。 それでも、田んぼに稲が植えられた。
経済行為としてコメ作りは 否定しない。
しかし、コメは命と直結しているのだろう。
それが証拠に、難しい理屈を抜きに 春になれば 黙って田んぼに稲を植える。
 そんな光景が いつまで続くかは心配になる昨今の情勢もあるが。

2011年05月16日

またもや夏日

最高気温26度。
二日続けて夏日を記録する。
福島原発はどうなっているんだ。
 最悪の事態寸前だったとは・・・・・。
こうなったら、放射能とどう向き合って生きていくかだ。

 ハッキリ言えることは、 人の力など 些細なもの。
頭が良いの 悪いの言っても、 殆どの学問は 現実に起きたことに 屁理屈をつけて
いるだけだ。 その屁理屈を もっともらしく作文できる人をただ単に 頭が良いと言っているだけだろう。 クイズ番組を世の中全体で 貴重な税金を使って学校なるものを作って 楽しんでいただけではないか。
 人が人を教育するとは そんなことだったのか。

 今の時代を共に生き抜く 知恵と行動力を学ぶ事が必要ではないか。
そんなことを考える今日この頃だ。

2011年05月17日

またもや漏水

最高気温23度。
夏日とはならなかったが 殆ど風がなかったぶん 午後から特に暑く感じた。
田んぼの手入れ。
親父さんたちは ハウスの片付け作業。
片付けが終わらないと 本当の意味でゆっくり出来ない。
午前中 またもやパイプラインが破損。
幹線パイプでないので少しは安心だが、地震の影響は収まることをしらない。
早く余震が収まって欲しい。

2011年05月18日

はやく原発おさめろ!

今日の最高気温24度。
初夏を思わせる 暖かな天気が続いている。

田んぼの管理も ひと段落し、 あたりの景色を見る余裕がでてきた。
あたりの山々は 新緑ですがすがしい景色だ。
 いつもと変わらぬ 景色だが 放射能の灰が舞っているという。

なんとも、やるせない。
はやく 原発を収めて欲しい。

2011年05月19日

最高気温28度

最高気温が28度を超える。
もう少しで真夏日。
東京より お世話になっている先生が来たので 大津波の現場を案内する。
2か月を過ぎたというのに、津波の現場はあまり変わっていない。
先生方も、現場にたって 言葉が出ない。本当に想像以上の 被災地の様子だという。
あらためて、田植えを無事に終えた生産者の一人として、より一層 田んぼに通わなければと感じた。

 雨らしい雨が このところ降っていない。
少しは雨が欲しくなった今日この頃だ。

2011年05月20日

真夏日寸前

内航気温29.5度。
真夏日直前まで気温が上がる。
東京の先生方と 震災後初めて仙台平野と石巻の蛇田小学校の避難所へ行く。
 仙台空港は、再開したものの大きな傷を残していた。
石巻港周辺は、テレビなどで紹介されたが 実際に行ってみると火災も発生したこともあり、無差別爆撃を受けたような戦場さながらの無残な姿を残している。
 もの凄い悪臭と埃で 復旧作業は困難を極める。
復旧作業に携わっている皆さん、本当に 御苦労さまだ。

 初めて、避難所を訪れる。小学校の体育館が避難所になっていた。
広い体育館に、大勢の人が暮らしていた。もう二カ月になるという。
 知り合いの片倉さんは、70歳を過ぎ一人暮らしだったという。
元気な様子だったので 安心したが
 避難所生活は、ご苦労が多いようだ。
早く安心して 寝れるところを確保して欲しい。

2011年05月21日

大麦の消毒

早朝より 大麦の消毒作業をする。
午後から 気温が上がりまた真夏日寸前まで上がる。
 作物を作った以上、 手入れはしっかりする。
後の結果は、毎年 違う。
人が コントロール出来ない お天道様のご機嫌を伺って仕事しているかぎり、
想定外等という いいわけを前提とした仕事はできない。
人の力など 些細なもの。 その現実を素直に受け止め、「コメ作りは、毎年一年生」
という言葉が示すように、常に想定外を想定して謙虚に愚直に仕事をするのが百姓仕事。
毎年の作柄は、毎年違う。たとえ自然災害にあったとしても「百姓の来年」との思いで春になれば田んぼにたつ。 それが自然相手の百姓。

 今回の福島原発事故。
責任者が、想定外として問題解決を図るとしたら、原発に明日ない。
それにしても、人が作り出した原子力。 全てをコントロール出来ると思っているから
想定外という言葉を簡単に発するのだろう。 そもそも、人が想定出来るもの等、「些細なもの。常に謙虚に仕事に接していないのだろう。
せめて、原子力の仕事に誇りと責任を持っているのなら 一刻も早く原発を安定化してほしい。

2011年05月22日

久しぶりの雨

久しぶりに雨が降る。
午後には雨があがる。
本当は、もう少し降って欲しかったが 体を休めるには良かった。
このところ、最高気温が30度近くの日が続いたためか、 水の深かった田んぼは、表土剥離が発生。 苗が痛んできたところがある。
こまめな 水管理を心掛けたい。

2011年05月23日

相変わらず原発事故ニュース

ニュースは、相変わらず福島原発事故。
相当 危機的状況なのだろう。
しかし、今の政府関係者には 腹をくくって日本を救うという
強いメッセージが伝わってこない。

 相変わらず 放射能の怖さだけが頭にあって、小利口さん集団として、政府だ。
今の現実から 逃げていく人は 別にして、 逃げられない多くの国民の命を
あずかっているという、責任と誇りをもっているのなら 小利口さんの知識など
ナンの役にも立たない。 リーダーの役目は、今の現実を 共に食ってこれからも
生きていくという 腹をくくった生き方 行動を示すことだ。
 岡田幹事長が、防護服を着て 普段着の被災現場の人達とあったという。
ばかやろうだ!
自分だけが、可愛いだけではないか。

2011年05月24日

草刈り作業開始

最高気温が18度。
初夏の陽気が続いていたので、20度を下回ると 涼しく感じる。
畔や路肩の草刈り作業を、始める。
 あたりの農家は、きれいに草刈りを始めた。

 田んぼや畑に 農作物を栽培すればこそ 周辺の草刈り作業もするのだ。
自分の庭を手入れをするがごとく、時間を惜しんで手入れをする。
その日々の 田んぼへの思いが 秋にコメになる。
 農業も 経営者としての責任と誇りを持たなければならない、と常々 口にする。
よく考えてみると、少なくとも、地域のリーダー的存在の 優秀な農業経営者は、すでに 数兆円の事業経営している東京電力の社長よりも、経営者としての資質のからみれば、上回っているように思える今日この頃だ。

2011年05月25日

風薫る季節

すがすがしい 風薫る5月を感じる一日だった。
しかし、風景はいつもの年と同じだが、違うのは目に見えない放射能が
降り注いでいること。

みんな どこかで気持ちの中に引っかかっている。
福島原発は、本当に頭に来る。

2011年05月26日

震災みまい

東京と静岡から 百姓の友人が 震災見舞いに来てくれた。
折角の 来たので 大津波の被災現場を案内する。
相馬市から 仙台市までの沿岸部を案内した。
いつものことだが、関東でテレビで見ている映像とは 全く違うという。
 一人の友人は、この前に岩手県三陸沿岸部の津波被害地を見てきたという。
しかし、福島県から宮城県にかけての 仙台平野を含む広い平地の津波被害は、
そのスケールの大きさに圧倒され その凄まじさに 言葉もないという。
 2か月たつというのに、被災地は少しは瓦礫の撤去作業は進んでいるものの、
津波が襲来した時のまま というところが 多くある。
ただ違うのは、人の気配が殆どなく、遠くの山々が 新緑に包まれているのに
津波が襲ったところは、一線を引いたかのように 赤茶けた荒涼とした景色が広がっている。

 毎日 福島原発事故の報道がなされている。その被害の深刻さは 政府や関係者が
事実関係を正直に発表できない程 深刻さを増しているのは分かる。 しかし、大津波被害で 今の現実を生きるのに精一杯の多くの被災者がいるということが なおざりにされているように思えてならない。
一刻も早く、明日にむかって生きる希望を 示して欲しいと強く感じる。
それが、政治の役目だろう。

3月11日の震災以来 原発事故優先 何十万人という東北各地の震災被害者は、後回し。
という、思いがしてならない。
大災害の時の、人命救助の大鉄則 72時間内の救出作業。
今回は、その鉄則すら 守るどころか 原発事故だけで政府は動きなかった。
なぜ 直ぐに自衛隊の出動要請をしなかったのか。 自衛隊が来たのは、72時間過ぎ。
助かった命は、数多くあったはずだ。
少なくとも、宮城の被災地にいた一人としてそう感じた。
 
自衛隊が好きの嫌いの問題ではない。
 その動きが出来なかったのか、今の政府は。
その思いは、被災現場にたつと いつも悔しくてならない。

2011年05月27日

草刈り作業

早朝から 草刈り作業。
一気に 草刈り作業を進める。
26ヘクタールの農地の草刈り作業。
殆ど一人でする。
約10日間程で 終わるが、これを最低3回する。
百姓仕事は、草ともたたかい。少しでも油断すると 耕地は草だらけ。

常に緊張しながら、百姓仕事は続く。

2011年05月28日

大津波の被害を思う

午後から 社会福祉法人臥牛三敬会(虹の園)の 評議委員会が開かれる。
4月に予定されていたが、震災で開催が延期されていた。
 3月11日の 地震と大津波は、当法人にも大きな被害をもたらした。
福祉の世界も、自立支援法施行以来、事業を興し自らが稼ぎ出す事が求められるようになり、ピザハウス等の事業を積極的に展開してきた。
それらの事業も、数年がたち軌道に乗ってきたところだった。
それが今回の大津波で、山下町にあった、ぱぴハウス2号店・つつみ屋山下駅前店・
多賀城市のぱぴハウス3号店 が大津波で失った。
たくさんの人の思いが 形になった店を失った事は、無念と言うほかない。
しかし、施設の利用者は震災前と 日々の暮らしを続けている。 どんな苦難があろうとも、生き続けるためには当然 事業も止めるわけにはいかない。
 本年度の事業計画を承認し、あらたな希望にむかって前進あるのみ。
社会福祉法人臥牛三敬会(虹の園)の職員は、皆 若いし目が輝いている。
必ず生き残って、いけるだろうと信じている。

2011年05月29日

朝から久しぶりの雨。
雨量は多くないものの夜まで降り続く。
雨が降ると 田んぼの稲は 生き生きとしてくる。
緑が一層 濃くなった。
新緑がまぶしい季節になった。

2011年05月30日

大雨ふる

昨日からの雨は、今日も降り続く。
5月としては、記録的雨となる。
朝から 国営江尻排水機場を運転。土地改良区職員の適切な判断で、耕地の冠水を最小限に食い止めることが出来た。
 それにしても、お天気さまは 本当に予想がつかない。

2011年05月31日

日経新聞 「私の履歴書」

午後から会議。
夕方に帰ると、我が家の祖母さんから、地元銀行 七十七銀行の角田支店長と支店長代理の二人が突然やってきたという。
日経新聞を持ってきて、お宅の長男さん、アサヒビール元会長の瀬戸雄三さんと
どんな関係なのと 訪ねてきたという。「なんだかオライの息子 東京のいろんな人を、しっているようだないん」といっておいたという。
 
日経新聞に 私の履歴書という コーナーがある。 日本を代表する各界の著名人が登場し執筆している。 そのコーナーに、今月はじめから アサヒビール元会長の瀬戸さんが登場し執筆している。 その連載が 今日で最終回だという。 その記事の中に、私の名前が出てきたので びっくりして訪ねてきたというのだ。
それで、「なんで角田の面川の名前が出てきたのだ」のだと不思議になって訪ねてきたという次第のようだ。

田舎では日経新聞はなかなか目にすることは少ないが、たまに目にしたとき興味を持って観ている。

お世話になっている、地元企業の社長さんから今月から、アサヒビールの瀬戸さんが登場しているということは聞いていた。 その社長さんは、興味のある人は、コピーして大切に保存しているのだという。 先日 訪ねたとき 見せてもらったばかりだった。

瀬戸さんとは、平成5年の冷害の時、突然訪ねて来て以来、お世話になっている。
 なんにも肩書もない 田舎百姓の私にも 常に丁寧に接してくれる。
瀬戸さんには、いろんな勉強をさせてもらった。感謝だ。

今日の記事を見て 東京の知人からも数件 電話をいただく。
こっちがびっくりしている。
 
瀬戸さん ご苦労様でした。

俺の仕事は、田んぼでお米を作ること。 今年も うまいコメつぐっかんね! 

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